2009年の初めは沖縄県の職業訓練校の問題でエキサイトしていた。2月頭に人権派の弁護士や家族会、当事者などと県庁に出向き、結局テレビ局の取材攻勢で県は方針を転換した。
私が外来で相談に乗っている精神の手帳を持つ当事者が2名、立派にここまで訓練手当てを受けながら通学し、資格も取得して社会参加へ向けて自信を再び獲得するのに成功した。
3月は沖縄県発達障害者支援センターを受託する予定である法人と一緒に動き、県にプレゼンテーションなどで成人発達障害のケアの重要性を訴え続けたが結局受託は出来ず。
5月から7月は勤務するクリニックの移転でバタバタし、同時に新しい支援センターの法人にお願いして成人発達障害ケアのためにセンター嘱託医として関わるチャンスを頂くことが出来た。
11月からは沖縄少年鑑別所に発達障害の診断のために出向くことになり、いろいろな事件に関わる思春期のケースの診断を始めた。
成人へのコンサータ処方問題では適正流通管理委員会に10月にレポートを提出し、最近は22年1月から保険適用しないという方針を突出して打ち出した沖縄県の国保に対していろいろな働きかけを考えつつある。
こうしながらも、いろいろな当事者の相談に乗りつつ、今年は「依存型ジャイアン」の概念とケアのシステムを工夫することが続き、積極奇異型ASとジャイアンの違いについては私の中ではほぼ明確になりつつある。
まだ「表面的に酷似する受動型ASと依存型ジャイアンの区別の方法」、「ADHDは全てジャイアンであるのか?」という大きな問題が残ってはいるが、私の中では発達障害の大きな分類のイメージは完成しつつある。(「中間報告」を参照)。
実は年頭には「学会発表や論文」という目標を掲げていたが、結局実現できなかった。自分の中では発達障害の分類についてのイメージははっきりしてきたので、「これを多くの先生方に伝え、ご支持を頂く」という次の大変な作業に取り掛かる段階に入った。これは引き続き来年の課題としたい。
沖縄県北部に住みながら南部のクリニックに勤務し、単身赴任となって3年目に入る。今年は自分のアパートの部屋の片付けも少しずつ出来て、インフルエンザ疑いで3日間休んだほかはほぼ仕事を続けることが出来た。
「自己中な脳を持つジャイアン」として、自己突っ込みとどう付き合っていくか、悩み続けてきた。今のところの結論は「自己突っ込みから逃れる方法はない」というところだが、この問題はずっとこのブログで考え続けていくことになるだろう。
このブログに参加していただいた皆様、ご覧になっていただいた方々、本年もお世話になりました。ありがとうございました。
私はASの人をサポートする方針が正直なところ分からなくなっていた。何故なら「愛着」が出てくるや否や合理的な解決は不可能となり、「叩き切る」という選択肢が存在しないために(ADHD的な)現実的には解決方法が見つからないことが多いからだ。
別の言い方をすると、「本人の中の問題は解決不能」ということになる。どんなに辛くて身体症状が出ていても「こだわりと愛着の矛盾」には答えは無く、「大変ですね」と言うしかない。
いろいろ考えあぐねた結果、結局私はASサポートは「現実世界との調整」しかないと言う結果としては当たり前の結論に到達した。
最近書いた「許可制カミングアウト」もそうだが、ASの世界認知は人と世界が近すぎるために、「結果的に周囲の他者や世界を思い通りにするしかない」という自己中心性があり、それをストレートに指摘して現実世界との共存を可能にする環境調整は必要ではある。
「本人の中の問題はどうにもならないので、外の世間との共存の部分でサポートする」ことを考えるのが、あくまでも結果を重視するADHDの治療者としての可能なスタンスとなる。
特に積極奇異型ASの場合には、「世間からメジャーな待遇を受けるために多数派に大いに妥協するか、自分のスタイルを変えないで行ける狭い世界を探すか?」という究極の選択を本人に突きつけることが環境調整の出発点となる。
ASは「理解」を例外なく当たり前に求めることが多い。
隠すことはむしろ少なく、自分から診断名や自分の大事なことをオープンにして、関わる全ての相手に理解を求める。
あるASの当事者が障害者施設の中でカミングアウトを希望し、私が相談に乗った。本人の中にもカミングアウトへの不安と理解を求める思いが交錯し、迷っていた。
理解を求める思いは非常に強く、実際より小さい施設で実験的にカミングアウトを試みたときには本人に精神的な成長が見られた。
しかし今度は規模も大きく、いろいろな人が出入りする環境で、より世間に近い。実際にカミングアウトしたとして、それが原因で周囲の職員や当事者が疎遠な態度を取るようなことがあれば、理解を求める分だけダメージは大きくなる。
ASの世界理解には、「相手の都合を考慮しない」という特徴があるように思う。自分のほうから見た世界だけで方針は決定され、「相手がどう受け止めるか」についての選択の余地が無い思考になっている。
このことは近い立場の助言者がきちんと本人に説明する必要がある。
そこで私が考えた方法は、「許可制カミングアウト」という方法だった。
まず障害者施設なので職員は無条件に理解をお願いする。
次に周囲の当事者については、職員から個別に本人の障害の理解に協力する用意があるかどうかをあらかじめ確認してもらい、「理解への協力の余裕や用意がある」とOKを取れた相手にだけカミングアウトするという方法だ。
他の障害の当事者も、それぞれの事情があり、他の障害者のケアに協力する余裕が無い人も当然居るだろう。そういう相手にも一律にカミングアウトして、「理解を強要する」ことは出来ないということは、本人も納得することに成功した。
「理解」についても、当然相手の事情や都合を考慮するべきであるという、発達障害当事者のほうから理解、譲歩するべき問題である。
まだ二十代の女性で、思春期から混乱状態になり、以前は統合失調症の診断をつけられていたが、最近ジャイアン型ADHDのACに診断を変更したケース。
私が以前に主治医を務めていたが、あまりに依存が強くなりすぎたので一時リセットを目的にA病院に転医して最近私がフォローすることを再開した。
久しぶりに話を聞いてみると、A病院に転医してから、「イライラして家族に当たったり物を投げたりはしなくなった」という。それで母親始め家族は「落ち着いて良くなった」と今は言っていると言う。
問題は私が担当していない間社会参加を目指した就労へのリハビリがほぼ停止していたことだ。
以前は職業訓練校の委託研修などにも参加して、また就労へ向けた沖縄県の「通所リハビリ」も意欲的に参加していたのに。見る影も無く、表情も活気を失い、意欲が落ちている。
本人も「以前の私と違う人になっている」と自覚している。
薬剤は以前よりもむしろ軽くなった程度で、薬剤性の鎮静のかけ過ぎではないだろう。
如何にも「慢性の統合失調症の患者になりました」然とした変化ではあるが、若い当事者のこの変わり様には驚いた。
ジャイアンは誉められると木にでも上る。意欲を失い表面上落ち着いた状態になると家族は家族の都合で「良くなった」と誉める。また表面上の家族との交流はうまく行き、家族への依存はしやすい。
「大人しく落ち着いた患者」で居れば家族とはうまく行き、逆に本人が就労などの社会参加への意欲を出すと前主治医も家族も「出来るわけ無い」と頭からつぶしてきたのだろう。
この環境で、本人の意欲は残っているのだが、「自分でもよく分からないが違う人間になっている」という風な変化が起こった。マインドコントロールに近いことだろうか?
私のフォローに戻ってから、ちょうどパソコンの委託研修があったので、「願書は出さなくてもハローワークで説明だけは聞くよう」と勧めたら、意外なことに本人はきっぱり「行きたい」と言う意志表示をした。
本人にははっきりと社会参加への意志は残っており、ちゃんと話を聞けば、意欲は活性化することが可能だ。
ただ勉強したり、委託訓練に通えばストレスがあり、家で不安定となって家族には不都合は多くなるだろう。遅かれ早かれ以前も相談していた実家からの自立も必要になってくるに違いない。
何が本人のためにベストか? 少なくとも若いうちは社会参加の可能性を考えるべきであると私は思う。
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