世間で普通にASと診断されているケースはほとんどが状況察知能力の低いASだ。
私は多くのケースと面接してきて、同じ対人的な愛着の特徴を持ち、時には典型的な自閉症的なこだわりを持つ非言語的状況察知能力が高い(KYでない)一群の人たちがあることを見てきた。
基本的に正直で、「理解されたい」という強い衝動を持つ点で発達障害に分類するべきであると考えるが、おそらく世間では、「境界性人格障害」あるいは「重ね着症候群」等と診断されているだろう。
乳幼児期から人見知りが極端であることが多く、特定の人にしかなつかない。環境の変化に適応するのに非常に時間がかかる。言葉は「最初少ないが、突然文章を話し出す」ようなケースが多い。親よりも優位に立とうとするジャイアンとはまた違う、依存的な意味で「育てにくい」子供だ。
同じように「仕切りに行く」「目立ちに行く」が、ADHDであるジャイアンとの違いは、「自分でも非言語的な表現を使える」ということだ。(ジャイアンは非言語的な察知は出来ても、非言語的な表現を使いこなすことは出来ない)。
それで居て、基本的にASは自己突っ込みは無く、よほど意識的に努力でもしない限り積極奇異型ASには「自分の考えが世界の標準であり中心だ」というAS独特の自己中心性があるので、それが周囲から見ると、「とんでもない目立ちたがりで、自分のことしか考えていない」「ずる賢い子供」という印象になる。
例えば、不器用なジャイアン兄に愛着を持つ高機能な積極奇異型AS弟のあるケースは、兄に愛着があるので習い事は全部兄の後を追い、音楽でもスポーツでも学業でも全て兄を上回って、片時も兄から離れず、「兄ちゃん何でこんなことも出来ないの?」と毎回言うという不幸な経過になったりする。
一方で受動型ASは自己中心的に目立ちに行かない代わりに、愛着の相手に対して異常な支配的な態度を示し、表情や行動の全ての手段を使ってコントロールする。コントロールできないと「自分は居なければ良いか」という極端な発想となり相手の誠意を試す行動に直結する。
愛着以外の世間で全く穏やかで自己主張が少ないことと対照的に、愛着の相手にだけ異常に支配的な行動を見せるという2面性を持っている。自傷などをするケースで自閉症的なこだわりが少ないと、実際「境界性人格障害」とどこが違うか?という姿になる。
ASの本質は「人を無視できない」「人の近さ」であると私は考えるが、非言語的な察知とコントロールを使えて、しかも使い方が(多数派から見て)アンバランスな自己中心的な目的であるとなると、結局「人格障害」に近くなってしまう結果になる。
だからASの場合も「非言語的なやりとりを分かりもせず使えもしない」というKYなASの方が幸せなのだ。
少なくとも積極奇異型の場合は、「浮いてしまっても気づきもしない」状態になっても本人は気づいていないから問題なく、また、言語的に突きつけられても言語的なカウンセリングなどの方法がある。
ASの診断と説明があれば少なくとも理屈の範囲では修正が可能だ。(ただ愛着の部分の行動はダブルスタンダードなので、言語的に説明しても修正不可能なことが多いが)。
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