依存型ジャイアンの人と話すと、独特の甚だしい楽観主義があることに驚かされる。
①「パチンコで損をするのは、勝ったお金をまたゲームにつぎ込むからだ。勝ったお金で子供の買い物をすればいい」。
②(相場で失敗して大変なことになった人の話を聞いて)「失敗しないでうまく行っていればいい思いを出来ていたはずなのに(自分はギャンブルが止められているのはおかしい)」。
③(月末に支払う返済があるのに、今ギャンブルでお金を使うことについて問われて)、「月末になれば何とかなる」。
みんな性別も世代もばらばらの大の大人が真顔で言っている発言だ。ちなみに①のケースでは、「あなたは負けて取り返しに行ってどんどんお金を無くしたことは無いの?」と聞くと、「そう言えばそうでした」ということになる。
これらの発言と、「その瞬間が過ぎれば終わり」という当人からの解説や、あまりに先のことを考えないでも平気でいる行動などを組み合わせて考えると、「一瞬に生きるADHD」としての特有の記憶のシステムがあるように想像できる。
即ち、「いやな事、失敗したことは全てきれいに忘れる」「記憶に残るのはうまく行った場合だけ」というシステムだ。
全てが瞬間の反応であり、その場その場の状況に反応しているので、例えばギャンブルでお金が無くなってしまえば、「もうどうしようもないからいったん終了して次の状況に移る」ということになる。もうそうなると記憶は途切れて、負けた事実はどこかへ行ってしまう。
逆にギャンブルでは「勝った」場合のみお金が残っているので「同じ状況」が継続する。
カードを覚えてしまうと、「限度額まで使う」ということになるが、その場合「勝つ」つもりだから返済のことは全く頭に無い。
悲しいかな、社会的経済的法律的には返済義務と社会的責任がカードを使った瞬間に生じていることは依存型ジャイアンには「意味が分からない」のだ。(あるいは少々の返済は月末に魔法でも使って返せると楽観的になっているかだ)。
楽観主義が先か?、場当たり的な生き方が先か? 場当たり的な生き方が先ではあるが、いったん出来上がると、楽観主義のためにさらに考えなくなるという悪循環に陥る。
とは言っても、はじめから最後まで意味の分かっていない依存型ジャイアン当人には、このことの問題性は全く自覚されない。周囲の家族や関係者がボロボロになる。
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