2009.05.24 21:30 |  診療  |  研究  |  その他(医療関連)  |  ADHD関連  |  AS(アスペルガー)関連  |  YANBARU  | 推薦数 : 3

KYの受動型AS

 受動型ASのスタンダードなイメージは、「表面上世間的にはは非常に気配りもできてトラブルも起こさず、慎ましやかできちんとしている」という一方で、「パートナーや親など愛着の対象の前では豹変して異常に理不尽な要求を異常にしつこくし続ける」という人だ。
 
 愛着の対象に対する要求が少しでも通らないと、たちまち「自分は居ない方がいいのか?」というボーダー的な試し行動などが出てくる。「必要とされることへのアディクション」と言ってもいいような認知と行動の構造だ。

 私はこの「100が当たり前」という要求と、外面の異常に良いところ、この両者のギャップで受動型ASを鑑別することが多い。
 
 前述したが、依存型ジャイアンと表面上似ているところが多いが、これは「ジャイアンは結果が大事なので嫌われるまでしつこくはしない」というところや、受動型ASは「表向き自分からは動かない」あたりで見分けることが可能だ。

 スタンダードなタイプは主に非言語的な状況察知能力を使って器用に世渡りをしていくので、表面上は「普通」であるのに対し、KYの受動型ASは見た目ジャイアンのような「荒っぽさ」があるので、ジャイアンとの区別に迷うこともある。
 
 特に学習障害を伴うケースに多いのだが、自閉的特徴が激しく、その割には注意欠陥も激しいので表面上はADHDのように見える面もあり、見かけからは診断に苦慮する。
 
 よくよく見ると「自分からは動かない」「愛着の相手に対して突然豹変する」という特徴ははっきりあるので、ADHDと区別はできる。

 母親に「今すぐ帰って来い」と要求したり、「今自分の話を聞け」と異常にしつこく話し続けたりする。母親がジャイアンだったりすると、「毎回ジャイアン母親がぶち切れるまでしつこくする」ということが起こる。

 頭においておくべき一群の人だ。

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2009.05.19 00:50 |  診療  |  研究  |  その他(医療関連)  |  ADHD関連  |  AS(アスペルガー)関連  |  YANBARU  | 推薦数 : 2

ASの二面性

 ASの人をサポートすることに力を入れる場合、(これは私のジャイアンの部分の帰結でもあるのだが)結局のところASの人の「二面性」に非常に戸惑うことになる。

 この二面性は、当人は認識していないことが多いようだ。「出来ない」に近いのだろうと想像するが、「愛着の場合とそれ以外の場合で行動が極端に異なる」というところだ。
 
 言語的に指摘すれば、「分かっています」と言う。説明すれば、例えば「共依存にしかならない」という意味は理解できても、冷静に観察すれば、結局行動は愛着優先で決まってしまうことが多い。

 依存的な相手をダラダラ甘やかしたり、自己中で理不尽な要求を全くきっぱり断れなかったりする。
  
 私のジャイアン性の部分は「結果のほうから考える」ということだ。治療者としては結果がうまく行かなければ失敗である。
 何度共依存につながる愛着の問題性を指摘しても、結局行動は何も変わらない。

 「あなたは分かったと言ったはずだろう」と言いたい場面が繰り返し現れる。結果の改善を求めるジャイアン的には、サポートを続ける上で非常に大きな無力感を感じるのだ。

 私の観察の結果ではASにとって愛着の問題は決定的な重要性を持ち、「昔のトラウマや現実的な環境のストレスを本人が表面上訴える場面でも、実際の本人の問題は愛着の相手とうまく行かないことだ」ということが多い。AS本人自身も自覚していないことが多いだろうが、冷静に観察すると分かる。

 「ASの愛着だからしょうがないね」と発達障害の障害の変えられない部分であると「理解」するとして、その結果は、ジャイアンから見ると「ASは根本的に二面的で、どんなに頭で理解しても、愛着の結果の行動は変えられないのだ」という風に理解するしかないのか? 正直なところ治療者としては悩む。

 行動を変えられないのであれば、治療として何をすればいいのだろうか? これは私のジャイアン性の問題でもあるが、結果の改善が全然無い状況でも、「辛いね」「大変だね」と言い続ける治療に意味を見出しにくい。

 この抵抗は、「逆に自分がこんな治療をされたらジャイアンとしては絶対に許せない」と言うところから来るだろうと考えてはいる。
 
 少なくとも、一刀流を掟とする発達障害の一当事者から言わせてもらえば、愛着の問題で行動パターンが大きく変わってしまう事実があるASの人は、「自分が非常に二面的な人間だ」ということを事実として厳しくわきまえてほしい。

 24時間言い聞かせて自分が二面的であるとわきまえ続けていれば、他者に「言っていることとやっていることが違う」と言うことがなくなるだろう。
 
 言っていることとやっていることが一番違うのは、(非常にKYのケースを除き)AS自身なのだから。

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2009.05.13 00:06 |  診療  |  研究  |  その他(医療関連)  |  ADHD関連  |  AC、人格障害関連  |  YANBARU  | 推薦数 : 2

ジャイアンの依存性

 これまでジャイアン特有の「丸投げ」や「依存型ジャイアン」について考えてきた。 実際にこれらの概念を生きたケースに適応してみると、考えてみれば当たり前だが、 依存型ジャイアン的な部分を併せ持つ強迫的なジャイアンが多いことに気付いた。

 理解するための単純化したモデルとしては分かりやすいが、実際のケースはほとんど (女性に多い。KYで無いタイプ)合理的な面と依存的な面を両方とも持っていると考えるのが妥当だろう。
 
  さて今一度この「依存性」について考えてみる。 実は内容的には異質のものを「依存性」の一言で括っているので分かりにくいところがある。

 代表的な内容は、①非言語的なフォローへの依存症(addiction)的な執着、②現実に自分が責任を負わないための丸投げ、③「状況」の一部として(依存相手に)場当たり的に合わせることで自分が表面的な現実の中で窮地に立たないようにするための利用、等が挙げられる。

 ④口だけ偉そうな「だめんず」を擁護・飼育しようとする共依存的な「面倒を見たい」衝動は①②③の全部の側面を持って(しかもこれらの側面をいずれも巧妙に覆い隠して)いるように思う。

  「依存」という言葉が当たるかどうかは難しいところだ。①はまあ非言語的情緒的な内容を伴うので「依存」らしいとして、②は実際は露骨な「利用」だ。結果として家事をしないなどの場合、現実生活の意味での「依存」とは言えるだろう。③は非言語的な手段は使われるものの、内実はもっとも露骨な「利用」に他ならない。「自分の考えや判断、思考自体全体を丸投げしている」という言い方もできるだろう。④は共依存の典型例だ。
 
 ①②③④いずれも本人は自覚していないところは「依存」らしいとも言える。

 私はこれらの「機能」として、「自己突っ込みから逃れられる」ということがあることが重要であると考えている。
 自分にも人にも厳しい自己突っ込みは「問答無用」で非常に辛いのだが、これから逃れようとする試みは全て「自分の目をくらまして見えなくする」という意味になってしまう。
 
 自己突っ込みから逃れる道はどこにも無い。不安で居ても立っても居られない場所にとどまり続けるしかジャイアンの生きる道はないと私は考える。

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依存型ジャイアンの特徴は「自分が無い」ことだ。
 場の状況に主に非言語的な状況察知とアピール能力を駆使して合わせ続ける。
 実はここまでの内容は受動型ASと表面上は非常によく似ている。同一といっても良い。
 では一体この両者はどこが違うのか?

 現段階での私の理解では、「人が見えているかどうか」「プロセスか結果か」で区別が可能だと思う。
 
 ASはASなりの非常に自己中な形ではあるが、相手の「人」を志向している。当然「相手の気持ち」は重要な関心事だ。
 (ただし正確に言えば、本当の意味での「相手の気持ち」とは言いがたい。正確に言うと「自分で勝手に決め付けた相手の気持ちへの甚だしい要求」があるということになる)

 これに対して依存型ジャイアンは人間のいない「状況」という結果の世界に生きているので、たとえ非言語的な手段を使っていても、本人にとっては「自分にとっての利用価値だけが問題になる物的現実」でしかない。
 非常に特徴的なのは、「相手の気持ち」がほとんど認識されない(関心が無い)ことだ。
 
 精神科的な用語を使えば、受動型ASは「境界例」で、依存型ジャイアンは「自己愛性人格障害」とか「精神病質」というニュアンスで表現しうる。

 また、ASは「サプライズ」や「記念日」のような「意味」「プロセス」等のメルヘンの世界に生きているのに対し、依存型ジャイアンは現金に結果のメリットにこだわるところでも区別は可能だろう。

 この意味ではこの両者は表面上は似通っているが本質は非常に異なるということだ。

 具体的な話で言えば、受動型ASは結婚した途端に偉そうに亭主関白ぶって現実の家事などは何もしなくなる。相手にとって自分が「必要」となった後は「自分は夫として居るだけでお前たちは自分のおかげで生きていられるのだから、面倒なことはお前たちがやれ」というわけだ。

 これに対して依存型ジャイアン夫は現実の家事もいそいそとマメに献身的に手伝うことが多い。依存相手に対して点数を稼ぐために一番利用価値のある手段だからだ。

 受動型ASも愛着の対象以外の「外面」ではこの支配的で理不尽に要求する顔はまったく見せないので、その意味では両方とも表面上は世間的には「良き夫」である。
 中身、本質、同居してしばらく暮らしてみると家族からは両者ともこんなに大変で精神的にボロボロになる相手は居ないのであるが、外面は非常に良いのが非常に皮肉ではある。

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