これまで発達障害ジャイアン型ADHDの能力と親の環境によるさまざまな経過について考えてきた。実は非常に稀ながら、ジャイアンACにも強迫的にもならず、「自分の納得や満足に関してのみ合理的」に育つ可能性が考えられる。その可能性を説明してみよう。
「無関心と放任」の「道楽者一族」のような環境では、前記のいずれでもない、「自分が好きに生きる奔放なジャイアン」というスタイルが生じる可能性が考えられる。
この環境では、ジャイアンの中心志向からくる強迫性の二つの要求「一番の優位」と「みんなからの注目」のいずれもが満たされない。
この意味では前記のAC環境と共通するが、逆に「他者が優位になることもなく、他者が自分よりも注目を集めることも無い」点に意味がある。
それぞれが自分本位に自分の満足だけを追い求め、ジャイアンの子供を含む周囲の誰にも関心を払わない。
だからこの空間では「誰も優位に立たない」「誰も特に注目されない」という特殊な状況が出現し、その中で「中心志向がインストールされない」ことが可能性としてはありうる。
見本としてインストールするモデルはいずれも「自分だけが満足して他者は関係ない」というスタイルであり、この生き方に滑り込むことが出来れば、ジャイアンは前記の(中心志向の強迫性に由来する)いずれも厳しい人生の経過から脱することが可能となるのだ。
この環境は、実は後天的にも可能ではある。「表面的な優位」が完全に否定され、「注目」も無意味となるような一種非日常の環境のなかでは、幸運に「中心志向」から脱するケースがあり得る。
異文化の環境の中や、その他の非日常、中でも社会の底辺と言われるホームレス、精神科病院入院、警察に身柄拘束されるなど、表面的には責任転嫁や正当化不可能、ジャイアンの表面上の中心志向の「見栄」が完全に破壊される環境がこの作用を持つ。
この意味では、ジャイアンの成育には、「足蹴にされるどん底の苦労」は決定的に有益、例外的に幸運な生き方を可能とすることがあるのだ。
私は今、この後天的な中心志向からの脱出の環境を治療の中で演出することが出来ないか考え続けている。
さて上記以外のほとんどのケース、親が優位に立った場合は、ジャイアンはAC(アダルトチルドレン様状態)になる。言葉の正確な用法としては、本来の発達障害の無い「アダルトチルドレン」には成り様も無いのだが、少なくとも主観的には「AC」に非常に近い状態となる。
「自分は世の中のほとんどの人から救い難い後れを取っており、自分だけがどうしようもなく劣っている」、「自分には自己主張などする資格は無く、自己主張などした日には今よりもなおいっそう徹底的に嫌われるに決まっている」、「周囲のすべての人は自分には分からない空気を読んで行動しており、自分だけが読めていないので、死に物狂いの努力をして周囲の空気を読んで周囲に合わせ続けなければならない」と言った、救い難い自己評価の低下が存在し、時には「離人症」的な情緒障害を伴う。
A2「言語的器用非言語的不器用」、A4「言語的非言語的不器用」のケースは、「見当外れに周囲に気を使い続ける」ため、周囲から見ると大変奇妙な理解困難な行動をとる人になる。
見かけ上は思い込みが激しいために「被害妄想的」、「誇大妄想的」でもあり、「AC的な対人関係の訴えが激しい割には対人緊張が感じられない奇妙なクライエント」ということになる。
前記のA1「言語的非言語的器用」およびA3「言語的不器用非言語的器用」のケースの場合には二つの経過が考えられる。
ひとつは、非言語的能力を駆使して周囲に見捨てられないように死に物狂いの努力を続けるため、「境界性人格障害」と呼ばれる一群の一部であり、私は境界例の一部はこのジャイアンACで説明できると考えている。
もうひとつの可能性は、「自覚的な自己評価の低下は無いが、パニック障害様の身体症状や強迫症状、躁やうつの気分の変動、摂食障害やさまざまなアディクション、時には妄想などの病的な反応」として現れる場合で、精神疾患やアディクションの背景にジャイアンACが隠れていることは多いだろうと私は想像している。
前記のA1「言語的非言語的器用」、A3「言語的不器用非言語的器用」のケースを、主として非言語的な威圧とフォローの中で養育し、言語的な説明がなされず、屁理屈を無視して通さなかった場合、「依存型ジャイアン」へと成育する。
「非言語的なジャイアン優位」の場合は、持ち前の非言語的な状況察知およびアピールの能力をますます研ぎ澄ます成長を遂げる。
行動は悉く「その場の状況で非言語的に有利な立場になる」ことを目的とし、徹底的に場当たり的、瞬間に生きる。
合理的な思考はあっさり捨てられ、ついさっきの瞬間の行動と今の行動とがまったく首尾一貫しないことに頓着しない。過去は振り返らず、学習もせず、「責任」も認識しない。
すべては「結果」であり、「メリット」は認識しても、「意味」は理解しない。
「他者」を実感することは無く、他者は「(無生物的な)状況」の一部でしかない。
一貫した「自分」は存在せず、その場で力を持った中心人物に巧みに非言語的な能力を駆使して依存し、自分の優位を保つことだけを追求する。
合理的、一貫した思考自体が無いから悩むことも無い。自己突っ込みも無い。逆にうまく状況をコントロールできない場合は「いじめられている」と認識する。
このタイプは表面上は「ちょっといい加減だが普通の人」である。「とにかく表面的に自分の立場を悪くしない」技術に長けており、「利害が対立する2者の間に立って調整する」職業などでは特に実力を発揮する。
身近な家族やパートナー、子供などの距離で継続的に接すると、その首尾一貫性の無さの結果、周囲はボロボロに傷つく。
人を人とも思わない。ただその場で自分に有利に「利用」しているだけで、利用価値が有るか無いかだけが関心事だ。発言も考えも行動も状況に応じてころころ変わり、「自分が無い」ために、本人に「責任」や「誠意」を求める身近な人は非常に空しい思いをし続ける。
本人は合理的、継続的、一貫して考えないため、自分の問題に気づくことも稀で、むしろ「うまくやっている」と認識している。
唯一の壁は、人生の中で、「親としての責任」と「パートナーとしての責任」などの「責任」を問われる場合だ。
「責任」の意味すら認識できず、のらりくらりその場の機嫌取りを続けるため、「無責任」「誠意に欠ける」と見なされ、身近な他者から見放される。
その結果、別の共依存相手を探して同じプロセスを続けるか、あるいは問題を自覚的に認識できないままに身体症状やうつ状態となる。
「自己愛性人格障害」あるいは「精神病質」と呼ばれる人の一部はこの「依存型ジャイアン」で説明できると私は考えている。
前記のA1「言語的非言語的器用」およびA2「言語的器用非言語的不器用」のケースが、徹底的に筋を通した厳格な言語的しつけの環境で育てられ、非言語的なアピールを一切無視された場合、ジャイアンの子供は「超合理的強迫的ジャイアン」へと成育する。
「合理的なジャイアン優位」の場合は、ジャイアン本人の(屁)理屈が評価されて、持ち前の超合理的思考能力をますます研ぎ澄ます成長を遂げる。世の中のすべての現象を合理的な理屈だけで裁き、自分にも他人にも異常に厳しい強迫的なジャイアンの誕生だ。
5歳よりも以前から激しい自己突っ込みに悩まされ、他者と自分を責め続ける人生になる。自己突っ込みが激しいために「先延ばし」が習慣化し、自分を誤魔化す「ファンタジー」を操ったり、世間に出ていろいろ評価される責任を回避するために、「(狐と葡萄的な)引きこもりを正当化する理論」を構築したりする。また言行不一致の他者を激しく攻撃し、一切の容赦をしない。世間の不合理を許せず、「戦い」続ける。
成育過程で非言語的な関わりを捨てて生きてきたため、他者と情緒的に関わることが出来ず、誰からも非言語的に救われる可能性が存在せず、同情されるとなお傷つく。「砂漠のライオン」の生き方だ。
このタイプは合理的で、強迫的な努力をするため、能力を生かす一定の環境に恵まれれば、「自分にも他人にも厳しい極端な努力家」にはなり得る。
他方環境に恵まれないと、周囲に当り散らし、自分を責め続け、身体症状に悩まされ、先延ばしの中でうつ病やアルコールなどのアディクションになったり、現実逃避的なファンタジーや自分に都合が良い妄想の中に身を投じたりすることすらある。
一般世間では「モラハラ」やパワーハラスメントの加害者となったり、権力欲の塊のような生き方も帰結するだろう。
このタイプは身体症状やうつ状態で心療内科を受診する。しかし医師を馬鹿にして治療が中断することが多い。合理性において自分よりも上で、本人を納得させられる理論を持っている相手だけに聞く耳を持つ。
だが最終的には合理性のおかげで「不利なことでも認めるしかない」と理解することが可能だ。だから私はこのタイプは私を蹴飛ばして治療を離脱しても、その後さらに追い詰められて自分を見つめる時期が来て戻ってくるときは歓迎することにしている。
さてジャイアンの乳幼児の最初の環境(生後半年からおそらく3歳程度まで)で、前述のどちらの能力を軸にして生きていくかという生き方の方向性が決定される。即ち、甘えてわがままを通してもらえる環境および非言語的に威圧される環境では「非言語的状況察知能力」を軸とした成育の道へ、逆に例外を認めず徹底して合理的にしつけられる環境では「超合理的思考能力」を軸に成育することになる。
上記の二つをうまくブレンドした環境であったらどうなるか? という問題を考えることは非常に有益である。その場合に予想されることは、「合理的な筋を通したしつけと非言語的なフォローを同時に使いながら、かつジャイアンの子供に主導権を奪われないで養育することは非常に困難」という事態が生じるだろう。
即ち、幼いジャイアンはこの段階で「合理的な筋」に対しては非言語的な甘えや大泣きなどで対抗し、非言語的な「圧力」には特有の屁理屈の「筋」で反論して、結局親のほうがコントロールされる可能性が大であるからだ。ジャイアンは子供ながらに中心志向からくる強迫性を持ち、(じゃんけんで負けることさえ許されない)一番の優位や自分だけへの注目を集めるためには「手段を選ばない」のだ。
結局親の側が完全にコントロールされないためには、「問答無用の合理的な筋を通したしつけ」か、「非言語的に威圧して従わせる」のかどちらかにならざるを得ないのだと私は考える。特にIQの高いジャイアンの場合はこの傾向が極端になるだろう。
ここで重要なことは、おそらく多数派の子供の場合には、「そこまで優位を確認する必要も無く、そこまで非言語的な周囲の全員からの関心を確認する必要も無い」ということだ、ジャイアンの子供はどちらかを結果として確実にゲットしないでは居られない不安定性を持っているのだ。
前記の能力別で考えると、実はA4「言語的非言語的不器用」のパターンは親から見て一番育てやすいことになる。ただ逆にジャイアンの子供本人は自己評価が低下し、情緒障害的に養育過程のかなり早期に後述の「ジャイアンAC」への道をたどるだろう。
A2「言語的器用非言語的不器用」に対して非言語的に威圧した場合、A3「言語的不器用非言語的器用」に徹底した合理的なしつけをした場合も同様に自己評価の低下と情緒障害を伴うACへの道の可能性が高い。
A1「言語的非言語的器用」の場合は、上記のどちらかの極端の養育となり、またA2「言語的器用非言語的不器用」を合理的にしつけた場合、A3「言語的器用非言語的不器用」を非言語的にフォローしたり威圧した場合、結果として生じる環境との相互関係の組み合わせは、①非言語的なジャイアン優位、②合理的なジャイアン優位、③合理的な親優位、④非言語的な親優位、の4つのパターンとなる。
ジャイアンは誕生と同時に、「周囲の人間が自分に関心を持っているかどうかを見分ける能力」を持っている。これを「非言語的状況察知能力」と呼ぼう。また環境によっては合理的な時に「屁理屈」になるような徹底した理屈を言う能力も持っている。これを「超合理的思考能力」と呼ぼう。
もうひとつ、その特有の精神的な不安定さから、「形のあるものの中での一番になる、優位に立つ」か、「自分が一番注目される」かを強迫的に(死に物狂いに)求める傾向を持っている。これを「中心志向」と呼ぼう。
これがジャイアンの乳幼児の出発点だ。この3つのポイントはすべてのジャイアンに共通している。
ただこの段階で、(言語的、動作性IQに部分的に関係する)「言語的、非言語的な受信と発信の能力の多寡」という個人差が存在する。この段階で、「能力」というファクターで、全ジャイアンは、非言語的に「器用なジャイアン」と「不器用なジャイアン」に分かれる。
たとえば非言語的に器用なジャイアンは、後に「依存型ジャイアン」として、徹底的に場当たり的に主に非言語的に周囲の空気を読みながら、周囲に合わせて、自分も非言語的な能力をフルに活用して、「その場だけで表面的に乗り切り続けながら生きる」という形に成長しうる可能性を持つ。逆に非言語的に不器用なジャイアンはこの形で成長することが能力的に不可能となる。
他方、もちろん「合理的思考も得意でなく非言語的にも不器用」という場合も考えられ、能力の面では、A1「言語的非言語的器用」、A2「言語的器用非言語的不器用」A3「言語的不器用非言語的器用」、A4「言語的非言語的不器用」の4つのパターンが考えられることになる。
さてジャイアンの成育の根本特徴は、実はこの二つの能力、「非言語的状況察知能力」と「超合理的思考能力」がうまく調整されないで、「どちらか一方が突出する形で成育する」ということにある。
この原因は「中心志向からくる強迫性」であると私は考える。即ち、いずれにしてもジャイアンは「確実に(一番の優位もしくは自分が中心という)結果をゲットしなければならない」という中心志向の強迫性を持つために、多数派のように「周囲とのバランスで適度に非言語的に適度に合理的に」生きていく選択肢が最初から無いのだ。
ジャイアンには慢性関節リウマチやSLEなどの自己免疫疾患が有意に多いという臨床的な実感を前に書いたが、実は耐糖能異常もよくみられる。
もともとジャイアンには依存的傾向があり、過食傾向から二次的に糖尿病的になる可能性も当然考えられる。実際見た目も関係するので、摂食障害にはジャイアンは非常に多い。
それとは別に、十代でもNIDDMのケースがあり、何かベースに自己免疫的な全身疾患がありそうな耐糖能異常がちょくちょく見られる。
あるケースは食後血糖が異常に早く下がり、インスリン分泌が有意に多く内科からも首を傾げられている。その原因か結果か、本人は甘いものを異常に食べ続けている。
別のケースは極端なダイエットから血糖コントロールに失調を来たし、しばらく入院となった。
血糖も中性脂肪も普通の検査値とは桁外れに異常に高くなり、かと思うと急速に正常化したりする。
私自身も、朝はしっかり食べるが、昼食抜きでほぼ毎日大体12時間ぶっ通しで頭を使い続けるが、ほとんどブドウ糖の補給なく(過集中ペースのまま)そのまま過ぎることもあり、逆に突然眠気がきて「これは低血糖か?」ということもある。
車の運転中の眠気には、何故か昔からある「ボンタン飴」を私は愛用している。
自己免疫疾患とともに、耐糖能とインスリン分泌の変動がジャイアンの遺伝子には一まとまりで乗っかっているのではないか?
あるいは逆に、「自己突っ込み」という尋常でないストレスのせいで、自分自身の組織に免疫システムが誤作動するような別のストレス反応のメカニズムを想定するべきなのか?
いずれにしても、重要な臨床的な関連であると想像している。
ASはプロセスを求める。ADHDは結果しか興味がない。
特に積極奇異型AS-依存型ジャイアンカップルでは、AS側が辛い。AS的に愛着の対象に対して一貫した何かを求めるほど、依存型ジャイアンの場当たり的な「自分の無さ」に絶望的に苦しむだろう。
ASは「愛着の対象が自分を理解できない」ことを想像も出来ない。第一感、「自分を100パーセント分かってくれていることは当たり前」 ということになる。だから少しでも「理解されていない」ことがあるとひどくショックを受けることになる。
対して依存型ジャイアンは、場当たり的にその場その場の相手に合わせているだけで、一貫した自分の考えも無く、結局責任も負えない。ただ「非言語的な表面的なその場だけのフォロー」は得意なので、積極奇異型ASやジャイアンが引っかかる。
依存型ジャイアンこそ、「究極の結果主義」だ。「相手が怒り出さなければ良い」 「利用できる関係を維持できれば良い」という結果だけが大事で、そのためには極端な話「手段を選ばない」。
だから依存型ジャイアンをコントロールするには、「怒って見せたり喜んで見せたりしながら、表面的に非言語的な対応を引き出し続ける」というようなことになる。
言語的に説得するとすれば、「話を聞いてもらうこと自体が目的だ」 と説明することになる。「結果」として話を聞くことに相手にとっての「意味がある」ことを認識すれば、依存型ジャイアンは巧みに合わせて、(実際は表面上でしかないのなだが)「話を聞く」ようにすることは出来るだろう。
AS側には、私は「100パーセント理解した結果を求めると不幸な結果になるので、理解しようと相手が努力していることで妥協するように」と勧めている。
「ともに考える」ことはプロセスと結果をギリギリ両立させる数少ない道であるのだ。
沖縄県中のハローワークで、精神障害者保健福祉手帳を持った人に、2月2日から募集が始まった職業訓練校の願書を渡さない(県の職業訓練校からの精神障害者保健福祉手帳を持つことを根拠とした精神障害者締め出し)という人権問題があり、最近これにかかりっきりになっている。
県庁雇用労政課に福祉や障害・人権について知識とセンスの乏しい人が居て、その人の暴走を誰もチェックしきれず、その結果窓口での出願制限という大変な人権問題が起こっているということだと私は理解している。
私は自分の外来の当事者から聞いてこのことを前から知っていた。自分で雇用労政課やハローワークに聞いてみたら、どうやら大変なことが起こりそうだということが分かり、募集当日の2日に、急ぎ人権派の弁護士さんと県の家族会、支援センターなどと一緒に県庁に赴き、県雇用労政課からの説明の中で「非開示で一般クラスに応募することはOK」という発言を取り付けた。
これで一安心と思いきや、この担当者の説明が沖縄労働局にきちんと伝わっていないために、沖縄労働局は窓口での願書差し止め指示を解除せず、出願2日目の本日も精神の手帳保持者はハローワークで願書を受け取ることも出来ないままだ。
これまで地元紙一紙と全国紙一紙に情報提供してきたが、昨日から地元テレビ局が興味を示してくれて、明日は当事者の取材がある。
私は過集中状態になっていることは分かっているが、いつも相談する相手には何度も助言を仰いでいる。
県庁雇用労政課は1月になってから突然精神障害者締め出しの方針を打ち出し、ハローワークや労働局も対応できないほど急な話だった。私は可能な限りの知恵とネットワークで可能な限り迅速に動き、今回の募集が終わらないうちに方針を覆そうと動いている。
これはジャイアンの過集中を使わないと間に合わない事態だろう。ここまで突っ込んで動くのも発達障害しか居ないかもしれない。
こういう場合にはジャイアンは必要で、逆にこういう場面こそジャイアン過集中を使う場面だと思う。
実はあと二つ、「とんでもないひどい小学校の校長」と、「とんでもない精神障害者いじめをする福祉事務所」という話もあるのだが、これもボチボチ弁護士さんとマスコミに持ち込もうかと考えている。
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