2009.01.10 16:30 |  診療  |  研究  |  その他(医療関連)  |  ADHD関連  |  AS(アスペルガー)関連  |  YANBARU  | 推薦数 : 4

ASの「他者への関心」

 自閉症の診断基準には、「他者への関心が乏しく」というような表現が必ずあるが、ASの人本人の主観的な訴えや、それに基づく行動を見る限り、ASの人が他者への関心が乏しいとはとても思えないことが多い。むしろ人を気にしすぎて無視出来ないことがASの辛さであると私は考えている。これはどういうことだろうか?

 私は主に知的障害の無い言語的に表現できるASの人から話を聞く事が多く、聞いた内容から考えると、ASは、「人を非常に近く感じる」ということが認知の特徴ということになる。

 言葉を文字通りに受け取ったり、AS的な独特の受け取り方をするではあるが、本人の証言を聞く限り「人を気にしていない」ということとは程遠いように思う。

 もしかすると、自閉症圏の人は「人が気になる、人に関心がある」ことになっていない!ということか?。本人は自覚的には非常に他者に関心があるのだが、自分の観点から以外に物事を見ることが出来ないので、本来の(多数派流の)「人に対する関心」になり得ていない、という意味か?。

 本人が気にしている「人」は所詮ASが自己完結的自己中心的な世界の中で勝手に作り上げた想像上の他者でしかなく、客観的に存在する本物の周囲の生きた人間のことではない?

 そこまで考えれば、確かにASも自閉症と同様に(多数派流の)他者への関心は「非常に乏しい」という意味にはなりはする。ただし「相手(多数派)側から見た基準」であるので、非常に乱暴なものであることは注意が必要だろう。

 例えば、この中には「多数派と同じような状況察知が出来ない」というケースの他に、「多数派に合わせる必要自体を認識しない」というケースも当然含まれてくるだろう。この2つは私には非常に大きな違いがあると思える。

 対してADHDは、主観的にも他者への関心が乏しい。 確かに多数派と似た情報の認知は表面上可能ではあるが、目に見えない「空気」までは察知は出来ず、また重要なことは自覚的な関心自体が乏しいことだ。この意味でははるかに「自閉的」である。

 もともと言葉を発するのが困難な自閉症の人を外から見て作られていることが元であるからかも知れないが、本人の訴えを聞く限り、「ASは周囲の人に関心が無い」というのは当てはまらないように私は考える。逆に関心がありすぎて苦しんでいる人が多いというのが私の臨床的な実感だ。

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