例えばジャイアンが受動型ASを「利用」したとする。それを受動型ASが「必要とされている」と勘違いするという問題がある。この問題はもしかすると普遍的に起こり続けている大問題のような気がするので、細かく検討しておこう。
前回詳述したように、ジャイアン側からは、ジャイアンとして自己責任たるべきことを丸投げして後から合理的な自己突っ込みが生じなければ「利用」で問題ない。これは比較的はっきりしている。
受動型ASの場合は、本来「利用」は自覚的にはすることもされることも嫌うが、相手によって「利用」に反応する場合と反応しない場合がある。
A.愛着の対象の場合、「利用」と分かると傷つく。単なる「利用」だった場合、「必要」であるかどうかを確認せざるを得なくなる。「利用に過ぎない」状況証拠の一つでもあったら最後、受動型ASから「私のことは必要ではないの?」という主に非言語的な「試し行動」が繰り返されジャイアンが揺さぶられることになる。
B.愛着で無い場合は利用されてもそのまま情緒的にマイナスは無い。
以前にも述べたが、依存型ジャイアンと(ボーダー型)受動型ASは表面的には非常にうまく行く。両方とも状況察知はかなり出来て、非言語的な手段をある程度使えるからだ。
しかし依存型ジャイアンは非言語的な手段を伴ってはいるが、「人は必要とせず相手は利用価値でしかない」というジャイアン独特の原則は同様で、結局長期的にみれば、「自分が有利になるために利用する」という正体が簡単にバレてしまう。
対して受動型ASは依存するために「自分を必要としてくれる相手を探す」という意味では実は利用と何も変わらないと私は思うが、受動型AS本人は表面に感じる非言語的なやり取りがあるから、(そうと指摘されなければ)「利用」とは認識しない。
浮気や子供の教育問題などの「責任」が問題になる場面になると、今度は「子供のことはお前に任せていた」等の露骨に無責任な態度が依存型ジャイアンから出てくるので、受動型ASは依存を続けられなくなり、関係は崩壊する。
ジャイアンからは最初から「利用」でしかなかった。それを受動型ASは表面上の非言語的なやり取りから「愛情」であると「誤解」して、依存していただけであったことが露呈したということだ。
不可能な幻想ならば、はじめから持たない方が良いと私は考える。
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