ジャイアン親の「愛情」について重要なことは、「実際にそういった感情が存在するか」ではなく、「子供の側から見て「愛情」と呼べるのものであるかどうか」にあると私は思う。
例えばジャイアン母がAS夫の愛着を争って子供に妬みの感情を抱くような場合、仮に同時に娘への「愛情」が存在したとして、それを娘はどう受け取ったら良いのか?ということを考えると分かりやすい。
「あなたのことは娘としては愛していますよ」「お父さんと仲良くしているときのあなたは憎い」というメッセージが両方あったとして、言語的と非言語的と分かれたり、また断続的に入れ替わったりしている状況で、娘は「愛されている」と感じることが出来るだろうか?
ここで娘がジャイアンであるかどうかによって意味合いが異なってくるのであるが、ジャイアンの娘は一方で自分に向けられる親ジャイアンのエゴを見た場合には、それとは別に「愛情」を認識することは出来ないだろう。
子ジャイアンの側はこの矛盾を無理やりに説明するために「自分が悪い」という子供なりの説明を考え出して学童期に至る前から重症のACや解離性同一性障害、摂食障害など病的な状態になる場合もあると思うし、「親にはカネだけ出してもらえば」と割り切るケースもあるだろう。
だから結果的に振り返れば、「親の愛情など無かった」と考えるほうが子ジャイアンには実践的にプラスだと私は思う。「親ジャイアンが不安にならない限り」の条件付きの「愛情」など、子ジャイアンから見ればとても「愛情」と呼べるものではないからだ。
このことを見渡した上で親の立場に戻った場合、相手が子供だろうが激しい妬み感情を抱いてしまう脳の醜さを持った段階で、「愛情」などという高尚な言葉を口にすることは出来ないと謙虚に考えるべきであるという結論が出てくる。
子供に金銭的、生活の保障、成長に協力するという現実的な形で「喜んで利用される」のが一番害が少ないのだ。
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