2008.11.28 19:43 |  診療  |  研究  |  その他(医療関連)  |  ADHD関連  |  AC、人格障害関連  |  YANBARU  | 推薦数 : 2

「依存」と「丸投げ」

 私が依存型ジャイアンをジャイアン本流から一亜系に分離したのは、「(合理的な)自己突っ込みが無い」というADHD本体とも異なる大きな特徴からだった。

 「主に非言語的なウラの表現と手段ばかり使い、合理的な思考をしない」ために自己突っ込みが生じない。

 その結果「その場その場で場当たり的に周囲をコントロールして、自分の考えは無い」という見掛けを呈する。これは受動型ASと非常に良く似ているので、区別が難しい面がある。

 このタイプは結果としては「境界性人格障害(ボーダー)」様という見掛けになる。このタイプを「ボーダー型」と呼ぶことにしよう。

 対して、動作性IQの低いケースなどで、「合理的に考えないだけで、実は非言語的な操作は大して使えないのに、極端な行動化や脅しなどの強引で異常な方法で周囲をコントロールしようとする」という別のタイプもいる。

 このタイプは不器用なので見かけは「ボーダー」っぽくは無い。思考も断片的なので自己突っ込みがあっても「自分の思い通りにならなくて切れているだけ」、「単発的で衝動的」という形になっている。このタイプを「丸投げ型」と呼ぶことにしよう。

 非言語的な周囲の「操作」が巧みであるか否かの違いによって外見は大きく違って来るが、この二者は「合理的に考えない」「責任転嫁」という大きな特徴で共通する。

 合理的に考えないから他者からきちんと一見不利な表現で重要な「本当の」指摘をされてもその意味が理解できず、最初は懐柔しようと下手に出て同情を買いに行くが、それが通じないと激しく「逆切れ」して相手を攻撃する。

 自分の責任をきちんと自覚しないから、周囲の人の批判ばかりに終始し、自分の問題に直面することから逃げ続ける。

 断片的な中心志向、エゴからの自己突っ込みはあったとしても、本当に必要な「合理的な自己突っ込み」は機能しないので、「同情を買いに擦り寄る→無責任さを指摘される→逆切れして相手を攻撃する」ことを延々と繰り返す。

 根本的な問題は繰り返しになるが「合理的に考えられない」ことだ。合理的な自己突っ込みに身をさらすことは非常に辛いが、それがあってこそジャイアンは人に迷惑をかけないで生きていける。

 合理的に考えても人に迷惑をかける醜い存在であることは打ち消せないが、合理的な自己突っ込みがあることでまだしも減らす努力は続けられる。悲しいがこれが「本当のこと」であるのだ。

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 以前にも書いたことがあったが、ジャイアンの解離性同一性障害は時々見られる。明らかな「多重人格」と言われるようなケースは、当然ながらどの人格もADHDで、ただジャイアンACであったり、合理的だったり、凶暴なジャイアンだったりする。

 ただしもともとジャイアンはジーキルとハイドのように本来の人格からバラバラな面があり、もう一つ「過集中状態と普段の状態」も全く違う。過集中状態はほとんどASと変わらない関連付け思考になったりする。

 だからこのもともとの解離しているような一貫性の無さや相容れない部分を持つことと解離を厳密に区別することは容易では無いだろう。

 解離の一つの成立機序としては、「親のASの支配と愛着」がある。強烈な愛着を向けられて、非言語的なフォローのaddiction(依存症)になっている状態で、逆にAS親の支配のためにジャイアン的な攻撃性を一切出せない環境で成育した場合、子ジャイアンは「自分の攻撃性を抑え込んで表向きは自己主張をしないで非言語的な手段だけでASを逆にコントロールして事実上の主導権を握る」という生き方をインストールする。

 この場合現実的には周囲のASを自由にコントロール出来て不適応が表面化しないで経過することもあるが、現実の経過の中でジャイアンの「怒り」が生じる事態になると、この怒り、攻撃性が抑え切れないで「別人格」として出てくると私は想像している。

 ケアは神田橋條治先生の「どの人格が出てきても同じように対応して人格同士の境界をあいまいにして行く」という方針に習い、私は解離をほぼ無視して同じように対応しながら、結局攻撃性を発揮出来ないでいる主人格に「攻撃性を出せ」という方向性で主人格の成長(アファーメーションという表現もあるが)を図るということになる。

 ジャイアンであること、攻撃性が自分の中にあることを率直に認識し、自己突っ込みに耐えながら、醜い自己中心的な脳とそれなりに付き合って行くスタイルを確立し、努力して現実的にある程度の実績を積み重ねれば、解離は不要となり影をひそめて行くだろうと想像している。

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 自覚していないジャイアンでは身体化症状(いわゆるヒステリー症状)も良く見られる。

 親やパートナーが非常に優しくてなんでもしてくれる場合に、本人の自覚症状としては「力が入らない」「意欲が出ない」という形でどんどん日常生活動作が出来なくなる。

 不思議なのは、「左側の(左下肢、左上肢、左半身全体など)脱力」という左側の異常が多いことだ。

 ジャイアンの示す「病態」は、どれも基本的に非常に「単純で分かりやすい」という特徴がある。「教科書的」で例題になるような(見え見えの)タイミングと典型的な症状になることが多い。

 本人の自覚としては「自分ですることに全く意欲が出ない」か、または全く無自覚に「体が動かない」という身体の症状だけとして体験され、表面上の結果は「やってくれるから丸投げする」という形となる。

 「優しい相手」は実は(皆さんご想像のとおり)受動型ASと依存型ジャイアンが多い。いずれも「本人が自発的に動くとケチをつけたり非言語的にいやな顔をする」一方で、共依存的に「相手にとって自分が必要」 なので相手自身は活き活きとしていることが多い。(そのくせ言語的には自分の優位を主張してジャイアンを非難するのだが)。

 共依存の一症状として依存性を持つジャイアンが動けなくなっている状態は、この意味では「共依存という関係性の直接の帰結」であり、真相は「相手も一部は悪い」ということになる。

 ジャイアンにとって甘やかされる状態はかくも危険であるのだ。

 治療は、依存にはまり込もうとしているジャイアンに「合理的思考」を呼び覚ますことにある。依存は楽ではあるが、結果的に自分が仕切れないことは本来自由と自立を愛するジャイアンにとっては身体症状の原因ともなり、自己突っ込みのある場合には激しい自己突っ込みに苛まれることになるからだ。

 合理的に考え、「自分の頭を使う」ことが出来ると徐々に体が動くようになり、本人は徐々に活気を取り戻す。ただしその結果共依存の関係は揺らぎ始め、相手にジャイアン的に文句を言うようになる。 

 相手が受動型ASの場合には「ジャイアンからの自分を必要とする状態」も不明確になり、また、ジャイアンが復活して優位を主張するようになると自分が不安になるので、非言語的なあらゆる手を尽くしてジャイアンを共依存に戻そうと抵抗することが多い。「これぞウィルス」と私は思う。

 相手が依存型ジャイアンの場合は優位に立てなくなるために、これもまた同様の非言語的な手段を駆使して被害者のジャイアンを不安にして共依存に戻そうとするか、または露骨につぶしにかかるということになる。 

 それに負けないで「合理的に考え続ける」ことが病理からの脱出の最大のポイントだ。

 見かけは「うつ」のように見えて、実は身体化症状であるという可能性を治療者は想像する必要がある。 

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 前に述べたのと逆のケース(動作性IQ>>言語性IQ)のケースは、実は「学習障害」を除けば「受動型AS」、「依存型ジャイアン」が多い様に思う。

 発達障害でありながら「器用」で、スポーツも出来ることが多く、例えば「ちょっと見ていただけですぐに上手な人と同様にプレーできる」と言った特徴を持つ。

 受動型ASの本人に聞くと、「考える前に分かる」と言ったりする。直感的に「分かって」居るから考える必要も無いわけだ。

 こういう受動型ASの場合では、世間的には表面上非常に穏やかで、周囲にうまく合わせるから適応も良く、企業の幹部まで出世するケースもある。愛着のある家族やパートナーに対しての極端な支配的で依存的な態度を見なかったら全く「表面上は普通の人」という印象になる。

 周囲の人の顔色や表情を読み、巧みに立ち回る能力は厳密には分からないが動作性のIQと相関するのだろう。
 ジャイアンの場合でさえ、直感的に状況を読み、自分のほうからも非言語的な「操作」によって実際に対人関係をコントロールすることが出来るようになるケースもある。これが「依存型ジャイアン」である。

 対して先に述べた「言語性>>動作性」ケースは、ジャイアンの場合だったとして、親から例えばAS父親から「表面上反抗しない条件での愛着」、同時にジャイアンACの母親から「母親としての愛情とAS父親の愛着のライバルとしての憎しみ」などを向けられた場合でも、結局状況は読めないままで、へ理屈を言って反抗するくらいしか出来ない。依存型ジャイアンに「なれない」と考えられる。

 動作性IQが高い場合には、上記のような環境では、「可愛げな表情でAS父親の愛着をコントロールして、不安げな表情でジャイアンACの母親の不安をかき立ててけん制しコントロールする」ような非言語的なやり取りの術に長けていく。

 依存型ジャイアンにとっては、ちょっと表情を変えるだけで親は自由にコントロール出来て、どんなことでも尻拭いさせて自分は責任を負わなくて良い。

 そういうプロセスの中で「(合理的に)頭を使わなくなる」というスタイルが完成する。頭を使わないから恐ろしい「自己突っ込み」からも逃れられるのだ。

 頭を使わず非言語的な「操作」だけで対人関係をコントロールしていく結果、「コロコロ変わる」という見掛けになる。その場その場で相手に合わせるので、通常表面上は不適応とならないが、近い家族やパートナーから見ると異常に主体性の無いスタイルとして正体がバレる。

 非常に表面上は似ていながら、受動型ASは「そもそも自分が無いから」、依存型ジャイアンは「合理的な思考を止めているから」という異なった理由でいずれも「境界性人格障害」様の行動パターンを身につける結果になる。
 

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2008.11.18 20:06 |  診療  |  研究  |  その他(医療関連)  |  ADHD関連  |  AS(アスペルガー)関連  |  YANBARU  | 推薦数 : 3

ジャイアンの妄想

 ジャイアンにはもともと「自我が拡大」「誇大妄想」と表現されうるような自意識過剰気味の関係念慮が見られる。過集中状態などの場面で、世界中の現象が自分に関係がある、自分に向けられていると思い込むことがある。このせいでよく「統合失調症」と間違えられる結果になる。

 また、「ファンタジー」もある。(自分でなくて)他の人が賞賛されていると、その賞賛されている人を貶めるような醜いファンタジーで頭がいっぱいになる。しかし通常ファンタジーは口に出すことは無い。

 もう一つ、「妄想性障害」に間違えられる(診断されうる)ケースがある。「不安から、その不安を妄想的に責任転嫁するファンタジーが確信されるに至り、本人も思い込んで公言してしまう」パターンだ。

 例えば現実の家族関係や仕事の関係で自分がこれまで優位を保っていたのが現実的な事情で優位に立てなくなった場合や、依存していた相手が自分に一番の関心を向けてくれなくなった場合に、多くはパートナーに対して相手が「浮気をしている」等の妄想を抱く。実際に浮気相手と思い込んだ相手を攻撃もする。

 確信しているような言い方をすることが多いが、本当に(素行調査やDNA鑑定等の)法的・客観的な確認をする場面になるとしぶることも多い。うすうすは思い込みかもしれないと感じて、実際に調べて相手が「シロ」と出たら困るので肝心なところでは調べないのだろう。

 要は自分を不安にする事態を自分の問題ではなく相手のせいにする「責任の病的な丸投げ」という意味があると私は考えている。

 ASにも似たような「相手が悪い」という発想があるが、ASの場合の「評価や判断の基準自体が自分の価値観から一歩も出ていないから」相手が悪いという話になる。そもそも「どこまで行っても自分自信が当たり前」なので、「人が間違っているのに決まっている」わけだ。

 ジャイアンの場合は自分が不安になった場合(依存型ジャイアンの場合は微妙だが)に特に多く見られ、過集中でなく合理的な場面ではむしろ(ファンタジーと同様周囲に見せないけれども)自己突っ込みで自分を責めている。また表面上は多数派に了解も可能であるような表現をとるという違いがある。

 非常に頭が良くてしっかりしているのに妄想だけが訂正不能で治療に難渋する「パラノイア」(妄想性障害)が、不安から自己正当化で妄想的に相手に責任転嫁して丸投げしているジャイアンであると考えると、再インストールで「妄想が劇的に治る」という可能性が想像できなくも無い。
 

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 前述の「言語性IQ >> 動作性IQ」 のケース(言語性優位型と呼ぶことにしよう)に見られる認知と思考・行動の一つの大きな特徴は、「現実的想像力の不足」である。

 例えば将棋などのゲームでは、「自分の指した手と次に相手が指すであろう手、その次に相手は・・・等」と対局の流れを「読む」ということをする。(実は私は相手の手の意図が読めないので単純な駒取りを見逃して飛車を取られたりしてよく負けるのだが)。

 これと同様に、対人関係や社会組織の動きなどにも「自分がこう行動すれば相手はこう」というこれからありうるであろう経過を想像することが行われる。

 上記の「現実の成り行きがこうなるだろう」ということをいろいろ想像する能力を「現実的想像力」と呼ぶことにすると、言語性優位型の人はこれが特に苦手になっていることが多いのだ。

 例えば「先延ばし」の場合でも、「遅れてしまったではあるが、それなりに現実的に解決する」という選択肢の想像が出来ないことで、事態はさらに悪化する。

 逆に言えば、「今日やるならば何で昨日やらなかったか?」というような厳しい自己突っ込みのため、「問題を丸ごと考えること自体を先延ばしにしてしまう」というパターンを繰り返して居るうちに、現実的な「次善の解決」を考えること自体しなくなるという解釈も成り立つだろう。

 行き着く先は、言語性の高い能力を駆使して、「***だから現実に行動しなくてよい」「***だから現実に行動する意味が無い」という立派な理論を構築することになる。現実からのフィードバックの非常に乏しい「引きこもりの理論」の完成である。実にさまざまな理屈がこの引きこもりの正当化に利用されるのは驚きだ。

 ジャイアンは本来、対人関係では直感的には重症のKY(空気が読めない)であるが、何故か自分に有利不利になることだけは感じ取れる。(これを私は「状況理解の非対称性」と呼んでいる)。周囲をよく観察して、このジャイアン独特の感覚をうまく使えば、少なくとも想像の中では将棋の「読み」のような計算が可能だ。

 (私はもっぱらそれを使って仕事をしている)。私自身は成人してから自転車での風来坊生活や海外の一人旅の中で無理矢理に現実の中での体験を積むことを通してこの能力を現実的想像に結びつけることが出来るようになったと思うが、やはり「現実に努力したらうまく行った」という体験が必要だろう。

 逆に言えば、小さい頃に自分で努力して目標を達成して評価され、誉められる体験を積み、「努力家」のスタイルをインストールしておくことがジャイアンにとっては特に重要なのだ。

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2008.11.12 20:38 |  診療  |  研究  |  その他(医療関連)  |  ADHD関連  |  AS(アスペルガー)関連  |  YANBARU  | 推薦数 : 2

動作性IQと言語性IQ

 最近学習障害を疑って最近よくWAISⅢのテストの結果を見るが、発達障害で受診に至る人に共通したパターンがあることに気付いた。

 言語性IQ > 動作性IQ というパターンだ。

 私は実は学生時代に心理テストをまじめに勉強していなかったので、読み方は臨床心理士に教えてもらうしかないが、一緒に説明を聞いているだけでも、本人の認知と行動についていろいろな説明が可能となる。

 例えば、数例見かけるが、「言語性IQが正常よりも高くて、2つの差が異常に大きい」というケースは結果的に引きこもり傾向となり、引きこもりを正当化するような立派な理論体系を持っている。

 これは本人にとっては「常に、考える様には現実はうまく行かない」という結果になるわけで、本人の高い言語性のIQからすると現実の地道な努力やその割に成果が上がらないことなどは認めがたい、理解困難ということになると想像する。

 他方周囲から見た時も、言語性が高いので「分かっている」「賢い」という印象を与えながら、実際の遂行能力は人並みかそれ以下なので、下手をすると「ナメている」とか「怠けている」という風に誤解されることになる。

 本当の意味で「分かっているけれど出来ない」のだ。

 「聞く、話すの学習障害だけ」というケースも気付かれにくい。本人は友達が早口で言ったりすると意味が追えないのだが、「分かった振りをしている」ことが大きな問題だ。読み書きは出来るので、見かけ上は学習障害を疑いにくいが、やはりWAISをやってみるとはっきりする。

 「分からないことは分からないと言いなさい」と中学生に一生懸命説明することが何ケースもあった。

 こういう学習障害は表面上「へらへらしている」ことが多い。逆に「へらへらして箸にも棒にも掛からない」という感じの発達障害は学習障害を疑って知能テストをする必要がある。

 

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 ジャイアン親の「愛情」について重要なことは、「実際にそういった感情が存在するか」ではなく、「子供の側から見て「愛情」と呼べるのものであるかどうか」にあると私は思う。

 例えばジャイアン母がAS夫の愛着を争って子供に妬みの感情を抱くような場合、仮に同時に娘への「愛情」が存在したとして、それを娘はどう受け取ったら良いのか?ということを考えると分かりやすい。

 「あなたのことは娘としては愛していますよ」「お父さんと仲良くしているときのあなたは憎い」というメッセージが両方あったとして、言語的と非言語的と分かれたり、また断続的に入れ替わったりしている状況で、娘は「愛されている」と感じることが出来るだろうか?

 ここで娘がジャイアンであるかどうかによって意味合いが異なってくるのであるが、ジャイアンの娘は一方で自分に向けられる親ジャイアンのエゴを見た場合には、それとは別に「愛情」を認識することは出来ないだろう。

 子ジャイアンの側はこの矛盾を無理やりに説明するために「自分が悪い」という子供なりの説明を考え出して学童期に至る前から重症のACや解離性同一性障害、摂食障害など病的な状態になる場合もあると思うし、「親にはカネだけ出してもらえば」と割り切るケースもあるだろう。

 だから結果的に振り返れば、「親の愛情など無かった」と考えるほうが子ジャイアンには実践的にプラスだと私は思う。「親ジャイアンが不安にならない限り」の条件付きの「愛情」など、子ジャイアンから見ればとても「愛情」と呼べるものではないからだ。

 このことを見渡した上で親の立場に戻った場合、相手が子供だろうが激しい妬み感情を抱いてしまう脳の醜さを持った段階で、「愛情」などという高尚な言葉を口にすることは出来ないと謙虚に考えるべきであるという結論が出てくる。

 子供に金銭的、生活の保障、成長に協力するという現実的な形で「喜んで利用される」のが一番害が少ないのだ。 

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(このところ非常にシビアーな話ばかりで読んで楽しくないとは思いますが、どれも残念ながら 「事実」なので書いていきます)。
 最近のコメントの中に印象深い発言があったが、発達障害の親で子供の養育に支出したお金について恩を着せるケースがしばしばある。

 本来子供の養育は憲法上も親の義務で、親がお金を出すのは(子供が何歳までかという議論は別として)一般的には当たり前だろう。

 ジャイアンの親の一部に、ことある毎に「カネを出してやった」と恩を着せる言い方をするケースがある。私の考えではこれは「その場で子供に対して優位を保ちたい」という表面的な意味だと思う。

 ただ子供も正直なADHDやASであると、「返さなければならない」と真に受けたり、また「恩を着せられる自体ムカつくから意地でも返しておく」というケースもあるだろう。

 いくつかのコメントにもあったが、親自身が幼少期に経済的に苦しくて、親自身の親から出してもらってない場合など、「子供に対して妬む」という醜い心理もジャイアンにはある。

 しかしジャイアンは「もともと出さないのが当たり前」と思っている訳ではない。

 これに対して、親がASで子供に愛着が無い場合、本当に「(子供のためでも)一銭もカネを出したくない」という心理が存在する。

 もともとASには、「自分のお金」に対して非常に強い執着がある。結婚したパートナーにも一定の生活費だけを渡し収入明細を決して見せなかったり(これはジャイアンにもあるが)することは珍しくない。

 またASには「愛情をカネで量る」ような心理もよく見られ、愛着の親からカネを出させることに強硬にこだわったりする。

 子供に愛着があった場合は、甘やかすほど無制限にお金を費やすが、逆に愛着の無い子供には、第三者の目がある場合などを除き一切お金を出そうとしないので、そういう場合に後から、(愛着の兄弟と比べればほんの少しの出費でも)、「こんなに出してやったのに」という心からの発言が出てくることになる。

 この発言は思い切り非言語的な(愛着の無い子供への嫌悪感からの)圧力も伴うので、子供がジャイアンやこの親に愛着があるASの場合は悲惨な状況になる。

 ついでにパートナーが依存型ジャイアンでASに依存していたりすると、この不条理なASの態度をそのままパートナーからも肯定して、(子供に対して)「あなたが悪いのよ」と言うことになる。

 子供がある程度の年齢に達するまで経済的にサポートすることは親の義務で、これに恩を着せるような発言を聞いても、子供の立場からは「間違っている」と断定して良いと私は思う。
 ついでに「お金を出して育てたのだから老後の介護もしろ」というのも「大間違いだ」と考えて良いと私は思う.

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