私は昔英語の授業について「何でアメリカ人の習慣を勉強する必要があるか?」という根本的な疑問を持って英語の勉強をするのに気が進まなかった記憶がある。
発達障害は自分が納得するようにしか生きられない。だから、(言語的に明確に説明された)「意義」や「目的」が必要だ。英語は何のために勉強するか?、そもそも学校がある意味があるのか?、自分がこの世の中にいる意味は? など、多数派の人には思いもよらないことで当たり前に悩む。
運動会は何のためにあるか?、リレーにはどんな意義があるか?、一番になることにどんな意味があるか? 私はぜんぜん意味が分からないままただ言われるままに参加してきたが、もしも事前に私が納得できる意味を説明してくれたら(自分が納得することの重要性にもっと早くに気づき自分で調べるなどしていたら)参加の仕方が全く違ったに違いないと思う。
どうしても勉強に身が入らないときは、何とかして自分自身の興味のあるものと勉強することを無理矢理にでも「イメージ的に結びつける」。
例えば私の場合は「シェークスピアやバーナードショーなどの作品を原語で読める」という風に無理矢理考えて英語の勉強をしていた。
だから発達障害の学童で宿題をしないという場合には、「宿題と言うものが何であるか?」という説明からするべきであると私は思う。逆に考えて、意義も説明されないままに無批判に従える多数派のほうが不思議な気がするとも思えるのだが。
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