2008.08.18 01:24 |  診療  |  研究  |  その他(医療関連)  |  ADHD関連  |  AS(アスペルガー)関連  |  YANBARU  | 推薦数 : 3

ASと「社会全体」

 積極奇異型ASの場合に、小学校4年くらいになると、「廊下を走る(ルール違反をする)人が居る自体ストレス」と言うのがよく見られる。
 また受動型ASは、「社会全体が自分を理解しない」とか「社会全体から迫害されている」という発想によくなる。
 これらから推測してASにとっては、常に「社会全体が相手」という認知と思考の特徴があるように思う。
 自分と「社会全体」があり、(特に受動型ASには)それが平和に一致しているか、または決裂状態にあるかどちらかしかない。

 無理に説明をしようとすれば、「関連付け思考」の結果、ASの認識の細密画の一方の端がぼやけていることは許されないので、どんなに遠い社会の果てでも明確に白か黒かになっている必要があると説明は出来ないことは無いが。

 ジャイアンから見ると、「常に社会全体を相手にしている」というのは、「誇大的、自意識過剰もいいところ」という風に映る。(これは多数派から見ても同様になるはずだ。もっとも多数派はそう思っても言わないだろうが)。
 例えば、「社会全体が自分を受け入れるはずだ」と考えれば明らかに誇大的となるし、逆に受け入れないと言えば被害妄想になる。

 「理解不可能なことの理解」でも確認したことだが、この前提からものを言う限り、ジャイアンは「井戸の中の誇大的」と反応するだろうし、個々の人の集まりを超えて「社会全体」を考えること自体が、(ナチズムでもない限り)発言の責任を著しくあいまいにして、結果として無責任な発言をすることになることは理解するべきだろう。

 どんな権威や被り物をかぶっても、「ASを持つ一人の個人の発言」でしかないのだから。

固定リンク | コメント (33)

YANBARU
More プロフィール

Search

Calendar

<< 2008/08 >>
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

トップページ

Doctors Blog

ブログの購読

新着コメント

新着トラックバック