さて雑音は気にしないで私はジャイアンの心理の本質を見つめる作業を続ける。

 「かわいそう」という都合の良い考え方もある。「見下す」というほど露骨でもなく、ある意味合理的な必要があるようなニュアンスも含む巧妙な考え方だ。

 しかし実は完全に合理的な自己突っ込みからすると、「見下す」も「かわいそう」も全く変わらないことは誤魔化せない。

当たり前のことだ。言葉が違うだけで、「見下す」ことで、自分自身の中心志向が反応しないように盾の後ろに隠れている。 

 しかし実はもう一つの要素が絡むと実は自分を巧妙に誤魔化せるということに気が付いた。

 その要素とは、「共依存」だ。

 つまり、「かわいそう」=「見下す」+「一見合理的風」+「共依存感情」 ということになる。

 相手を「見下し」た上で、「その相手にとって自分が必要だ」と思うことで、自分の不安も解決しようとする。そしてその構造全体をいかにも合理的な必要であるかのようにカモフラージュする機能まである。実に巧妙な誤魔化し装置になるのだ。

 だからジャイアンにとって「かわいそう」は落とし穴の一つであるといえる。姿を変えた共依存の落とし穴である。

 別にいろいろ考えなくても、私は単に他人から自分が「かわいそう」と思われたくないので自分もしないのだが。

 ついでに書いておくと、ジャイアンはKYであるので、「見下し」ていることが必ずバレてしまうというのがあまり笑えない落ちになっている。

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 私の合理的な自己突っ込みはさらに自分を追及する。

 「木から降りられる」ことが実は巧妙な「見下し」になっているのではないか?

 つまり「相手は木に登ったままで、自分は降りられるから自分のほうが上」という形で結局「見下して」すっきりしているのではないか? 私はなんとずるい人間だろうか?

 よく自分を振り返って、少なくとも一部にはあると思う。

 ただその後私に起こったことは、「ここまで行ってやっとすっきり胸のつかえが下りた」ということだった。

 ADHDの自己突っ込みはあらゆる可能性を想定する。いずれにしても、私の中の合理的な自己突っ込みからは、「これ以上は突っ込みきれない」というところに行ったからだろう。

 私が一番恐れるのは、「本当のことも見切れない下らない奴」と自分に突きつけねばならないことだ。

 だから逆に、これ以上ないところまで自分に有利でない突っ込みをしておけば、その瞬間はそれ以上の合理的な自己突っ込みは停止して、一時の安楽が得られる。

 ただし今度は上記のこと自体が突っ込みの対象となるのではあるが。

 ジャイアンの根本問題である中心志向と合理的な自己突っ込みの矛盾の現実的な一つの解決方法は、「自分の想定できる最低の自分を考える」ということだ。ここでは合理的な自己突っ込みは(一時ながら)停止し、中心志向はあまりに遠くて問題外になる。

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