いろいろな角度からASとジャイアンの共存の可能性を最近考えてきて、何となくポイントが見えてきた。
共存の障害① 根本的な思考のあり方
ジャイアンはASの、「自分が多数派側に立つ」「自分の考えは一般的普遍的である」というような思考を、激しく独断的(「井戸の中」と呼びうる)と認識する。「何の根拠があってそう言えるのか?」、「あなたは神様か?」という不合理さへの反発とともに、「中心の方向から蔑まれている」という激しい反発が起こることは避けられない。(ただしこれはASが徹底的に合理的な環境で鍛えられた場合には例外は生じうると私は思う)。
共存の障害② 表現方法
ジャイアンはASの「非言語的な表現」に過剰反応する。ここのコメントの中でもmario氏の主張に対して、ネット上の言葉での書き込みであるにも拘らず、「その言葉の背景に感じられる思考の前提」や「ちょっと漏らした本音的なためらいの感情」などの部分にジャイアン側の反発が集中している。
共存の障害③ 求めるものの違い
ASは「必要とし、必要とされる」という情緒的な依存関係を(少なくとも非言語的な部分では)どうしても求める。「利用」という表現に抵抗があることからも分かる。ジャイアンはこれに応じれば病気になり、応じなければ非常に「うざったく」感じて振り払うことになるだろう。ジャイアンは「必要」という言葉で現されるような関係を必要としない(だけでなく有害でさえある)からだ。
ASとジャイアンの共存を考える場合、上記の①②③はどうしても超えなければならない壁だ。いずれもASおよびジャイアンにとってかなり根本的な脳の働きの特徴から帰結しており、変えることは容易ではない。少なくとも多大な努力を要することは覚悟すべきである。
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コメント
コメント一覧
①は、ジャイアン側に「マイノリティなれど、ASも認めるオンリーワンの自信or実力」(のだめみたいに)が、あれば、喧嘩はあってもそれなりに仲良くできると思います。
③は、AS側も実は激しくジャイアンを「利用」「依存」している事を自認すればいいと思う。(自論の展開のための餌として。)
問題は②です・・・これは、YANBARU先生が述べておられた「率直さへの信頼」がないとどうにもならない。だけど、これって、よく訓練を受けたカウンセラーとか、元教育者のご老人とかのASでないとなかなか出来ないと思います。(経験者は語る。)
PS;ジャイアンが、これだけの困難があってもASについていく傾向が多いのは、頭が切れるところから来る、経済力とかセックスアピールとか、そういう現実面の「利用」もかなりありますね・・・(「中心」に反応する。)(「ブランドイメージ」。)これはどうしよもないっす。(@_@;)
このスレッドに書かれてある事は、私個人にとって、とても当たり前の事でしたが、
こうして先生がきちんと言葉にしてくださって、私は私のしている覚悟に対して、ますます確信を深めました。
ここにお礼申し上げます。
>少なくとも多大な努力を要することは覚悟すべきである。
ええ。とても、とても、多大な努力を要しますね。
AS(男)vsジャイアン(女)のガチンコバトルを見ていると、境界例(先生に言わせればこれらは99%発達障害のACとのことですが)の人が、中々共依存の状態に持っていけないターゲットを何とか篭絡しようとして、必死になってる姿とすごく被るんですよね(リアル経験あり)。
すいません、これが言いたかっただけです。
少なくとも私自身はジャイアンではないらしいので、こちらへの書き込みは以降せずに、先生のエントリとそれに喚起されたコメンターの皆さんの発言を楽しみに待ちます。
とは言え・・・AS(仮定です)彼と私との関係が・・・、一度たまたま母との関係を分析しようとして手に取った、ボーダーラインの専門書で、・・・そこにあるボーダーカップルの姿と全く重なり合うので驚いた記憶は確かにあります。(米国の本でしたが。)
共依存は、確かにやってる間は楽しいですが、終わってみると疲労感と思い出だけが残るものですね。(-_-)zzz
エントリの意向からすると私のコメントは「だから何」的蛇足でしかないのは理解していたので、先生が検閲の際に問題視されて未掲載のまま終わるならそれでよし、掲載が許されるのであれば上記通りの理由から一言断っておくべきかと思ったまでです。
私はジャイアン(ADHD)ではありませんがASかPDD-NOSの可能性があります(医師が明瞭な回答をしてくれませんでした…PDD-NOSよりASの方が理解がまだいいのでASと名乗っていますけど)。
こちらへの書き込みをする方が、それぞれ必死な状態にあるのは理解しているつもりですし、その内容に気づかされることはとても多く、勉強させてもらってます。
共存の可能性というテーマに沿って言うならば、「自分の居心地いい状態で満たそう」というエゴを、ASジャイアン共に捨てねばならないということなのかなと。
そういう点で、認知の性質的にASというのがジャイアンから見てウィルス同様に見えるというのは、至極納得で異論のないところだなと考えました。
今、自己突っ込みの嵐でどうしようもありません。marioさんがどこかで書かれていたのですが、ジャイアンと言うのはASから見ると、「前向きで明るくてちょっと天然で・・・そういう女の子と付き合ってみたいと思うとこうなっちゃう云々」みたいな事を書かれていて、ASの方々としては、ウィルスどころか悪気ないと思うんですよ・・・
それに自分についても、この年で失恋直後とは言え呑気に家事見習いやってていいのか、みたいな突っ込みもあります。
10年前に比べたら、完全を期しては鬱になっていたころよりましだろうと思うけど・・・
つくづく『自分の居心地いい状態で満たそう』としないほど、むつかしい事はないです。ASに限らず、誰かと共存しようとしたら不可欠なことなんですけどね。
ここで学んだことを考え合わせるとASの父の影響でジャイアンらしさを発揮できなかったからと言えるかもしれません。
結婚してからの不調の一因はジャイアンらしさを押し殺してASの主人に合わせようとしたことではないかと思えます。
それでも結婚して20年になりますが最近はうまくいっているように思えます。それは 思考で分かり合うことを私が諦めたせいかもしれません。これもジャイアンらしさを殺すことになるので、慣れるまでは大変でしたが、分かり合うより感じ合うほうが幸せだという結論に達しました。
ジャイアンとASが引き合うのは 体の持つ電気が合うのだと思うます。NとSのように逆だからこそ引き合うのでしょう。
もう一つ個人的にあう電気はやっぱりジャイアンの人です。似ているから居心地がいい。
特にそっくりな電気を持つ人は初めて会った人とは思えない、他人とは思えないような感じを受けます。
だから、ジャイアン&ジャイアンの組み合わせはすごく楽しいのですが常識から逸脱してしまうのでとんでもないことになってしまいます。
この場合は話が盛り上がる割には 根本的なところで一致することなく 「あなたはあなた」の路線を外れると修羅場が待っています。
相手が誰であれ、「ジャイアンは人は必要ない」ということを忘れた時点で人間関係のトラブルは避けられないということを肝に銘じておこうと思います。
なんで、「落語界」なのか、いまいち理解に苦しむんですけど、あれはようするに1昔2昔前の倫理観で統一された世界ですよね。AS男にジャイアン女が従うのは当たり前。
私自身は、総集編(それも後半)しか見てないんで、よく分かってないんですが、確かACジャイアン女性が、「他人のことばかり心配している母が嫌いだった、でも今はそんな母親と同じ生き方が豊かで大好き」とか言い出して、女落語家を引退して、子供を出産するとかいう滅茶苦茶な話になっていた。
でも、昭和1桁の共感は大いに得られたみたいですね。
私も、時々彼と付き合っていて、「これが50年前だったら、こんなモラハラも当たり前の男女関係だったのに」とよく思いました。
何が言いたいかというと、もしAS男とジャイアン女で「共存」したかったら、ここにいる全員で新しく「落語界」を設立するといいかも知れないです・・・。別におちょくっているのではありませんので誤解なきよう。
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