2008.06.22 01:15 |  診療  |  研究  |  その他(医療関連)  |  ADHD関連  |  AC、人格障害関連  |  YANBARU  | 推薦数 : 3

「必要」を超えて

 ジャイアンにとっては「依存」よりも「利用」のほうがはるかに健康的である。「利用」には、精神的なベタベタした関係は付随せず、ただ現実的な利用であり、利用の理由は「ただ便利だから」である。「便利」だから使えれば誰でも(人間でなくても)良い。

 他方「依存」は何度も繰り返し説明してきたが、ジャイアンの最大の弱点であり、もっとも危険な罠とも言えるジャイアンにとっては破滅への道だ。

 この「依存」の証拠ともなるキーワードが「必要」だと思う。特に受動型ASが喉から手が出るほどほしがる言葉が「必要」だ。受動型ASに対して「あなたが必要」と言ったら最後、その瞬間に大変な要求を突きつけられることになる。

 「利用」の意味でも必要は必要ではあるが、受動型ASの人には、便利だからという「利用のための必要」では共依存できないので、この点をはっきりさせてしまえばその関係はかなり難しいと私は思う。

 ここであらためて宣言しよう。ジャイアンは人を「必要」としない。

 逆に言えば、誰かを「必要」と言った瞬間に病的なうつや身体症状が待っていると言っても良い。

 ジャイアンは孤独だ。誰にも助けられることも出来ず、愚痴もこぼせない。人に好奇心を持ったり仕切りたくなったりもするが、その相手はジャイアン自身にとっては本来必要ではないものだ。

 しかし私は孤独ではない。ここのブログの試みに参加しているジャイアンの面々や真摯に自分を変えようと努力しているASの方々とは、「ともに自分たちの脳の困難さについて考える」ことが出来ている。

 一切の「必要」は無くとも、お互いを「理解する」、「ともに考える」という「同志」のような関係は成り立ちうる。少なくともジャイアン同士、積極奇異のASの人とは立場の違いを超えて「理解しあう」関係は可能だ。

 だからジャイアン以外の人にお願いしたいのは、「必要」を諦めてほしい。「必要」を超えたところに、ジャイアンと理解し合い、相互に病気にしたり相手の行く手を妨げたり足を引っ張ったりするする恐れの無い健全で建設的な関係を築くことが可能となるのだ。

 「私はあなたを必要とはしない」。「しかし理解したい」。「ともに考えて行きたい」

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