是非の問題はさておき、私はジャイアンの心理を理解することに役に立つと考えて書いている。これは「托卵」という郭公の依存的な生き方をせざるを得ない受動型ASを「自立自尊の精神に欠ける」と批判することが無意味であるのと同じだ。

 (非常に残念だが前項のいくつかの書き込みにはジャイアンを「理解」しようとする意志を感じられない。知りえないことであっても、理解しようと努力することは可能なはずで、その姿勢は自ずと発言に現れる。あまりに無理解な発言を見てあきれ返るしかない印象を持った。)

 さてジャイアンはまず「問答無用の自業自得」でもきちんと論じたように、人に「助け」ということ自体を求められない。また「助け」られたとなると逆に激しい中心志向からの自己突っ込みが生じて、「助け」られたメリットをはるかに上回る苦しみが待っている。

 この中心志向から来る自己突っ込みの激しさはもう(一部の積極奇異型ASの人を除き)「ジャイアンでない人には理解出来ないだろう」という非常に苦しいことだ。だから自己突っ込みの無い人には想像も困難であることは分かる。

 次にたすけ「合い」ということもジャイアンの辞書にはない。もしもジャイアンが自分の努力と引き換えに代償を要求する取引をしたとしたら、その相手への要求は恐ろしく厳しいものになるだろう。「自分はここまでやっているのにお前はこんなことしかしていない」と罵倒することにならないで平和裏に取引が成立する可能性には私は悲観的だ。

 あるとすれば「利用」はある。「こいつは便利だから使おう」という感覚は時としてあるが、無償で「使え」て当たり前で、自分が同じように代償を払うなどありえない話だ。

 実際にジャイアンが非常に不幸な依存のプロセスに陥った事態は、実は「出来ない」と認識したときに、「この相手にやってもらう」と丸投げすることから始まった例を私はいくつも話を聞いてきた。

 ジャイアンは出来ることなら苦手なことをして起こる自己突っ込みを減らしたい。「このことはこの相手の担当」くらいに自分ですることから完全に除外して、丸投げしてしまうことで、自己突っ込みの生じる対象から外すことができる(ように一時は)見える。これがジャイアンにとっての「依存」に他ならない。 

 この依存と引き換えに、ジャイアンは自分の思考の一部を「停止」する。ここから先は前項で論じたが、必然的に破綻して、依存させた相手を叩き切るしかなくなる。

 中心志向を持つジャイアンは「適度に助けられる」ことは出来ないのだ。これは脳の根本的な特徴から来るもので、自分でもコントロールが非常に困難で、そのわずかな方法を私を含めジャイアンの当事者がここで少しずつ探究している。そのひとつが「低い自己評価を言い聞かせ続ける」という方法だ。

 自己突っ込みの無い人々にこの苦しみを「理解」しろとは言わない。おそらく不可能なことだからだ。ただ苦しみが分からない立場から安易に「中心志向をやめれば良い」というような意味の発言をすることはどうだろうか?

 申し訳ないが、ジャイアンが「助け合い」が出来るようになるとすれば、重症の情緒障害(離人症など)かACになって自分の感情がなくなってしまうしかないのではないか?

 ジャイアンはこの自己突っ込みから逃れたい。苦しいから代わりにやってくれる人が居れば丸投げしたい。しかしその後で必ず破綻するのはジャイアンの中の中心志向が残っているからなのだ。

 ジャイアンを依存に誘う行動はこの苦しみに付けこんで、ジャイアンをもっとも不幸で病的なプロセス、脳に不健康なプロセスに引きずり込む悪行だということを理解してほしい。私の言いたいことはこれだけだ。

 私はこれほど、依存からくるうつや身体症状に苦しんで、非常な痛みを伴いながら自己突っ込みの場所への回復を体験しているジャイアンの本人の姿を何人も見ている。これ以上余計な依存の誘いを差し控えてほしい。自分自身で回復する孤独なプロセスを邪魔しないでほしい。言いたいことはこれだけだ。

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