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 ジャイアンが人に助けられる可能性について考え続けている。積極奇異型ASのmario氏にジャイアン女性軍からかなり手厳しい反応が見られるが、私は実は少し違う。このあたりのことを考えていて、「依存でない関係は可能かも」と思い至った。

 実際私はジャイアンだけでなく診療の場で接するASの人とも「依存」とは違う良い関係を築けている。

 この関係を冷静に観察してみると、「相手が本当のことを言うことへの信頼」のようなものであるように思う。実際私自身、そういう相手から褒めてもらえることで「救われる」思いをし得ることがあったことを思い出した。

 ここで大事なことは、情緒的な邪心が入らないことだ。「相手のために自分が役に立つ」とか「相手を自分の思い通りにする」ような邪心が全く無いことがジャイアンと率直な関係を築ける絶対の条件となるのだ。

 ASの場合、そういう感情抜きに人と接することは少なく、また愛着となった場合にはなお情緒的となることは避けられない。しかし個人の努力の可能性は無いことは無いだろう。

 mario氏と私は男性同士というところもあると思うが、mairo氏から私自身に対して情緒的なアピールをあまり感じないので、私が反応することが少ないのかもしれない。

 ジャイアン女性軍はmairo氏の女性に対する見方(表現)の中に上記の邪心をはっきり見出すのだろう。

 「相手が自分を支配する下心も無く、同情さえしないで、冷静に本当に思ったことを言ってくれる」という率直さへの信頼があれば、ジャイアンは人と関われると私は思う。

 ジャイアンとASの間の困難さのひとつの説明にはなるのではないかと思う。

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 さてジャイアンは自分自身を深く分析する孤独な作業に戻ろう。

 ASの「上から」「多数派を装った」発言にジャイアンが激しく刺激されるのは、ジャイアンの中心志向と関係があると思う。

 ジャイアンは「中心」を志向する。この「中心」が何であるか、私はずっと考え続けてきた。

 例えば表面的な高学歴偏重、ホワイトカラー偏重、公務員偏重、「家柄」「血統」へのこだわり、他人が表彰されたときの妬みや僻み、見た目の美しさへのこだわり、優秀な主婦と自分を比較するなど、「基本的に自分が一番メジャーで中心の場所にいるべきである」という志向が確かにジャイアンにはある。「自分が満足すればマイナーでもOK」という合理的なADHDとは大きく違う。

 しかし同時にジャイアンは、それが不合理であることが分かっている。ここがASとの違いだろう。

 だから、井戸の中で「自分がメジャー」と思い込んでいるASから何か進言されると、「上から」「多数派を装った」ということになり、「あなたからこんな風に言われたくない」という怒りが生じることになる。

 ただ「私は」と責任を明確にするか、実際に多数派からの発言であればまだ冷静に聞けるが、自分が発達障害であるくせに、「中途半端に多数派を装い責任も取らないで中心のほうから馬鹿にしたような口を聞く」というのはジャイアンから見てもっとも反応させてしまう対応であるというのが最近起こったことだと思う。

 この「ASが自分は当たり前に自分をメジャーだと考えている」ということが変えられないとすると、ジャイアンと平和に共存することはその時点でほとんど困難になるように私は思う。

 ASが「のだめカンタービレ」の「ちあきしんいち」のように才能の面で「本当にメジャー」であれば、口だけではなく本当に偉大なのでこの問題は生じないだろう。本当に偉大な能力に対する尊敬があれば、ジャイアンは許せるのでこのパターンはうまく行く可能性がある。

 しかしそれ以外に、「偉そうにもっともらしく言うから本当なのか」とついジャイアンが依存してしまうことがあり、その場合はかなり不幸な結末が待っている。

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注記:今後このブログの書き込みに関しては、基本的にジャイアン型を含むADHDを中心とする方針とします。ただし、実際にカップルや家族として関わる以上、ASのことは話題にはします。しかしその目的は「ジャイアンを含むADHDにとってのAS」ということであり、それに対して「ASの立場」を主張されたいときは、ここではなく、別の場所で主張を展開してください。

 ASの方のコメントについては、「前向きにADHDに参考になる限り」という限定で管理者が判断して掲載することもあります。ただ管理者は全コメントに目を通す必要がありますので、はじめからASの立場だけを主張する目的の場合はどうぞ自制してください。それが見られない場合は私の精神的負担が大きいので、内容を見る前にそのHN毎掲載しない方針とします。

 また、ジャイアン諸氏用にクローズドの掲示板も用意しました。希望者は管理者のHPからメールでパスワードをお問い合わせください。

 ASとADHDが理解し合うことを私は目指しますが、少なくともあるタイプのASとあるタイプのADHDに関しては、有害としか言えない「最悪の相性」が存在することが分かってきました。逆にその困難さがはっきりと分かることもお互いのためであろうと思います。

 今後この場は、「世間にジャイアン当時者がお互いに語り合う機会がほとんど無い」ことを重視して、ASの方との相互理解は主な目的からはずします。

 ジャイアンを含むADHDについて理解されたいASの方が閲覧されることはご自由ですが、繰り返しますがASの立場を主張するのは(私の責任ではない)別の場所でお願いします。

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2008.06.29 12:57 |  診療  |  研究  |  その他(医療関連)  |  ADHD関連  |  AS(アスペルガー)関連  |  YANBARU  | 推薦数 : 3

場の性質と責任

 私はジャイアンなので、基本的には「来る者拒まず」で、だから原則的にこれまでコメントの制限もしない方針できた。

 しかし最近このブログ上が世間の中で唯一「ジャイアンの当事者同士が率直に語り合える場」になってきて、特に受動型ASの人からのコメントがその「場」に大きな妨げになることが分かってきた。

 私は管理責任者として、またジャイアンの生きる困難さを理解するものとして、「この場を守る」必要性を痛感している。

 (正直ASの人の受け取り方まで私が配慮することの限界を感じていて、時間的にも労力的にも精神的にも負担が大きくなっている)。

 そういうわけで、以下のいくつかの方針を検討中である。

①スレッドによっては「RASコメント」、「ASコメント禁」ということにする。

②このブログは原則としてジャイアンを優先として、今後はASに対する配慮は基本的にせず、AS側からのコメントはジャイアンから見て有用と判断されたもの以外は原則載せない。(ASのことはどなたか別に掲示板を作るか紹介してください。私は一参加者としてそこで意見を述べたほうがいいと思います)。

③ジャイアン用に別にクローズドの掲示板を準備する。

 私は別に「同じ場所でする必要は無かろう」と考えるだけで、また、「ジャイアンは責任にこだわる」ということへの理解をお願いします。

 この場でASの人が言いたいことを言うということは、「それを可能とするように私が配慮し続けて当たり前」ということになり、それだけで私に非常に大きな責任を強いる結果となっていることへのご理解をお願いします。

 ASの人はこれまで好きに発言できたことが「当たり前」とは決して思わないでください。

 ジャイアンからm2氏に「自分のブログか掲示板で自分の責任で発言してほしい」とお願いしたときに、m2氏は「面倒だ」と答えました。私には非常に大きなダメージになりました。私が何に対して落胆したか理解できますか?

 

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 実は先週来私はm2氏のコメントの問題に関して、一種の「過集中」の状態にあり、合理的な思考が一部働きにくくなっていることに数日してから気付いた。

 本来どのような主張も、「絶対に正しい」ことはありえない。だから合理的には、「何でそこまで言えるのか」という自己突っ込みが当然生じるべきなのが、自己突っ込みが無くなっている自分に気付いて愕然とした。
 ジャイアンの「攻撃モード」は、積極奇異型ASのそれも「井戸の中」の状態に非常に似ている。
 類似点①視野が狭くなる。②妄信する状態となる。③関連付け思考が出てくる。④分析が厳密になり、細かく想像できるようになる。

 攻撃を仕掛ける「敵」に対し、理論的に(かなり強引に)相手の非を証明することに異常な集中(過集中)の状態となる。頭が実に良く回転し、論理的な矛盾を突き、板ばさみにして問い詰めたり、相手が非を認めるまで、徹底的にプレッシャーをかける。

 自分の考えに対する「正しい」という思い込みが強くなり、自分が間違っているかもしれないと言う想像力が乏しくなる。ここまでは「思い込みが激しくなる」で説明できるが、

 驚くべきことは、AS特有の「関連付け思考」に非常に似た関連付けを行うようになることだ。思考は一点に集中するような形で深く追及し、周りの関連する現象は全てその(攻撃の)目的のために位置づけられる。

 この瞬間を見たら積極奇異型ASとの区別はほとんど困難では無いかと思う。ADHD特有の合理的な思考は情動の力で押さえつけられ、自分の思い込みだけで突っ走ることになる。

 ただ、「積極奇異型ASが攻撃モードになったときは多くは怒って相手に直接攻撃に行くが、ジャイアンが対決することに決めたら逆にどんどん冷静になり、冷たく確実に相手を陥れる戦略を考えはじめる」ということろは少し違うのだが。

 私にはここで自己突っ込みが機能していないことが逆に恐ろしい。そういう意味では自己突っ込みは「冷静なもう一つの目」として妄信に走らない歯止めともなりうる機能があるとも言える。

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2008.06.22 01:15 |  診療  |  研究  |  その他(医療関連)  |  ADHD関連  |  AC、人格障害関連  |  YANBARU  | 推薦数 : 3

「必要」を超えて

 ジャイアンにとっては「依存」よりも「利用」のほうがはるかに健康的である。「利用」には、精神的なベタベタした関係は付随せず、ただ現実的な利用であり、利用の理由は「ただ便利だから」である。「便利」だから使えれば誰でも(人間でなくても)良い。

 他方「依存」は何度も繰り返し説明してきたが、ジャイアンの最大の弱点であり、もっとも危険な罠とも言えるジャイアンにとっては破滅への道だ。

 この「依存」の証拠ともなるキーワードが「必要」だと思う。特に受動型ASが喉から手が出るほどほしがる言葉が「必要」だ。受動型ASに対して「あなたが必要」と言ったら最後、その瞬間に大変な要求を突きつけられることになる。

 「利用」の意味でも必要は必要ではあるが、受動型ASの人には、便利だからという「利用のための必要」では共依存できないので、この点をはっきりさせてしまえばその関係はかなり難しいと私は思う。

 ここであらためて宣言しよう。ジャイアンは人を「必要」としない。

 逆に言えば、誰かを「必要」と言った瞬間に病的なうつや身体症状が待っていると言っても良い。

 ジャイアンは孤独だ。誰にも助けられることも出来ず、愚痴もこぼせない。人に好奇心を持ったり仕切りたくなったりもするが、その相手はジャイアン自身にとっては本来必要ではないものだ。

 しかし私は孤独ではない。ここのブログの試みに参加しているジャイアンの面々や真摯に自分を変えようと努力しているASの方々とは、「ともに自分たちの脳の困難さについて考える」ことが出来ている。

 一切の「必要」は無くとも、お互いを「理解する」、「ともに考える」という「同志」のような関係は成り立ちうる。少なくともジャイアン同士、積極奇異のASの人とは立場の違いを超えて「理解しあう」関係は可能だ。

 だからジャイアン以外の人にお願いしたいのは、「必要」を諦めてほしい。「必要」を超えたところに、ジャイアンと理解し合い、相互に病気にしたり相手の行く手を妨げたり足を引っ張ったりするする恐れの無い健全で建設的な関係を築くことが可能となるのだ。

 「私はあなたを必要とはしない」。「しかし理解したい」。「ともに考えて行きたい」

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いくつかのコメントについて、管理人の権限で下記のように移動します。その理由は、

①明らかに「コメントに登場する人を診断するようなコメントがあった」

②本来であればご自分のHPかどこかで自分の責任で展開するべき自説であると私が考える。

③ジャイアン当事者がお互いに自分たちのことについて静かに語り合うことを著しく妨げている。

ということです。

 

 ジャイアンは「責任」を重視します。「私のブログ上で自説を展開するのは当たり前」という姿勢自体が「郭公の雛的な依存的な姿勢」、「自分で責任を取ろうとしない」と私には思えますので、ご本人の責任でやっていただく場所をわざわざここの他に作りました。(最近は郭公の雛を通り越して「ジャイアンに特異的に寄生するウィルス」というイメージが適当かなとも考えています)。

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 是非の問題はさておき、私はジャイアンの心理を理解することに役に立つと考えて書いている。これは「托卵」という郭公の依存的な生き方をせざるを得ない受動型ASを「自立自尊の精神に欠ける」と批判することが無意味であるのと同じだ。

 (非常に残念だが前項のいくつかの書き込みにはジャイアンを「理解」しようとする意志を感じられない。知りえないことであっても、理解しようと努力することは可能なはずで、その姿勢は自ずと発言に現れる。あまりに無理解な発言を見てあきれ返るしかない印象を持った。)

 さてジャイアンはまず「問答無用の自業自得」でもきちんと論じたように、人に「助け」ということ自体を求められない。また「助け」られたとなると逆に激しい中心志向からの自己突っ込みが生じて、「助け」られたメリットをはるかに上回る苦しみが待っている。

 この中心志向から来る自己突っ込みの激しさはもう(一部の積極奇異型ASの人を除き)「ジャイアンでない人には理解出来ないだろう」という非常に苦しいことだ。だから自己突っ込みの無い人には想像も困難であることは分かる。

 次にたすけ「合い」ということもジャイアンの辞書にはない。もしもジャイアンが自分の努力と引き換えに代償を要求する取引をしたとしたら、その相手への要求は恐ろしく厳しいものになるだろう。「自分はここまでやっているのにお前はこんなことしかしていない」と罵倒することにならないで平和裏に取引が成立する可能性には私は悲観的だ。

 あるとすれば「利用」はある。「こいつは便利だから使おう」という感覚は時としてあるが、無償で「使え」て当たり前で、自分が同じように代償を払うなどありえない話だ。

 実際にジャイアンが非常に不幸な依存のプロセスに陥った事態は、実は「出来ない」と認識したときに、「この相手にやってもらう」と丸投げすることから始まった例を私はいくつも話を聞いてきた。

 ジャイアンは出来ることなら苦手なことをして起こる自己突っ込みを減らしたい。「このことはこの相手の担当」くらいに自分ですることから完全に除外して、丸投げしてしまうことで、自己突っ込みの生じる対象から外すことができる(ように一時は)見える。これがジャイアンにとっての「依存」に他ならない。 

 この依存と引き換えに、ジャイアンは自分の思考の一部を「停止」する。ここから先は前項で論じたが、必然的に破綻して、依存させた相手を叩き切るしかなくなる。

 中心志向を持つジャイアンは「適度に助けられる」ことは出来ないのだ。これは脳の根本的な特徴から来るもので、自分でもコントロールが非常に困難で、そのわずかな方法を私を含めジャイアンの当事者がここで少しずつ探究している。そのひとつが「低い自己評価を言い聞かせ続ける」という方法だ。

 自己突っ込みの無い人々にこの苦しみを「理解」しろとは言わない。おそらく不可能なことだからだ。ただ苦しみが分からない立場から安易に「中心志向をやめれば良い」というような意味の発言をすることはどうだろうか?

 申し訳ないが、ジャイアンが「助け合い」が出来るようになるとすれば、重症の情緒障害(離人症など)かACになって自分の感情がなくなってしまうしかないのではないか?

 ジャイアンはこの自己突っ込みから逃れたい。苦しいから代わりにやってくれる人が居れば丸投げしたい。しかしその後で必ず破綻するのはジャイアンの中の中心志向が残っているからなのだ。

 ジャイアンを依存に誘う行動はこの苦しみに付けこんで、ジャイアンをもっとも不幸で病的なプロセス、脳に不健康なプロセスに引きずり込む悪行だということを理解してほしい。私の言いたいことはこれだけだ。

 私はこれほど、依存からくるうつや身体症状に苦しんで、非常な痛みを伴いながら自己突っ込みの場所への回復を体験しているジャイアンの本人の姿を何人も見ている。これ以上余計な依存の誘いを差し控えてほしい。自分自身で回復する孤独なプロセスを邪魔しないでほしい。言いたいことはこれだけだ。

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 私はADHDにとって自己突っ込みは非常に重要なことであると考え、いろいろな人に自己突っ込みに付いて尋ねてみた。その結果分かったことは、AS積極奇異の人でも厳しい合理的な環境で苦心して育った人にはADHDと同じ自己突っ込みがあること、私が「依存型ジャイアン」と呼んでいる一群の人には自己突っ込みが見られないことだった。

 依存型ジャイアン(ジャイアンで依存している人)は、多くはASの家族やパートナーに依存しているので、非常に場当たり的で衝動的であるが、一見「素直」であっけらかんとしており、条件さえ整えばジャイアンとしてはむしろ適応している形かもしれない。

 ただし、子供のことなどで「責任」を問題にされる事態になり、依存していた相手から応分の責任を負うことを求められたりすると、突然依存していたことの問題が表面化して身体症状などが出たり、うつになったりする。

 私は以下のような事態が起こっていると想像する。

「ジャイアンは依存することによって自分の合理的な思考を停止させて、その代わり合理的な自己突っ込みも停止する」

というのが依存型ジャイアンの認知と思考の特徴だろう。

 ジャイアンにとって自己突っ込みは非常につらい現象であり、たまたま現実の場面で専制的なASに依存して、(特に自分が出来なかったことで)何か現実的にうまく行った経験をすると、その場面では自己突っ込みが生じないので、「病み付きになる」。

 しかしその依存は長続きすることは無い。ジャイアンにとって「自分の足で立つ」ことは非常に重要なことであり、特に依存させた相手に少しでも「無責任」「不完全」な態度を発見すると、自己突っ込みを止められなくなり、それを意識、自覚しないときにはうつ状態や身体症状となる。

 だからこれらのうつや身体症状からの回復は依存を断ち切り本来の砂漠のライオンに戻ることになるが、それは辛い自己突っ込みの日々への復帰を意味する。

 しかしジャイアンにはこの生き方しかない。脳がそう出来ているからだ。答えは、「自己突っ込みをなくそうと足掻くことをやめて、表面的な現実のありかたを改善する」ということだ。

 ジャイアンにとって依存は躓きの石であり、依存させるASはジャイアン特有の「浅はかさ」に付け込んで共依存に持ち込もうとする有害この上ない相手だと私は考える。

 実際完全にジャイアンを依存させ続けることは不可能であり、無責任が露呈してからボコボコにされるということでASも代償を払うことになるのだが。

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 ADHDがASと日常的に接した結果、ADHD本来の場当たり的で大雑把なスタイルと違うASのような強迫的な行動パターンとなる現象を私はAS被影響症候群と呼ぶ。

 少し前のスレッドの書き込みに少しヒントを頂き、この影響の中身について想像が進んだ。

 ASの人は、(特に積極奇異型は)自分にも人にも非常に強迫的で厳しい「完全さ」を求める。発せられる言葉はほとんど「完全と比較して」ということになる。

 ADHDは何でも言語的に断定口調で言われると「それもそう」と思ってしまう傾向があり、まずこの形での「影響」はあるだろう。

 もうひとつ、ジャイアン型ADHDが積極奇異型ASから受ける場合に全く別の形で起こる「影響」は、「中心志向が強化される」ということだ。

 積極奇異型ASと接して、中心志向を「当然」のように示されると、ジャイアンの中にある中心志向を合理的に「非現実的」と否定することが非常に難しくなり、中心志向の鬼のようになって、自分にも非常に厳しい自己突っ込みをして強迫的になり、例えば子供にも異常に厳しくなる。

 「ASと接することで中心志向から来る自己突っ込みがひどくなる」ということが起こると私は思う。

 助かる道はこの反対で、徹底して合理的なパートナーから、徹底して合理的に中心志向を否定してもらい、本人の中にある合理的な部分を強化してもらうことにあると思う。

 ジャイアンの回復の根拠は、「片方の足は合理的なADHDの場所にある」ということだ。自分の合理的な部分をどう使って回復するか、もうしばらく考え続けよう。

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