受動型ASが相手からのアクション無しに動けないことの意味を最近考えている。私の印象では、「最初に依存できることを確認してからしか動けない」ように見える。
依存できることを確認すると、途端に完璧に「依存させる」ことを相手に要求する。というよりも、最初から「依存させるのが当たり前なんだからお前から動け」ということになる。
「受動型」というのはむしろ結果としての行動の特徴で、その前に対人関係の依存があり、それ以外に出来ないというのが受動型ASの根本的なあり方かもしれない。
その「依存」は、AS的な「最初から結果の完全な保証を求めないではいられない不安」から出てくるのだろう。この不安は積極奇異型にもあるが、積極奇異型よりもはるかに支配的、(愛着の対象への)要求が高いという特徴が、逆説的だが受動型ASの一番根本的な部分であるように思える。
誕生前の胎児の段階の母と自分の関係をそのままその後のすべての場合に求め続けているかのようだ。
ここでも時々目にする明らかに「誇大的」に見えるような部分が受動型ASの本性であり、それを出せる、要求出来る相手かどうかを確認するまでは本性を出さず、確認すると豹変して極端に依存的で当たり前の様に自分を依存させることを要求する「あつかましい」態度に出る。
「あなたが最初にこうしたから」「あなたが私を必要と言ったから」というのがすべての依存と過大な奉仕の要求の根拠になるのだ。
親は親であるから依存できるのが当たり前とも言える。外では大人しいのに家庭内暴力の形になるのはこういうケースだ。パートナーもパートナーであるから依存できるとなると要求と追求と自分が病気になることを繰り返すことになる。子供でさえ、当たり前に「この子しかいないから」という意味で依存対象になることも実際ある。
この意味では(表面的な社会適応とは裏腹に)脳のレベルでは一番重症な自閉症的特徴を持つという風にも思える。
根本的な解決は、薬物療法でも発達障害支援でも何でも使って、まず「一人で保証の無い世の中を生きて行く」という決意をすることだろう。
この意味では、依存がたまたま「楽だから都合が良いからするけれども実は本当は納得出来てはいないから身体症状などが出て、根本的には自立したほうが健康になる」というジャイアンとは根本的な立ち位置が違うということになる。
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