ASの人は基本的に発する言葉も受け取る言葉も「深読み」が必要だ。また、中心志向のある人も「縁の下の力持ち」「ナンバー2」という発言が多いのは何故だろうと考えた。
私にはASの人は特有のオモテとウラを使い分けているように見える。例えば道理では絶対に自分が悪いところでも、情緒的には救い(フォロー)を求めたりするのが当たり前になっている。
道理、理屈を主張する場面でも、よく見ると理屈と情緒的な訴えの両方がメッセージになっており、理屈は表面上のポーズで実は情緒的な部分が伝えたい本質的な内容だったりする。
ASの人は周囲の世界を「理解を求める一部の人」と、「その他の環境」に綺麗に分けるので、そのそれぞれに対する態度がウラとオモテになるのだろう。
例えば徹底的に合理的なADHDの親が、問答無用で合理的な基準だけで切り捨てる態度を取り続け、誰も情緒的にフォローする人が居なかったら、ASの子供はひねくれるだろう。「そこまで言わなくても」という感じで、厳しいではあるが、一部情緒的なフォローがあることがASの人には必要なように見える。
ジャイアンは表面、オモテがすべてなので、言葉で責めながら非言語的な態度でフォローしたら「どっちだ!」と追求することになる。責めるなら問答無用で徹底的に責めて貰ったほうがいい。なぜなら自分の中の自己突っ込みは当たり前にそこまで厳しいからだ。
当たり前に使っているので自覚はかえって難しいのかもしれないが、ASの人はオモテとウラの二つのチャンネルを使い分けている。対象とする世界がもともと二つに分かれていること自体が、ASで無い人から見ると理解が難しいのだ。
だから中心志向の場合でも、志向するのは「オモテの中心でなくウラの中心だ」というのが「縁の下の力持ち」の意味ではないだろうか?
「不満がある当の相手の前では何も言わないでおいて、話を聞いてくれる別の人に相手が居ないところで不満をぶちまける」という行動がAS本人には何の不思議も無いのだろうことが不思議に見える。
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