ASの人に共通して感じるのは、「人を非常に近く感じていて、人を無視出来ない」という特徴だと私は思う。
例えば広い体育館で、反対側の端に一人の人が居ても、その人のことを意識しないことは難しい。ADHDが、すぐ近くに人が居ても平気で自分ひとりの世界に入れるのと非常に対照的だ。
ASの世界では人が近いのが当たり前なので、相手がADHDでも多数派でも、ASの距離感で接してこられると相手は「距離を詰められている」と感じる。
特にADHDは本来猫的に自分ひとりのテリトリーを大事にするので、至近距離に踏み込んで来られるとかなり窮屈な状態におかれることになる。
まして愛着の対象となった場合には、相手もこの近い距離で居続けることを求めるので、必然的に「支配的」という印象を与えることが多い。
多数派の「重要性に反比例した柔軟な距離の感覚」や、ADHDの「それぞれ別々のテリトリーの主として相互に尊重しあう距離感」とは、対人関係の根本的な捉え方からかなり違うということをお互い認識する必要がある。
私がよく家族やパートナーの人にASの世界を想像してもらうのに使う説明の一つに、「2メートルの距離に居る人が20センチのところに居ると感じると想像してみましょう」というのがある。至近距離から見られれば、何か意図があるようにも思えるし、無視するのは非常に困難だ。
積極奇異は「自分に相手を引き寄せて近い」、対して受動型は「自分が相手に擦り寄って近い」という意味で「人の近さ」がASの人の根本特徴であると私は思う。
そういう意味では、どんなに人が近くにたくさん居ても、一人の世界に入れて、その意味では人に執着しないADHDがかえって非常に「自閉的」であるとも私は思う。
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コメント
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ところで
>ADHDの「それぞれ別々のテリトリーの主として相互に尊重しあう距離感」
と言うのが、元妻との経験からは感覚として分かりません。仕事などで個室に篭もる必要がある際(そうしないと集中できない)、簡単に頻繁にテリトリーを侵されました。もちろん悪気がない事は良く分かります。それ故に本当に困ってましたが。
ちょっと失礼な言い方をすると、自分のテリトリーにしか関心が無かったりしませんか?あるいは、テリトリーの意味自体が異なるのでしょうか?
私には、ADHDの人は必要以上に近くに寄ってくるように感じられるんですが。それは私自身がそう感じているだけのことなのかも?と考え直し中です。
ADHDの方には境界(テリトリー?)を感じません。初対面でも、いきなりこっちの領域に踏み込んできます。何て言うか、そう言う空気をまとっていて、初対面で話をする前に(目が合っただけで)分かります。一回話をしただけで、いきなり仲良くなったりします。多数派やAS相手では、そう仲良くなれません。何度か会って、少しずつ関係を築いていって仲良くなってって作業が必要です。更に言うと、多数派的な利害関係での表面的なお付き合いは非常に苦手で、殆ど出来ません。
対人緊張が強い私としては、ADHDはいきなり好意を全開にして近づいてくるので、緊張しなくて良いために、非常に楽です。結果として、身の回りにADHDらしき人ばかりがいる状態になります。
やっぱり未だにADHDのテリトリーという感覚(概念)が、殆ど分かりません。一つだけ分かることは、ADHDが何かに夢中になっている時には、自分や子供や生活などのバランスを考えることを求めずに、放っておく必要がある事だけです。
無視出来ないですね、人が。
そのため教室で集中できず、勉強が分からなくなっていきました。
職場でも半年通うと、普段から朦朧として考える事ができなくなってきました。なんとか意識をしっかりさせようと食事を抜いて刺激を与え、乗り切ろうとしていました。
その努力も功を奏さなかったですが。
一人になれる職場でないと精神的な疲労で止めざるをえないのは目に見えています。なかなか就職できないです。
電車の中で、端っこの席はたくさん空いているのに、わざわざ自分の隣に乗ってこられると「何?何か意味があるのか?もしや嫌がらせ?私が人が近くにいると不愉快になるのを知っていて・・?」と思ってしまうのです。
後は仕事中などで人が近づいてきた場合は、自分の周りに見えないフィルターを作ります。これをしないと他人が自分の体に入ってくる感覚に陥り、怖くなってしまうからです。このような作業をするから、人と打ち解ける事はおそらく不可能なんだろうなと思うといつも空しくなります・・。
テリトリーとは単なる距離ではなく
「自分の世界」という意味に置き換えられるのでは?
と思います。
物理的に距離が近くても、
それぞれの世界を持っていれば、
人と人の距離は保たれます。
自分は「自分の世界」の主であるという感覚。
また相手も「その人の世界の主」であるのだから。
物理的に近づかれただけでは、
支配的な関係になることはありないでしょう。
AS側の方の意見をみると、物理的な距離のことを
かかれている方が多いので。
そういう意味では、ADHD側は
ぴったり近くにこられても大丈夫なのですが
心理的に距離が保たれていないと
(お互いの世界が尊重されあっていないと)
発狂しそうになると思います。
marioさんの言われているとおり、
夢中になっているものがあるときは
ほっといていただけたほうがありがたいですよ(笑)
夢中で気づかないかも!
でも、声をかけられたりしても
テリトリーを侵害されているとは感じないのです。
侵害されたと感じるのは、
こちらが感じている感情を、
ないものとして否定されたりしたときなどです。
私には弱い相貌失認もあるのですが、知っているかどうか分からない人が近くに居るって状況が一番辛いです。ほぼ耐えられずに、その場を立ち去ります。
そうそう、職場でエレベーターに相乗りするのが苦手で、6階まで階段を使ったりしてます。全く知らない人(宅配の人など)なら、一緒に乗ってても平気なんですけど。
なるほど、ASは物理的距離が問題になりそう。精神的な距離は、少なくとも私は自分が殆ど揺らがないので基本的に平気です。
逆にパートナーなど愛着の対象に対しては、精神的な距離を詰めちゃいますね。気持ちも、感覚も、同一にしたいって欲求があります。それがADHDには辛いのは今は一応分かっています。
愛着対象と気持ちが同一だと思ってればASは距離が空いていても平気です。極端に言えば余り会ってなくても平気かも知れない(思い返せば、それで失敗するところがあるなぁ)。
ADHDにとっては逆に大事な人と物理的な距離が近いことが必要な印象があります。自分の精神的な世界には踏み込んで欲しくない、集中させて欲しい、でもふっと顔を上げると隣に居る事が必要、みたいな。そしてその状況は、ASには寂しいかも知れません。
顔は進行方向正面を向いて歩いているのに、どんどん私の方に寄ってくるのです。しまいには腕が当たって、私よろける。少し離れて、また寄ってくる、どーん、の繰り返し。毎回こうでしたね。
気をつけても直せないようでした。彼だけの癖なのか、共通項なのか…こういう人ほかにもいらっしゃるでしょうか?
あと記事とは関係ないけど昔電話のビビってました。今はだいぶ軽くなりましたがお母さんが電話に出て「少々お待ちください」と言って自分に受話器を渡されたらっどうしようという不安に襲われてました。別にそれで怖くて暴れたり叫んだりってことはないけどいつも心の中溜めてました。
でもこれは夫婦ならば当然ぶつかる壁だろうと思っていました。私は子供の時から自分の中にこもる癖があったし、親戚が来る日とか苦手だったし、毎日会う人とかもけっこう苦手だったので……。ADHDという視点で見ると、熱中しているときに邪魔されるのがイヤとか、突然の予定には対応できないとかやる気がおきないということだったのかもしれません。
AS(たぶん)の人と結婚して思うのは、自分の中の考えを、相手を見ることで知らせようとしてたりすることないですか? 目が怖いほど何かを訴えていて、私は絶対に目をあわせられないです。そのことが原因で、何度か問題が起こりました。そのことを説明してもわかってはもらえませんでした。結局は距離をとるか、その場から逃げるということでしか対応できていません。
ASを責めているのではありません。内容のいかんによって対応できるはずと思っています。その内容が、「目ぢから」だけではわからないのです。
距離感と言えば、物理的な距離があるときの距離感と、心の距離感と二つの課題があると思います。
物理的な距離があるとき、電車は、訓練で慣れました。他に席がたくさん空いているときは、スリにだけ気を付けて、あとはあまり思い煩わないよう練習しました。
毎度悩むのは職場ですね。たまたま二人の場所で手作業していると(そろそろ雑談しなきゃならないのかな・・・)と、勝手に空気を読んで痛くなっています。
しかし、相手ももしかすると違う問題を抱えていて疲れているかもしれない、この場合は話しかけなくて正解、相手は全然疲れていなくてむしろ、私が話しかけてこないため私に避けられているのではないかと思っているかもしれないのが最悪のパターン。手元の作業に集中しようとしながら頭の中でこの計算作業もするのが、逃げ出したいほど嫌。何年考えても正解を読み解けない。
“自分がどうしたいのかな”ではなくて“相手はどうしたいのかな”で正解を考えたいのです。無理なのに!
そして話しかけた場合、雑談内容の正解、不正解もあるのです。空気読める才能のある人が多数存在する職場には、正解、不正解はあるのです。いつもはずしている気がしてます。悔しい!!
でも、ここでそれを口に出してしまったら・・・・「私が話しかけたことにムカついてるでしょ」なんて言おうものなら、違う病気を疑われてしまうでしょうね。
心の距離は・・・ともかく、寂しいです。
ADHDのように、何かに過集中したあとでも私から逃げないで待っていてくれる人が欲しいときも、ASの私がそっとした気遣いを気づいて評価して欲しい、それほど私を気にかけていて欲しいときもあります。それが特定の人だとありがたいんです。ADHDのニーズは多岐に渡るので一人だと負担がきついでしょうが、一人がいいんです。嫌われないように何人もの気持ちを察するのが大変だからです。
ほどよい心の距離感を保つのには、やはり友達とは別のコーチがいたほうがいいですね。
>そしてその状況は、ASには寂しいかも知れません。
失礼かもしれませんが、
この表現はとてもかわいらしくて好意を持ちました。
「~すべきでない」とか「~したほうがいいよ」などの客観的表現よりも、ADHD側はこういった自分の気持ちを表現したほうがグッとくるかもしれません。
突然、失礼いたしました。
お褒め頂き(?)ありがとうございます。
書いた時には思いもよらない反応でしたが、なるほどこう言う表現が良いかも知れませんね。現実に相手を目の前にして気持ちを言うのは、ASにはなかなか難しいと思いますが…
う~ん、気が付いてみると、気持ちで世の中を(相手を)動かしてはいけないって感覚を未だに持ってるなぁ。気持ちを言うように心がけてはいますが…
つまり、許せない相手の前で発狂?
これで尚、驚かれて失敗してるかも。
私の場合、嫌われるのが怖いというのとは少し違う気がします。
言われたその場で適切な対応をする自信がありません。
不用意に発した言葉で、自分が苦しむことのほうがこわいのだと思います。
↑の私のコメントを、ASのオモテとウラに移動してください。
間違いました。
m(._.)m
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