2008.03.14 00:20 |  診療  |  研究  |  その他(医療関連)  |  AS(アスペルガー)関連  |  YANBARU  | 推薦数 : 2

郭公の雛

 今回もASについて言及しますが、(これも当たり前ですが)特定の誰かを批判する目的はなく、十人十色のASの一部にこういう人も居るという意味で述べていると理解してください。

 ジャイアンはもしも自分が大変図々しいこと厚かましいことずるいことをしているとすれば、他者がそうしている場合と同じく自分自身にも必ず突っ込むので、表面上認めないにしても、「本当のことであれば(都合の悪いことでも)いつかは通じる、理解する」という見通しが持てると私は考える。

 だからもしもジャイアンが郭公の雛のような立場に居たとすると、一生涯自分を責め続けることになる。

 対して受動型ASの人は「自分が無い」ので、根本的に責任を取るという発想が無い。責任を取るためには自分自身の決意とか、自分の決意に基づく行動などがどうしても必要だが、相手に合わせているだけなので責任の取りようが無い。

 郭公の雛が、「どの鳥も自分たちを世話するのは当たり前だ」と主張して威張っているようなものだ。

 私が受動型ASの人と接して感じる「無責任さ」「本当のことが通じない空しさ」を譬えて言えば、上記の「居直った郭公の雛」を見ているような感じだ。

 依存型ジャイアンは自分を誤魔化して誰かに依存して結果的に郭公の雛になっていることは多いが、意識に上らなくても自分が郭公の雛状態になっていることを感じて自分を責める。身体症状などの形をとって「自分は何でこんな立場に居るんだ」ということへの潜在的な苛立ちが存在する。

 だがこれがあるからこそ救われうる。本人が回復を望み、私が治すために手がかりとしうる。本当のことに直面化する状況を演出することで潜在的にでもこの自己突っ込みがあることが回復への可能性の大きな根拠となる。

 この意味で私は受動型ASの人をどう救ったらいいのだろうと途方に暮れることが多い。「どの鳥も自分たちを世話するのは当たり前だろう。何で世話してくれないんだ!」と要求し続けること、脳の特徴から来ている根本的な依存性自体を治すことが根本的に困難であるからだ。

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