2008.03.12 21:24 |  診療  |  研究  |  その他(医療関連)  |  ADHD関連  |  AS(アスペルガー)関連  |  YANBARU  | 推薦数 : 5

責任の観念

 今回もASについて言及しますが、(これも当たり前ですが)特定の誰かを批判する目的はなく、十人十色のASの一部にこういう人も居るという意味で述べていると理解してください。

 近い関係者が理解しやすいように私の理解を書いてみます。ジャイアンの場合には、「責任の観念はあるが表面的な認知しかできない(究極のKY)ので自分の責任であることが分からない」という説明になる。

 「自分が躓いたのはこんな所に石があった」からであって、これは自分の責任を自覚しながら誤魔化して居るのではなく、「自分の行動と関連付けて考えること自体できていない」ということだ。

 他方(私の想定する)受動型ASの人の場合には、「責任の観念自体が希薄」というような言い方になる。「初めから相手の望みで相手の意図を読みながら相手に合わせて行動する」ので、自分の行動はASが分かっている(と思い込んでいる)相手の意図と別々のこととは認識されない。

 例えば発言の意味も、発言したほうが想像も出来ないような「深読み」をしたり、態度や表情にある意味を勝手に見出したりした結果が本人には「事実」と認識される。

 正確には相手の意図が100パーセント読めると思い込んで居るので、本人は「分かっている」と断定する。本人から見ると、「間違いない」ということになるので、別の意図があることを想像も出来ない。

 本人からは「事実」に見えているのだ。それ以外の可能性を想像すら出来ない。だから相手が「そういう意図は無かった」といくら主張しても、相手の言っている意味を理解することが非常に難しい。

 受動型ASはある意味積極奇異型ASよりもはるかに想像力が乏しいと言える様に思う。

 

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