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 ジャイアンとASの違いを考える中で、ジャイアンとASは普通の(合理的な)ADHDと対照的に、「周囲の人の評価を気にする」という意味で人にこだわるところが共通する。合理的なADHDは極言すれば「嫉妬という感情がない」と言えると思う。

 「嫉妬」を、「特定の人との一対一関係で相手が自分とは別の人に向かった時の怒りや悲しみ」とすれば、ジャイアンには妬み(ねたみ)はあるが嫉妬はない。

 ASは特定の人に強い「愛着」を持つので、当然強い嫉妬を持つ。これに対しジャイアンは、特定の人への強いこだわりは(好奇心や面倒を見たい衝動はあるが)なく、相手が別の誰かとかかわっても、あまり怒りや悲しみはない。

 嫉妬はないが、妬み(ねたみ)はある。ほかの人が表彰されたり、褒められたりすると、醜い姿を告白すれば、決して喜べない。その人が不幸になるようなファンタジーにふけったりする。おそらく普通のADHDは、素直に「よかったね」と言えるだろう。

 ジャイアンは人には本当の意味では関心がないが、「自分が評価される」ことにこだわる。だから嫉妬はないが妬み(ねたみ)はあるということになる。

 

 

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この観点で見ると、普通のADHDと受動型ASは「消極的」という観点で同じグループになります。
受動型ASは「周囲の人の評価を気にする」ということは皆無ですし、「嫉妬という感情」は無いです。

嫉妬も妬みも結構積極的な感情だと思います。
受動型ASは誰も得しないような感情は持ってないです。
無駄な感情は疲れるから持たないてな感じでしょうか。

愛着対象についても、支配する相手なら嫉妬するほど好きでは無いですし、服従相手なら「相手のお好きなように」ですので嫉妬にはなりません。

実際、私は交際(結婚)相手でも浮気は容認ですから。
自分では相手にすべてを満足させられないのはわかっていますので、足りない分については、他の相手で補ってくださいという感覚です。

本題に限らず、積極性という面でジャイアンと積極奇異型AS、消極性という面で普通のADHDと受動型ASが似ているケースは結構あると思います。
written by m2 / 2008.02.16 23:51
嫉妬とは違いますが危機感はある。

評価されている人を一緒になって褒めると、気が付いたときに自分が独りぼっちで放りだされて、他の人達が一斉にお祝いのおしゃべりや会食席に流れていってしまうような怖さがあって。
評価されてる人と仲良くなりたいのに周りの人に距離を離されてしまうような気がして。
だから、私が誰かに愛着を感じるかも知れないような、誰かが評価される場面が起こることは素直に喜べないことがあるかもしれません。

あと他人が褒められているところを一緒に褒めると、実は私に対する嫌みや当てつけでもあった経験があるので、それも恐い。

これが家族の中で行われたとしたら、きっと私は穏便には済ましたくないでしょうね。
written by ぴよよ / 2008.02.17 00:25
これは当たっていると思いました。今までで一番「ビンゴ!」と思いました。
私は恋愛も仕事も一生懸命になりますが、「浮気するな」とよく言われます。八方美人だからです。
そこで私が「あなたも浮気してもいいよ」というと「その神経が信じられない」と言われてしまいます。
仕事においてもそれは同じ。(むしろ仕事に対する執着のほうが強いかもしれない。一人の男と付き合うより、一つの仕事を続ける時間のほうが長いから)
職場の人間関係がどうであってもかまわない。私に迷惑さえかけなければ。私は最新の注意を払い、中立の立場を守り通すからです。任務もきちんと遂行します。遅刻や欠勤など、人間のすることではないと思うくらい、仕事に対しては真剣です。
だから、人に嫉妬している暇など無いのです。そのかわり、もともと人とうまくやれるタイプの人や、笑顔が上手な人に対しては、妬みのような黒い感情を持ちます。もちろん表には出しませんが、日々の仕事の中で、一番感情が高まるのは、そういう相手に対してです。

written by 志ん輔 / 2008.02.17 01:43
兄弟から「嫉妬と妬み」(と思われる)攻撃を受け続け、ほんとうに困った経験があるので自分からなるべくそういう感情を持たないようにしています。
他人からの「嫉妬」や「妬み」もその恐ろしさを十分承知しているので、敏感にテレパシーで察知できて早めにかわすようにしています。わざと間抜けな自分をみせたりして。
written by エイト / 2008.02.17 15:28
自覚できるような愛着対象を見つけてしまったので、
このブログ的にはASと考える自分です。見つける前は先生の説明がぴんと来なくて困りました。少なくとも愛着だと理解できるほどの対人を結ぶ(持つ)必要があるのですからね。
ただ記憶の仕方が曖昧ばっかなので、そういう知覚的にはADD系に近い細切れ感覚な発想にも私の場合はなると思っています。

嫉妬を持てるのはこだわりないし愛着対象のみに限られる。後ある程度の僻むような自己評価での負い目意識を持っているASの場合な気がします。
なので、ほとんどの人に対してはASは嫉妬しないし他人の評価も気にしていない。なので限定的な状態を「ASは」と書き出されると、常にそうだと言われてるようで困惑します。
written by ○ / 2008.02.17 19:16
ASの立場から言わせていただけると、いわゆる嫉妬の感情はあると思いますね。でも、本当にそういう感情をもてる相手は本当に一人かそれぐらいで、世の中の大多数人にはそういう感情はありません。

 そもそも、そういう対象以外には基本的にどう思われても構わないと思ってますよ。他人の評価もまったく気にしないですね。

 周囲の評価を気にするASはおそらくASのACではないかと思います。

 それと、受動型のASとYANBARU先生が定義づけておられる方。自分はあまりそれらしい人を目にしてないですが、ここの書き込みから察するには、おそらく、受動型のASの方でACでなければ、そう見えるだけではないかと推測します。

 なぜASが嫉妬感情を持つのか?んー、自分で考えてみて、まだ、はっきりしないですが、基本的には、自分に構って欲しくないのが、相手を含めて、相手と自分が一体になって拡充されたのでは?

 よくADHDの方がASが時々こだわりに対して怖くなると書いていましたからね。

 ADHDの妬みですね。常に周囲と比較するわけですから、そうでしょうね。一番を目指すひとつの方法は周囲をおとしめればいいわけだ。

 合理的ADHDはまだ、すこし、イメージがつかみにくいとこがあるけど、一番になる不合理を悟って、万人に対して同様に接することができるのかな?

 以上は自称ASである私個人の考えを書かせていただきました。
written by Whisky / 2008.02.17 20:20
いつもするどい観察眼、洞察と感服します。心から好きな、愛着のある、愛情を持っている対象がからんでくると嫉妬なのですよね。そういう身ではやはり自分が持っているのははねたみだろうと思います。
written by Paul Carpenter / 2008.02.18 09:20
 ASは愛着の対象の私に、自分以外の人が好意を持つことを非常に嫌います。逆もあります。
 結果私がいい評判を得て、いろんな人の注目を浴びる事を避けようとするので、主人とかぶった人間関係の中では、わたしは低い評価でいなければなりません。
 理解するまでは大変につらい事でしたが、ジャイアンの自分以外の人が自分よりいい評価を得る事に対してのねたみとは違うようだと感じていました。
 その愛着は私を自分だけのものにしておいて、誰にもみせないぞというくらい強烈なものもあります。そーいうのが好きな女性もいるのでそーいう方はいいのでしょうが、私のように、合理的ADHD一匹オオカミ父から相手を尊重する育てられ方をした、対等に自由に行きたい人間にとっては、その思いが苦しいこともあります。
 他人に話すと、のろけ話に聞こえるみたいで愛妻家でかわいがられていいわねなどといわれたりもしますが、そういう次元でない事は先生にもよく分かっていただけると思いますが。
 こちらのブログで愛着の対象の発言の重要性などを読むとプレッシャーを感じます。他人の評価は気に関係ない人ですが、わたしの評価には極端に敏感なので、批判的な発言は控えるようにしていますし、あるときは私の発言が絶対であったり即実行してしまったりもするので、いつも気をつけて発言します。 
 たまたま大変な人を愛着の対象に選んでしまった日にゃー、どんどん搾取されるんじゃないかと心配するし、実際に新興宗教などに関わってそういう目に遭ってる方も多いのではないでしょうか。相手がわたしでよかったねえ。なんて自分でいったりして。愛着された側からはそれを利用して、いろんなずるい事もできそうですが、そういうことは思いつかない人間なのでしようにもできないです。わきまえて私を選んだのかなあ?
 話がだいぶそれてしまいました。すみません。 
written by たかこ / 2008.02.18 18:06
 ジャイアンである姑に対しては、周囲の評価を気にしたり、常に自分の至らない点が出ないようにしていること気にかけながら会話もしていると思います。何かいえば、そういうつもりでなくてもも「自分のせいだから」「比較して自分が劣っていると思われた」ととられてややこしくなるというのが正直なところですが、自然とその部分にはなるべく触れないように言葉を選ぶようになっているみたいです。
 彼女の評判や名誉のために無難でいい嫁を演じているところもあります。どこも嫁姑は基本的にお芝居のようなもので成り立っていると思いますが。
 彼女にとって何が一番大事で守りたいものかをよく理解できれば、私にとってはそんなに難しい相手ではありません。合理的な考え方は、私としてはなじみやすいですし、非常に好きな考え方です。体力や行動力に限界にある私には、プライドをキズつけないように接すれば、こんなに頼りになる強い味方はいないと思っています。
 ただ、ASの主人にはジャイアンがその評価や家柄を重視するあまり、愛着に答えてもらえなかったという思いと、情緒的で繊細な部分を解してもらえない寂しさ、自分がし続けている努力をせず、歯に衣着せぬ発言をするASに常に腹が立つというジャイアンの対立、確執は深くどうにもなりそうもありませんが、愛情はお互い十分すぎるくらいあるんだろうけどなあと端から見ています。関係が悪くならないよう、悪い方の双方の誤解は、どちらも批判せずに、間に入ってとくようにしてどちらもいい印象になるよう広報役をしています。
 ここのブログで見た感じでも、ジャイアンとASの歩み寄りというのはどちらかが考え方を相手に分かってもらおうという事を完全に放棄する以外は困難なのかなあと思えたりもします。
 怠け者で凡人のわたしから見たらみなさん個性的でいいところ、尊敬すべきところがたくさんあっていいなあと思うのですが。私は最終的には人好きなので、そういう結論になってしまいます。
 
written by たかこ / 2008.02.18 19:04
ASの愛着対象に感じる嫉妬感情
愛着を持って自分の世界の一部となった相手が、自分の把握できないところに行くのは、自分の体の一部が引きちぎれて自由に行動してるような、自分の一部のはずなのに自分の意志で制御できない不気味で奇妙な状態。自分の世界の崩壊を予見させるから。
戻ってくるのが確実視できれば、離れている間だけつらいけど我慢すればなんとかなると見通しが立てれる。
しかし、そのまま離れてしまったらという恐怖に対して、離れるのを防ぐために強力な囲い込み支配や、背水の陣で相手の言う事に従っていれば大丈夫だと決め付けて服従状態になっちゃうんでしょう。

しかし服従してれば関係を続けていけると思うのはどれくらい有効なんだろう?
written by ○ / 2008.02.19 21:02

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