発達障害の視点からいろいろな問題を考えるようになって感じることは、「もともと(遺伝的に)脳から決まっていることが意外に多い」ということだ。
ADHDもASも脳の働きの中心的な部分は変わりようが無く、逆にそこを見定めて診断やケアを考えれば、他の精神科、診療内科医療では考えられないくらいに確実な反応の予測が可能となる。
やっていることは分類学や植物の形態学のような単純なことで、あとはその分類の組み合わせと相互作用を考えればいい。
ASの愛着やジャイアンの状況理解の非対称性などは「くちばしの形」や「花の色」のレベルの現実的な諸特徴の一つであり、精神科医療の複雑であいまいな「解釈」まで行かなくても、かなりの現象が説明出来てしまうのだ。
例えば「理解が困難な繰り返される自殺企図が、ASの愛着のミスマッチ(AS本人から親への愛着はあったがAS親の本人への愛着は無かった)によるものであった」といった説明は、脳の働きのレベルで行動を説明し、本人には治療的な「(自分自身の行動への)理解」という意味がある。
本人たちから聞けば容易に分かることだが、ASの人の感じる世界では、幼少期から愛着のミスマッチが起これば、「死ぬしかない」ということになるのだ。
単純な分類学で脳の働きのパターンがかなりの程度予測可能となり、それも多数派的世間では「理解困難」な人々の行動の多くが理解できるという意義がある。
私自身ADHDであり、単純で明快に説明される世界で安易に何でも発達障害的な見方をするという恐れは自覚しているが、とりあえず心療内科、精神科領域で典型的な他の疾患で説明が困難な場合に、スクリーニングとして発達障害を想定してみることは治療に役に立つことは間違いない。
このブログではそういったすぐに役に立つ発達障害の認知と行動特徴の理解に向けて考察を続けていこうと思う。
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コメント
コメント一覧
多数派にはかなうはずもない、超人的な継続力も持っていると思います。
多数派でも同じ事ですが、自分を許すというか、これでいいのだ状態に落ち着く事が最も本人にとって幸せな事ではないかと思います。
人と違っている事を極端に捉えて、独特の選民意識のようなものをエネルギーに自己愛的に努力をつづけることは、並外れた努力と非常に優れた功績となるかもしれません。そのまま突っ走り続けて破滅する波乱の花火のような人生もあるのかもしれません。
だけどそれもずっと続ける事は大変なことで、努力を持続できるでブリのないレベルにペースダウンして、完璧でない自分を許せるかどうかというのが大事になってくる時期があるように思います。それは人間みな同じだと思いますが。
老いることなど、生きていれば、だめな自分を認め許していかなきゃいけない事がたくさんあるし、時代の変化や、健康を失ったり、災害にあったり、確立してきたものが全部無意味だったのではと思える出来事には遭遇することもあって、そのなかでもくさらず生きてやるべき事はやらないといけないし、そういう修行のような日常を生きる事で、自分を許し、人を許し、許される事の尊さみたいなものを感じる時が来るように思います。
自分を許せない事は、人も許せない事なので、つらい事だし人にも自分にもつらくあたるのではないでしょうか。
人に許される体験をして初めて、自分を許せるようになることもあるし、
人を許す事で、自分を許せるようになる体験をする事もあるように思います。
>る世界では、幼少期から愛着のミスマッチが起これば、
>「死ぬしかない」ということになるのだ。
AS当事者として、この一文を非常に納得しながら読みました。
実際、これを理解してくださる精神科医・心療内科医は世の中にはほとんどいないのが現実ですが。
さすが、やんばる先生ですね!
私も愛着のミスマッチによってどん底まで低下してしまった自尊心をいかにして回復させるか、というのが現在の自分の最大のテーマです。
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