2007.12.24 16:39 |  診療  |  研究  |  その他(医療関連)  |  ADHD関連  |  YANBARU  | 推薦数 : 8

直面化と自己評価

 ジャイアンの回復には自分の脳の自己中心的な特徴についての冷静な理解が必要であり、その直面化はそのままでは自己評価の低下につながる可能性がある。

 確かに徒に自分を責めても利益が少なく、ましてやジャイアンの場合には、自分を低く評価されることへの過剰反応の中で病的になることも多い。その典型的な一つの形が「ジャイアンのAC」という状態だ。

 しかしジャイアンの脳の特徴の一つに、「表面上の問題が消失すれば問題自体を忘れてしまう」ということもあるので、ジャイアンは困る状況が無くなれば継続して問題について考え続けることさえ(たまたま環境の中でそうすることを鍛錬した場合を除き)困難となる。

 回復へのプロセスが継続することさえ、「困る状況として自覚させられることが途切れずに継続している」必要がある。 

 これと対極にあるのが、「甘やかされて尻拭いをしてもらい続ける」状況だろう。

 ジャイアンのACの治療の過程で、多くの場合親のジャイアンから押しつぶされて形成された異常に低い自己評価を治療するため、「あなたが悪かったのではない」という認知の修正をすることになるが、その結果はACがとれたもともとのジャイアンが姿を現すことに他ならない。

 普通のADHDはそれで治療終結(コーチングを除き)となるが、ジャイアンの場合にはその後かえって現実的な不適応が悪化したりして、治療が長引く。

 私はジャイアンの回復は一度はACになるくらいの自己評価の低下を経ないと困難であるように感じている。甘やかされて自分で考えて解決することをほとんどして来なかったジャイアンを治療に導入することは非常に困難であり、逆に困らなくなればジャイアンは考えることを停止することが多いからだ。

 というわけで、ジャイアンの回復の少ない可能性の道は、「病気になる寸前すれすれの低い自己評価の中で直面化の手を休めないで自分の醜さを見つめ続ける」というようなイメージになる。

 これは辛いが、これしかない。なぜならこれ以外の自分が辛くない道は、自分は困らなくても、気付いていなくても、周囲の誰かを困らせ続けているに違いないからだ。

 まあ現実の中で努力して例えば仕事や勉強、資格取得などの表面的な評価で保てるものはあることは支えになりはするが、本人がそれを逃げ場に使えば現実否認のアディクションになる可能性もある。自己評価を上げる状況はジャイアンのとってはことほど左様に両刃の刃なのだ。

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