ジャイアンの現実直視と直面化の問題を考えてきて、ようやく私の頭の中を整理できたので、簡単に書いておこう。
ジャイアンは「誰か」から直面化されると、自分の問題でなくその「直面化を促した誰か」の問題と認識して(これはごまかしのための意図的な逆ギレの場合と依存性から来るACに似た認知の障害の場合があるが)、相手の機嫌を取りに行ったり、とにかく「指摘された事実をもみ消しに」かかっているようにしか見えないことが多い。
それでも強く直面化を迫ると、病気になるか、その相手との関係をぶち切るか、自暴自棄になって滅茶苦茶なことをするか、結局望ましい展開は難しい。
もうひとつの展開として、表面上反省したような行動を取って、「怒られなければいい」という形になっていつまでたっても治らないという経過も多いと思う。
だから「誰かに指摘された形」では直面化は非常に困難である。現実の経過の中で、「自業自得の形で」何か不都合なことが起こったときに、本人が自分ひとりで問題に向かわなければならない状況が「再インストール」の唯一のチャンスである。
「本人が自業自得で追い詰められる」→「自分の問題としてどうにかしないと行けないと思う」→「たまたま手近に望ましいスタイルがあり、インストールする」、またはここから、「ジャイアンについて書いたものを読んで理解する」→「コーチングの相談に行く」というプロセスは現実的に可能だと思う。
大事なことは、自業自得で追い詰められ、誰のせいにも出来ない状態で無いと、出口にならないということだ。そういう意味では、ジャイアンは自分自身でしか変わることは出来ない。ジャイアンの回復の作業は孤独な作業である。
| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
| 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
| 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
| 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
| 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
コメント
コメント一覧
さて、毎日考えながら過ごすこと、問題と向き合うことは大切だと思いますが、私の中で「理想的な生き方をしているジャイアン」が明確にイメージできません。
思考より行動が得意なADHDとしては、お手本さえあれば同じように描けるので、お手本が欲しいと思います。今までお手本無しで描こうとした絵は、すべて描きかけだったり、真っ黒に塗りつぶされたりしています。
もちろん、細かな指示が欲しいというわけではありません。ただ、課題として「空を描こう」など大まかなイメージが欲しい。
現実問題に置き換えると「その人とは距離をとった方が良い」「今は愛想笑いしておくのが良い」などのコミュニケーションスキルになります。
こういうちょっとした場面での行動が上手な人のイメージをつかみたい。(現在は「トリック」の仲間由紀恵さんのような行動モデルで行動しています。感情を出さない、同調しない、一歩引いた行動で、たまに笑いを取る)
ジャイアンとして堂々と生きている人を知っていたら、その人についてのお話を聞いてみたいです。
何年かかるか分かりませんが、そういう方向へ持っていかないと、ジャイアンタイプや、ジャイアンタイプの素養を何割か持っているADHDは、犯罪を犯していなくても罰されるかのように周囲から孤立させられなければならなくなります。それが非人道的行為なのかどうかは、卵と鶏の理論でしか説明付かなくなります。
いじめや、モラルハラスメントも『ADHDが周りにそうさせた』と責任転嫁が出来る可能性もあります。
いじめは、学校が小さければ、兄弟にも被害は及びます。
「自業自得」療法は、医師や研修を受けた人間しか使えない規定を定める必要が出てくるかもしれません。
人は、どんな人間でも、孤立させすぎると“人間”でいられなくなります。
例え、こだわりを進化させて努力家という長所にしようとしても、やる気のスペクトラムの中を、ちゃんと“長所”へ向かっているかは、コーチの評価がないと分かりません。渦中にいる本人には、分からないものです。
決して『自己責任だから一人で努力してね。さよなら』と、周囲で一斉に言えばいいわけではないですよね。
私もずっと以前、必要に迫られてADDを職場に公開せざる得なかった後、『不注意があるなら口きいてやらない』の宣言も説明もなく、雑談からはぶかれ、無視された経験があります。
ASがもっと強かったら、暗黙の了解の意味も読めず、大パニックになるところでした。危なかった…。
万一、私が解離になっても、現状では労災は利きません。
訳が分かっていない者には、使って欲しくないですね。
支援の仕方は、面倒でも勉強して欲しい。
先生達、ADHDに真摯に取り組んでいる医師達に、正しい支援方法を確立していただきたいです。
正しい、と言っても難しいですが、あえて、正しい、と言ってお願いしたいのです。
私達は障碍は背負っているが、罪は背負っていない。
だから、正しい方法で、ゆがみは治療されたいのです。
私が望むのは発達障害がもっと科学的に分析され、糖尿病や高血圧や癌のようにきちんと医科学的検査の数値でその結果病気だと認識できるようにしてほしいということ。
肉体的な病気は本人だけでなく多くの人に症状や辛さをわかってもらえるのに、発達障害は医科学的根拠も示されないまま「脳の問題」として片付けられる。さらに嫌なことに「障害」という名称までついている。
いまここで不満を言ってもなにも進展しないのは重々承知です。
発達障害をもつ人は生まれながらに非常に理解しがたいハンデを背負って生きているということは事実。公的援助、支援が確立していないのも事実。食べるためには自助努力で仕事をこなし自立するほかないことも事実。
自分の欠点は欠点として受け止め、自分の良いところも自分で評価し認めてあげないと生きていけません。
発達障害者が充実した気持ちで生きるために、「自己肯定感を高める」ことも大切な要素だと思います。
これ、強いて言うなら一種の「自殺」ですよね・・・
私も、最近「変わった」と友人には言われますが、まだまだ道は遠いです・・・
困った時他人に「助けてくれ」と言えるようになったのは一つの進歩でしょうか。(?)
コメントを書く