(前のスレッドへの質問に応えて)
自分自身を醜いと考えることは誰でも苦しいだろう。しかしここに書き込んでおられる多くの人も同じだと思うが、「正直率直に見れば醜いと言うしかない」自分の面があるのは紛れも無い「事実」で、実際そうであるのだから仕方が無い(少なくとも私にとっては)「本当のこと」だ。
本当のことから目をつぶって逃げても、自分はその「逃げている」ことも分かっているので、それも(逃げているという)「自分が醜い」ことのひとつの証拠を付け加えるだけのことだ。
ADHDは自分にも他人にも一番きつい突込みを入れる。(ここがASとの一番の違いだろう)。それから逃れるためには薬物依存やアルコール依存、解離性障害にでもなるしかないだろう。少なくとも私には自分を騙して逃れる方法はないのでここに留まっている。
別の言い方をすれば、直視し続けないほうが私はもっと苦しいのだ。「本当のことも見切れない下らない奴」になってしまう。
私には「自己中でエゴイスト、周囲に迷惑をかける」と言われるよりも「本当のことから自分は逃げている」と自分を責めなければならないのはもっと苦しいことだ。
私の言いたいことは、問題の根本が「脳から来ている」ということ。もともと脳が自己中に出来ていることがことがらの始まりであるということだ。
「それが分からないよりは分かったほうが少し楽だ」「周囲の人から理解するのに役に立つだろう」と私は思う。そう考えて自分が「本当」だと思うことを書き続けているが、見たくない(見る時期に無い)人は見ないほうが良いのかもしれない。
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私自身は不惑を目前にした今でも、多数派や多数派集団に対しては一定のレベル以上は馴染む事が出来ず合わせる事も苦手なままで、多分そうした理由により家庭生活において虐待を受け続け義務教育期間にもイジメを受け続け、人生の殆ど全てを他者から植え付けられた自己否定と自罰の意識にさいなまれ生きて来ました。
しかし、最近は解離性障害からも種々の依存症からも回復しつつあり、ここに至って発達障害傾向を持っている可能性に思い至った上での質問でした。
やんばる先生の仰る「本当のことも見切れない下らない奴」に成り果て成り下がるのは私自身も嫌悪するところです。
私も私にとって「本当だと思われること」を追求して生きて参りたいと思います。
迅速かつ率直なご意見、本当にありがとうございました。
そのとおりだと思います。他人(身内でも)に暴言をはきながら直後に(時にはその最中に)自分にもさらにきつい暴言を吐くのです。脳のつくりがそうなっているのだから仕方がない、とあきらめられないので余計に苦しく辛いのです。
私にとって一番耳が痛い言葉です。これができなかったために今まで堂々巡りをしていたのだと思います。
身近な人をみてあの人こうすればもっといいのにな、と客観的に出した答えは自分的に2重丸つけられるのに。自分のこととなると答えがでません。よく考えたつもりが的外れと
か・・・外からの情報は理論的に分析可能なのに、内側に起こっている事柄には対処できない。そんな感じです。変です。だから障害なのですね。
そうですね。結論を求めると行き着く先はそうなってしまいます。
きつい突っ込みになる言葉で結論を出さないと、周りの人々は適当に主観的な見方しかしてくれませんから、当てになりません。
だから思考の中で突っ込み、結論を出す作業は生きるための戦いからきていると思っています。
オリジナルの結論を出さないと周りを振り回して、裏切り者になってしまう。
結論を出そうとすると、そこでやっとこうしてインターネットで調べたりして行動を始められる。しかし、最後は自分を痛めつけながら捜す作業になってしまう。
この戦いは、自分で自分を裏切りながら周りに合わせるか、努力を放棄して自分を楽にして周りに裏切り者扱いされるかの選択をしながらしていくようなもの。
二足のわらじを履いているようで、負担は小さくない。
自分の自分に対する要求、それは誇大妄想的な全ての不都合を圧倒する自分になる理想像もあれば、苦痛に対して楽になりたいという生理的欲求もある。
私に言わせれば、先に苦痛があったから、その原因となる不都合を解決するために必要な理想像を頭の中で自分に求めたわけだが、理想像を自分に求めてはいけないから、苦痛も取り除いてはいけない、という結論は、願わくば間違っていると思いたい。
いじめ、二次障碍の共依存、嗜癖行動からは、脱出するべき。
その方法を探す権利はあると思っている。
不都合を圧倒する力が無くても、脱出する権利はある。
だからこうして探している。
このブログは、私の信じたいことを、確信へと後押ししてくれます。
>ジャイアンの分析の本当の必要性は黙って読んでおられるジャイアンの方々にあると私は思う。
二次障碍や、周りに与えている被害程度も、ひと言で括らずにスペクトラムで振り分けられると思う。
黙っていられず書くまで追いつめられ、こうして必死で書いて生きるための答えを探す者もいれば、書くまでもなく人事のように読み流して「そうそう、私まさしくこれ。ジャイアンだわ」と笑いながら独り言を言って終わる者もいるでしょう。その前にパソコンを買わない人もいるかもしれない。
まだ必死でない人でも、ジャイアンとして周りに被害を与えていれば、例え本人がうるさがっても問題の直面化と自己分析を本当はやって欲しいのだと。
だから、書いてまで自己嫌悪と葛藤を繰り返している、ここのコメンターの方たちは、スペクトラムの中でもかなり成長した範囲にいる方たちだと、そう先生は分析してくださったのではないかと、私は思いました。
無意味な自罰は正しくないでしょうが、どこまで反省すれば十分な反省なのか、ということは、客観的判断が難しいですね!
・AとA´の共通性を見出せるかどうか
・´の部分にとらわれて、本質を見失っていないか
これを念頭に置くと、自分がジャイアン的行動に出る瞬間がわかります。私はそれをリトマス紙にして、行動の制御、抑制をかけます。
この抑制は、排泄を我慢するよりも辛いものです。しかもずっと続きます。この状態が多くなる場所に居るなら、場所を変えたほうがいいと思う。
事実、私は頻繁に場所を変えます。この脳が幸せと感じられるのは、自分の支配する場所、ジャイアンにとっての「空き地」のような場所を見つけるか、作るかしないと難しいでしょう。現在その場所作りに全力投球しています。
情けない話ですが、ここ2~3日気持ちが撃沈しています。「ジャイアンにとって反省とは」の内容が理解しにくいのです。初日、何回か文章を追ってもよくわからず、2日目は朝から素直に自分自信の分析を試みましたが何も成果がないのに頭痛だけがガンガンと。まるで脳ミソが炎症おこしているような不快感。気がつけば炎症の部位は額のすぐ裏の部分。ここはもしや!と思い調べたら前頭葉の部分?。確か前頭葉の働きが悪いと問題行動を起こしやすい?そういえば私も長男も額がせまくてしかも平らだから容積も小さいかも。
では普段は脳ミソのどの部分を使って考えているのかと意識したら右側の頭頂部付近の表面近く。内容によっては頭頂部全体の表面近く。
今までいかに前頭葉を使っていなかったのかがよくわかりました。そして一晩寝たらすっかり頭痛は治まりました。
私の「自分自身の分析」の第一歩はこんな感じで、私はほんとうに重症のジャイアンらしいです。
でも分析は続けます。算数の文章題が苦手な息子に、「問題の意味がわからない人は声をだして100回読みなさい」といつも言うのですが、私も同じレベルですね。昔から理解不能と決め付けてシャットアウトよくしてました。
こんなことを書くから訴えのわりに真実味がないと誤解を受けるのでしょうが、真剣に考えたらウツになりそうな時の脳の逃避行為かもしれません。脳が逃避しても心は常に「理解」を目指しています。
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