2007.12.18 22:40 |  診療  |  研究  |  その他(医療関連)  |  ADHD関連  |  YANBARU  | 推薦数 : 5

ジャイアンにとって反省とは?

 私がここで試みているのは「説明」だ。ジャイアンの認知と思考がどういう仕組みになっているか? 私なりに自分自身やこれまでに出会ったジャイアンの同類の人たちを思い浮かべながら、まず「どう考え何をしようとしている行動なのだろうか」ということを理解することがここで進めている記述の意味であり、その理解はそれぞれ読んだ人が自分自分の理解や家族、近い人の理解に生かせればいい。

 たとえば表面的にうまく行っている人はジャイアンならではの問題に悩むことは無いだろうか? 私の場合は「否」だ。表面上結婚もして仕事もして収入もあってそれなりに評価もされても日々自分のジャイアンの醜い心理に苦しんでいる。

 「相手によって自制ができるか否か」などは実に表面的な話であり、本当に自分にとって大事な場面で自制ができないのがジャイアンで、その面は通常表に見せびらかしていないので、それこそ表面上つくろうことは簡単なことだ。自分が優位に立った立場であれば簡単に「仏」にでも成れる。

 ほかの人のことを云々するのは止めにしましょう。読んでいる本人にしか分からない大事なことを私はここで伝えたい。自分の醜さの理由、メカニズムは何か? まずはそれを理解することが出発点だ。

 「どうしたらいいか」という対策はどんな方向のものであっても、ともするとジャイアンのお得意の「自己正当化」の一つでしかないことが多い。

 3歳でもジャイアンは言葉だけで「ごめんなさい」を言うことができる。それでそれ以上咎められないことを学習すれば。

 「私にははだめなところがある」と声高に言い続けることは果たして反省と言えるだろうか?

 ただそれこそ否定的な記述に感情的に反応したジャイアンの「自己正当化」に過ぎない可能性だってある。

 だから安易に「どうしたらいいか」に行かないことがまず大事なことだ。何が起こっているかをまず理解する。

 本当の反省は自分自身に対して冷静に分析を続け、理解できた理論的分析をひとつずつ積み上げていくこと、大事なことはその作業から安易に外に逃げて出ようとしないことだと私は思う。

 ジャイアンの分析の本当の必要性は黙って読んでおられるジャイアンの方々にあると私は思う。

 (家族や関係者の場合は別だが)ほかの人のことはいい。

醜い自分の心理の理解を自分自身のその後の人生に生かせるか否かを考え続ける。そういう孤独な作業が「反省」だと私は思う。

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