ASの人の愛着に関わる深刻な情緒的な問題に、意外に「ADHDが相手となると解決する」ということが分かってきた。
例えば「受動型ASの家庭内暴力」という現象があり、外では大人しいのに家で愛着の母親に対してのみ暴言を吐いたり時には暴力も見られるのだが、この場合も母親が(ジャイアンでない)シンプルなADHDであると泥沼化しない。
なぜなら、シンプルなADHDは情緒的に反応しないために、暴言に対してもはっきり言うか、無視することができる。これが多数派であると親のほうが病気になり、逆に親がASでも過剰反応して悪循環に陥る。
受動型ASの場合には特に「相手に何かさせなければ自分が動けない」ので、どんな方法でも相手を動かすしかなく、その結果が暴言になることもあるのだろうと想像している。特に「神経を逆なでする」ような強引な言葉や行動をすることが多い。
シンプルなADHDは「自分が楽しければいい」と欲が少なく、また親切で相手に100パーセント親身になれる。でありながら情緒的な揺さぶりにまったく反応しない。この点が特に受動型のASの本人にも楽に感じられることもあるだろう。
私は世の中に「AS-ADHDカップル」が多い理由のひとつがこの辺りにあると考えている。「ジャイアンにASが引き寄せられる」のとはまた違うパターンのカップルのあり方だ。
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わたしは精神科でソーシャルワーカーをしているんですが、大学在学時代に自分はADHDよりの人間だと診断しました。
そして今の夫との関係性...まさに先生がブログで言った通りです。そんなこんなで夫とはうまくいってますが...
多数派の私と、ADHDの息子の相性は最悪です。
以前、映画館で息子に似たタイプの子を見ました。
その子のお母さんは、息子の言動に少しも困った様子はありません。
しかし、周囲の目をひくほど風変わりな親子でした。
そして、なによりウチと全く違うのは、その親子はとても仲良しでした。
その時、「私もADHDだったらこんなストレスはないんだろうなぁ」と思いました。
ASやADHDの人に感謝という感情はあるのですか?
ASが依存してる相手に暴力的である→依存相手が配偶者であったり、友達であったり、支援センターのアドバイザーとした場合、「こんな理不尽な事に耐えてもらってありがたい」
と感じるのですか?感じないから続けるのでしょうか?
ADHDも「人の気持ちが解らない」から感謝の感情は無い?か自己中と言われるゆえ、あっても薄いのでしょうか?
コメントありがとうございます。
あなたの質問の意味が分かりません。何をお聞きになりたいか、あなた自身のお聞きになりたい理由をもっと説明してください。
あなたは多数派ですか?
多数派には「感謝の気持ち」があるのですか?
あるのであれば、どのようなものか教えてください。
素朴に知りたいという理由です。
私は多数派です。私が思う感謝の気持ちとは:
例1)友達が仕事を手伝ってくれたら「ありがたい」と思う感情。
例2)お祝いをもらったら「祝ってくれてありがたい」という感情。
例3)他人が体調を気使ってくれる思いやりに「ありがとう」と感じること。
例4)物をもらって「ありがとう」と感じる気持ち。
困ってる時に手を差し伸べてくれる、支援してくれる事をありがたく(うれしく)感じる感情を「感謝の気持ち」と表現してます。、そしてその感情は感謝の度合いで短期間~何年にも続く長期間のものもあります。
受動型ASが愛着の対象に暴力的であったり、暴言吐いて、その相手が耐えてくれる(聞き流してくれる)事にありがとう、と感謝することは無いのでしょうか?
私(多数派)も子鹿さんのような疑問を持っているので、是非「感謝の気持ち」を持っているのか教えていただきたいです。
例えば、目の不自由な方は、介添人の方に感謝の気持ちを持っていると思います。
車椅子の方は、押してくれる方に感謝の気持ちを持っていると思います。
その延長で考えたとき、ADHDの方は多数派に比べ、多少お手伝いを必要としていますよね。
(つづき)
つまるところ、私の場合、息子が外で迷惑をかけた時、代わりに謝っている第三者(親や先生)に対し、感謝の気持ちや申し訳ないといった気持ちを持ち合わせているのかを知りたいのです。
私はASで、弟はおそらくADHDだと思います。
感謝の気持ちは常に持っています。
自分の存在することは、誰かや何かのおかげである
そのことに感謝することが人生で非常に大切である、
が、両親の教育方針でしたから。
ただし2人とも、客観的に見て社会的なズレはあるかもしれません(感謝することに関してだけは、ないつもり)。
教えられなかったら、そういう概念はもてなかったかもしれませんけど。
ただ確かに世間(私の場合は友達、地域、子供の学校を見たとき)的に「感謝がない」と言われるとそれも思い当たるのです。逆の立場から悩んでいます。うまく感謝が伝えられないということです。たくさん感謝する場面はあります。考えすぎてしまって伝えるタイミングを逃したり、違うことに頭が行ってしまって、あとから「あそこで感謝するべきではなかったか」と悩むということです。だから感謝の気持ちがないわけではないのです。
ADHDだからなのか、常に頭の中は、別のことでいっぱいです。特にある特定の人の前では、自分を出せないということもあったりしまう。そういう人の前では「感謝」という気持ちも違うものになってしまったり……。つまりその人との関係上、常に身構えているため、自分ではないものになっているということです。私の場合は、親や子供の学校の先生、そして常識ぶる人などです。
親はよく気がつく人です。周りにもよく気を配ります。同じように私ができるかというとできません。ですが、そう思われないために親は私の分までいろいろやってきたと言ってもいいでしょう。そのため、私はうまく人に感謝できなくなった(甘えだと言われればそうかもしれませんが、あえて)のです。例えばお祝いの品をいただくと、私が返さなくてはいけないのに、「私(親)がやっとくわよ」と言ってやってしまう、とか、私が必死で考えて選んだ品物にケチをつけて、「すいません、季節の違うものを送ってしまって……」と相手にわざわざあやまったり……。私が選んで送ったんだから認めて欲しかったです。
私は今でも、人にモノを贈るのが苦手です。モノをもらうのは平気でもらえるのに、あげるのは悩んで悩んで、やっぱりやめておこうというのが常です。でも、これが私なのです。そう言うしかありません。
感謝はしています。でも人に迷惑もかけています。だから悩みます。
コメントとても勉強になります。
私の友達がAS+ADHD?と思われます(診断確定してません)。
私がお薦めのレストランに入ると、金額が高いと文句ばかり言うので、私がおごりましたが礼も言わずにさっさと出て行きました。
で人のお金と思うと今度は大判振る舞いします。
仕事の手伝いをさんざんしても、ねぎらいの言葉一つありません。
お祝い事があり、お祝いを包みましたが、「何じゃこれ!こんなもん必要ない!余計な事言わなければよかった。」と乱暴に言い放つ割にしっかり持ち帰り、後でメールでお礼を書いてきました。
友達も感謝の気持ちは持ってるみたいです(と思いたい)。その場で言葉に出して「ありがとう、と言う」ことを教えておげればよいのでしょうか?
無事出産し、現在7ヶ月の娘の母です。娘はかわいいです。そのうち娘との関係についてコメントさせていただく機会もあるかと思いますが、今回は「感謝」について多数派の方々の疑問があるようなので、ADHD(自己診断)の身としてコメントします。
「感謝の念」があるのかないのかといえば、それは思春期に周りと多くのトラブルを起こし、自己の行動を省みるなかで芽生えた思いです(YANBARU先生のおっしゃる「ADHDのジャイアン⇒ADHDのAC」への道のり)。それまではしばしば母に「おまえは思いやりがない」と言われ、「思いやりって何?何をすれば思いやりがあるわけ?」とか反発していました。
また、マダコさんがおっしゃるように、自分の「感謝の念を伝えるための行動」が多数派的に的確であるかどうかについてはいつも迷っていますし、未だによく失敗しています。
相手に対して「何を」「いつ」やれば最大に喜ばれるのか(礼を失しないのか)って考えるとうんざりします。「自分のして欲しいことをする」とかってADHDには無縁ですものね……
というわけで、小鹿さんのご友人がADHDであるとすれば、小鹿さんの行動に対し
1)「感謝の念」を持っていなくはないが、それを表すことが多数派と付き合うにあたって非常に重要であるということに気づいておられない
2)そもそも感謝してない(それは多数派の常識からして感謝するべきことであると知らない)
のどちらかであるかと思います。
で、どちらの場合も小鹿さんが述べておられるように「こういうことをしてもらったらそれは感謝するべきことであるからすかさずお礼の言葉を述べなさい」と言ってあげるのがよいと思います。そしてこちらが言わなくてもお礼の言葉が出たら喜んであげるのがいいと思います(強化ってやつですかね…)。
2)の場合、小鹿さんが喜ぶことをやったほうが生活がうまくいく(小鹿さんがいるから自分の生活がなりたつ)、とご友人が考えればしだいに改善していくでしょう。ただご友人がジャイアンADHDだと、「感謝って何?くえるの?」となってしまう可能性もありますが、そこでおつきあいを続けるかどうかは小鹿さんのご意思ですね。
ADHDであろう旦那には『内』を出している。新婚当初には、仕事三昧の旦那に夜な夜な、恨み節のような手紙をテーブルに置いて寝ていた。
でも、全く効果は無く、何事も無かったかのように接してくれた。憎かったけど、気楽だった。
あれから長い月日が経ち、今も私の不満を聞いてくれる。『外』であった嫌なことや、旦那に対する文句も、「へぃ」と聞いてくれる。
多分、他の男性なら、とっくにブチ切れていたと思う。
ただ、旦那は、私が「こんなことがあった!」と話をした時に、真剣に聞いてくれてるのに、三日後に「それで、あの話だけどね…」と話すと、何故か初めて聞いたような顔をする。(・_・)エッ......?
忘れているか、聞き流しているか、分からないけど、こういうタイプだから私と長く夫婦をやってこれたのかな。
もし、私が言いたいことを言わせてくれないタイプの人と結婚してたら、私はどうなっていただろう。
きっと、壊れていたと思う。
そういう意味では、ADHDの旦那によって、解決されてきているのだろうと思う。
感謝を言葉にしなくちゃ!
(*^_^*)
と言わないと、常に思っていないと関係はと続けられないのでしょうか?
私はこんなにあなたの為に「やってあげているのに」「ガマンしているのに」って...
確かに発達障害があると出来ないことがたくさんあるし、人に迷惑もかけてしまうことも度々あると思う。
空気も読めなくて多数派の人には嫌な存在かもしれない。
それでも「あなたの為にこんなにしてあげているから感謝しろ」というのはとても嫌な感じです。
こういう場合には「ごめんなさい」「ありがとう」だよ
と教えてもらえると使えると思うけど「心から」というのは本人ではないのでどうしようもないと思う。
私の場合はず~っと感謝し続けるというより
取りあえずお礼を言って相手になんかあった時はカリを返そうと思います。
目の見えない人、車椅子の人の介助だって
ず~っと感謝をしてもらうというのはどうかと思う
(やってあげたという上から目線だと思います)
そういう気を使わさずにさりげなくあたりまえに手助けができるのが一番いいと思います。
身体障害の方を取材した本で、
「こんな夜更けにバナナかよ」という本があります。
さりげなくでは済まないハードな介助にたずさわった上で、
まったくあひる様と同感に達した人たちが出てきます。
http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20070418/_ADHD_
で一度相談しておられた時は、小鹿さんの古くからの知り合いが仕事上うまくいかないことについて相談にのっているのだが打開策がみつからないので、さらにここで相談したいということでした。いきがかり上ということでしたが…。
同じ方について、今回は、小鹿さんへの感謝がないことについて怒ってらっしゃるのでしょうか?
相手は小鹿さんに尽くされる事を求めているのでしょうか?
小鹿さんが一方的に尽くしたがっているように見えます。
息子が外で迷惑をかけた時、代わりに謝っている第三者(親や先生)に対し、感謝の気持ちや申し訳ないといった気持ちを持ち合わせているのかどうか、ということですが、
そもそも息子さんは、自分が「迷惑をかけた」ことを理解しているのでしょうか? それがないなら、「自分が謝るべき」ということも理解できないと思います。まして「自分の代わりに親や先生が誰かに頭を下げている」ことなど理解しがたいのではないでしょうか。
感謝や謝罪の気持ち以前のことですが。
red sappireさんの意図とずれますが、自分は、
小さい子供の躾では、
<<定形だろうが非定型だろうが>>、
<<子供が理解しようがしまいが>>、
迷惑をかけた相手に直接強制的に謝らせたうえで、親や先生にも謝らせ、さらに感謝を強要すると思います。「感謝しているんだろうか」などという感傷はないのが、子供を社会に適応するように育てなければならない親や教師の務めなんだろうと思ってきました。年齢が高くなっても子供に対する親のスタンスは同じだろうと思います。
当然のことながら、息子が他人に迷惑をかけたときには、その理由をあらゆる手を使って、時には長い月日をかけて説いています。
一応本人は反省し、理解したと言います。
そしてまた同じ失敗を繰り返します。
「わかってるけどやってしまう」と本人の弁。
その上で、何度も自分のために謝っている第三者を見て、どう思っているのだろうと思ったのです。
「大変な子を育てているのだから、親の私に感謝してよね」という意味では決してないということをご理解下さい。
「親の心子知らず」
ということばがあるくらいですから、
<<定型であろうがなかろうが>>、
子供時代の子供に、親の心情への共感を求めることは土台かなり無理な要求だと思います。
自分のために何度も謝っている親や先生を見てADHDの息子さんが理解できるのは「自分は親や先生や社会の期待に応えられない子供である」ということぐらいではないでしょうか。
red sappireさんの意図からまたはずれます。
以下、勝手な憶測に基づいています。
ADHDの当事者に言われると相当お腹立ちになるだろうとも思います。
red sappireさんにとっては、ADHDは、ご自分が良い母親であることを困難にする、加害者なのでしょうか。相当煮詰まっているように感じます。
息子さんの一番の味方で理解者でありたいと思われるのは、親としてあたりまえの心情でとても良いことだとは思いますが、どこか爆発寸前の印象です。
経験として、理論で理解を固めたと思いこんでいる相手に心情で怒られることほどやりきれないことはありません。
ご自分が産んだ息子さんとはいえ、怒りがたまるのは当然だろうと思いますし、髄一のADHDの理解者として、周りの人たちには愚知をこぼせない状況も想像できます。
red sappireさんに、今、いったん、必要なのは、
良い理解者であるということを止め、
「ADHDのおおばかやろおおおおお」と叫び、
「ほんとひどいよね、ばかだよね」
と、同じADHD被害者に無条件に共感してもらい、自分自身を認めてもらうことではないでしょうか。
勝手な推測とおっしゃる通り、申し訳ないですが、状況はハズレです。
我が家の場合、8年間の通院と、多数の理解ある協力者より、息子は今とても良い状況になっております。
「ばかやろお」と叫ぶ時期は何度も通り、ようやく穏やかに発達障害と向き合えるようになりました。
「煮詰まっているように見える」「爆発寸前の印象」
こういう言葉は、たったこれだけのコメントのやりとりから書くべきではないと思いますよ。
それ以前に他人のことを推測から決めつけて、そんなふうに一方的に人を責めるのはいかがなものでしょう。
息子のためになんども他人のために頭をさげなければならない
その時息子が自分のために頭をさげている人をいったいどう思っているのかと思う
しかし「息子はとても良い状況にある」ので、「穏やかに」向きあっている
多数派に比べ「お手伝いが必要」と決め付けられたADHDとして関連が全く理解できません。確かに理解のためお手伝いが必要です。
red sappireさんの、次スレッドADHDに感謝があるかへの 2007.08.22 00:22付けのコメントは、自分にとっては爆発そのものです。
多数派の中の理解者であると自負された上での発言であればあるほど、自分にとっては恐怖の度合いが増すだけです。
31歳元腎臓内科医師女性です。
わたしがもしASだとした場合、わたしの気持ちを参考にしていただけますと幸いです。
「愛着の相手にはかなり無礼で、感謝の気持ちは微塵も無いようにふるまう。」のがわたしの愛着の方法です。
なぜならば、わたしは愛着の相手がたとえ全世界を敵に回すようなことをしたと言われ罪人として裁かれようとも、わたしだけは「愛着の相手は正しいことをしているに違いない」と言い切ることができるからです。
だから相手も「私に対して同じような気持ちを持っているか確かめる」ような行動をとります。
誰もが絶対に怒るようなことをしてみる、非難してみる、
手伝ってくれたことをそんなことは時間の無駄ですと言ってみる、くれた物は要らないと言ってみて、でも持って帰る。
しかも年余に渡って日々そのような行動をし続けるのです。
こんなことは「だれかに愛着したら日常的に行う」行動です。
ほんとうに大事なひとをいままでどんなにか泣かせてきたか、でも、わたしは全世界を敵に回してもあなたのためなら、なんでもできると言い切ることが出来るのです。
そこそこ気づきが悪いから日常的に誰にでも無礼であったりするけれど、第3者からはむしろ「天然ボケでほほえましい」とおもわれたり、案外緊張すると「まとも」な行動をとれたりするものだからさらに、
「ぼくらはキミ(わたしのこと)にこれだけやってあげているのになにもわかってくれないのに、なんできょうあったばかりの他人のまえではまともなのだ」
と愛着のあいてからはますます「悲しい」とおもわれたりします。
なんか小鹿さんの記載をみるとわたしはまるでじぶんのことじゃないかとおもってしまうくらい反省します。
小鹿さんも「かなしい」のでしょ、チュウベンもよく言います。
本当はとてもとても感謝しています、世界で一番あなたたちが大好きです。だからこそ辛いのです、わたしは知らずしてあなたがたを傷つけてしまうから。
とウチのボスとチュウベンに伝えたいです。
あ、それはそうと前にやんばる先生に転送したチュウベンからのmail名前伏せて載せてもらってもいいですよ。
チュウベンの意見はもっともであるし、ASとのやりとりとして「真の協力者」の率直な意見ですから多くのひとに参考になると思います。
とにかく
「わたしの愛着」
さえ生じなければ、わたしの前途も有望(笑)なのだが。
世界中の人間が悪党だったら素晴らしい、愛着することもないから。
ほんとうにいつも苦しいです。
会わないことが解決策と、深夜営業(笑)中。
アンビバレンスの具体的な解決策を見つけることができれば
全てが解決するのだけど。
箱庭療法でも行動療法でもなんでもいいから具体的なアンビバレンス解決法どなたかご存知でありませんか。
「気づきがわるい、無礼、配慮が足りない、頑固、融通が利かない」、そういったことは「妥協しない、常に全力で一生懸命、じぶんの信念に忠実」といったASのもうひとつの特性のため別に特別な努力をしなくとも時間とともに第3者はわたしを「天然ボケでほほえましいひと」と考えてくれるようになり、私をライバル視するひとがいない分案外どこでもうまくやっていけます。
(ASのみなさん気づいてね、とくに意識しなければ愛着以外の人間はおおくのひとがあなたを嫌いませんから。)
しかし、愛着がいるととんでもない。
小鹿さん、もしよろしければ、私の投稿をそのASとやらのひとに見せてあげてください。
否定するとはおもいますが、きっと共通点に気づいて、
そのひとは「すこしラク」になるとおもいます。
悪い子を演じ続けるほうも苦しいのです。
このコメントは非常にありがたかった。このコメントはASの人以外が書けないことなので。私は分かります。理解されにくいことも含めて。このあたりが別のところで「救われる」と私が書いているところです。
mina様 コメントありがとう。
あなたのアンビバレンスの解決も「ADHD」だと思います。ADHDが、あなたのここに書いたことを理解して、あなたの「そういう表現なんだ」と毎回変換して受け取るようにすれば、あなたはそのままで良好な人間関係を築ける可能性があると思いますが、どう思いますか?
先生や皆さんの書き込みいろいろと拝見させていただきました。
そして読んでいくうちに、母がASまたはADHDではないかと思うようになりました。
それから、mina様のコメントでASの愛着に対する言動よく理解できました。ありがとうございます。
おかげで母の私に対する仕打ちも、なんだかわかったような気がします。
ただ、mina様のお言葉を母に照らし合わせた時、どうしても腑に落ちないことがあります。
>わたしだけは「愛着の相手は正しいことをしているに違いない」と言い切ることができるからです。
という部分なのですが、それでも次のようなことは起こり得るのでしょうか。
愛着が自分のしたことによって体調を崩すという場合、そのことを愛着に言葉で止められても、
したいという気持ちがどうしてもおさえられない。かえって余計にやりたくなる。
それで、愛着が何度も体調を崩してもそのことを目の前にすると止められたこと、
体調を崩すということ全て忘れてやってしまう。
してはいけないことというのは、掃除機で掃除するというようなそれ以外に解決方法があったりするようなことです。
それでも掃除機にこだわるのが少数派の特徴なのでしょうけれど...
愛着として本当に大事に思っていたら、軽い心臓疾患のある私の体調を心配してはいると思うのです。
愛着が具合が悪くなってもこういうことを繰り返すというのは、
「どんなことがあっても味方だよ」と思っているというのと相反するようですが、
それでもこういう行動をとるのが普通で止めることは出来ないのでしょうか。
今までずっとこういうことの繰り返しで、私の病状は悪い方へと向かっています。
その状況を読み取れないということはこちらのBlogでよくわかりました。
言葉で伝えてもわかってもらえていないように感じていましたが、それもわかっていないわけではないのかもしれないと思いました。
こちらで少数派の気持ちがわかり、気持ちで許すことが出来ても、体調は悪くなってしまうのでどう対応したらいいのかもわかりません。
子供の時のことなどいろいろ考えると、私もたぶん少数派の方なのだと思います。
今頃コメントをもらってるのに気付きました。遅ればせながらアドバイスとご親切なお申し出、ありがとうございます。
残念ですが友達にこの内容を伝える事はできなくなりました。喧嘩して断絶しました。
誤解が同時期に3重に重なり、二つは友達の完全勘違いで私が怒って抗議したのでミスを本人も認めましたが、一つは私の言葉使いの不注意からその友達に誤解のかかる形を招いてしまい、怒らせてしまいました。
とてもプライドの高い人で本人は無意識ですが常に自分は最高峰と自覚して行動しており、自分の価値評価が下がると思ってるので、決して許さないと思います。
ちなみにこの「最高峰の位置付け」を後輩の精神科医はASと判断してますが、友達は頭脳明晰、容姿端麗、スポーツ万能、正に完璧。しかもそれをわざわざ自慢しません。あの人の中でそれらは全部至極当然、普通のことなのです。「ASの特徴」ではなく「事実」です。
友達は「何か自分は人と違う」ことの答えを探していました。専門医を紹介し、受診前にその先生の講演を二人で受講し、本人の職場の最寄の支援センターの住所も知らせ、YANBARU式ADHD自己判断のHPも紹介しておきました。頭の良い人ですから本人が必要とした時に、自力でたどり着くことが出来るように。
お友達がASであるとして、きっと小鹿様は「かれの愛着の対象」であったんだろう、と推測します。
わたしなら、たぶん愛着の相手にそのようにするだろうな、ということですけれど。
いまでも、これからも、これからもずっとずっと、
たとえ明日世界が終わったとしてもその瞬間までも、
別に変な昔の漫画みたいな台詞でもなく、
事実として「愛着」し続けるでしょう。
辛いんです、いつか、ほとぼりが冷めた頃、彼に会ってくださいね。
たぶん、それでもそっけないでしょう。
でもとてもとてもとても嬉しいのです。
是非、宜しくお願いします。
お世話になります。
じつは、今の今までコメントのお返事をどうしようかと
思っておりました。
わたしは「ADHD」を見つけることができないのです。
ASはすぐわかりますけど。
labではわたしの愛着のため、その対象となる
オーベンとチュウベンに日々辛く当りつづけ、
それでも彼らはずっとずっと待ってくれていたのですが、
最近は、
もう疲れた、とわたしは捨てられた状況です。
ゴミのように嫌われています。
1年くらいは我慢してくれたのですが、もう限界なのでしょうね。
自分の信念であるところの
「世界平和を考えて日々精進すること」
それをたまたま言いましたところ、
「labの平和を乱しているのに、何を言っているのだ」と
呆れられました。
わたしはあなた方「愛着」以外の人たちにはいつもそうしています。
誓って言うことが出来ます。
よく見ていただければ、わかるはずです。
私は「愛着」に対して嫌がらせを働きますが、
その他大勢に対しては「とても都合のよいひと」です。
馬鹿正直で不器用、私利私欲には走れない、元日も朝6時から仕事しても普通と思っている。
本当にだいじなひとに「ありがとう」と言われるように
生活したいだけなのに、
どうしてこうもその大事な人を失望させるのでしょう。
仕事場やlabを移るたび、大抵オーベンやチュウベンに
愛着します。
そのため、いつも苦しくなる。
周囲のその他大勢からは
「あなたは良く頑張っているし(過度に、通常の3倍以上とよく言われる)、実際に成果も上げている。なのに、なんでオーベンからは評価が低いのか。」
愛着しなければ、大丈夫なのです。
「愛着」を本当に疲れさせてしまったとき、
どうすれば関係が修復できるのでしょうか。
とても大事な「大多数派の理解者」だったのに。
会えば会うほどにわたしは嫌がらせを言ってしまいますし
(しかも相手のプライドを著しく傷つけるような事実、普通のひとは言わないらしい、しかも本人に向かっては決して)
本当に苦しいです。
ASの法的犯罪に関しての議論
いろんなHPや雑誌等で目にしますが、
多くが
「共感が出来ないから、とか、コミュニケーションの障害とか。」そんな記事、ちがうでしょ、そんなの。
わたしは、わかります。
別に「愛着以外のその他大勢」とコミュニケーション障害があっても実は本人はそれほど気になって居ない。
「わたしの価値がわからないなんて、かわいそうなひとたち」くらいに思っている時さえある。
犯罪の原因? -> すべては「愛着」が原因でしょう。
直接的にも間接的にも。
共感できなくて集団で孤立したとしても、
その集団のなかに自分の「愛着」さえいなければ、
全員に忌み嫌われていても別に何ら気にもなりません。
「愛着」が自分の前から消えてくれたらいい、
自分が消えるか、相手が消えるか、大抵自分が消えるのだけど。
具体的にどうにかならないものでしょうか。
こういうとき、こうしたらいい、とか。
相手をADHDで解決しようにも、labの指導者全員がそれに
該当するわけでもないし。
わたしはある程度健常に近い、というか本当にASだろうか?
いまでもおもっていますが、それでもこの調子です。
辛いです。
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