2007.08.24 18:45 |  診療  |  研究  |  その他(一般)  |  ADHD関連  |  YANBARU  | 推薦数 : 6

ジャイアンは感謝を要求する

 ジャイアン(自己正当化)型ADHDは「感謝」を要求する。その意味では私の前々回のブログは説明不足だった。

 ジャイアン型ADHDの特徴は、注意欠陥や多動、「これはこれ」の場当たり的発想に加えて、「直系親族へのこだわりがあるが基本的には人間にはドライ」、「どの場でも自分が中心であることを求める」という行動特徴があり、よく「モラルハラスメント」の加害者になる。

 「自分に有利か不利か」だけには幼少期から鋭敏な状況認知が出来、自分への低い評価には過剰に反応して攻撃的となる。逆に人に対する気配りは(ADHDの部分で)全く出来ず、残忍で攻撃的な発言も多い。

 物事の捉え方が非常に浅薄、表面的で、理由や経過を問わず結果としての言葉だけにこだわったりする。

 周囲から見ると、「自分に不利なことを言われたことはいつまでも執念深く覚えていて、また察知も出来るのに逆に相手を攻撃したことはすぐに忘れ、相手が傷つくことも全く分からない」という非常に自己中心的な見かけとなる。

 そういうわけでジャイアンが何かを相手にしたとき、それが迷惑であろうがなかろうが、「私がこんなにしてやったのに御礼も言わないか」と感謝を要求する。逆に露骨に感謝を要求したら自分が図々しくあつかましく思われるという状況認知は出来ない。

 ついでにジャイアンは自分の非を認めることが出来ず、非を認めざるを得ない現実を突きつけられると、ファンタジーの世界に逃げ込んだり、都合の悪いことを頭から消したり、(解離性健忘とも言う)、混迷様に混乱して病気(急性ストレス障害)になったりする。

 自分のことながらこの現実に暗い気持ちになる。

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2007.08.23 22:46 |  診療  |  研究  |  その他(医療関連)  |  ADHD関連  |  AS(アスペルガー)関連  |  YANBARU  | 推薦数 : 6

「多数派」の方々へ

 ご存知のとおりここは発達障害の当事者が数多く書き込みする世間では数少ない場です。ここではあなた方多数派は「世間と違い少数派である」という認識を持ってください。

 世間で通用することもここでは当然通用しません。私はブログの責任者として、ここでは発達障害の世界認識を優先として考えます。

 だから「世間と違い自分が少数派となる立場でここでの多数派である発達障害の人々に歩み寄り理解しようとする姿勢」が必要です。

 ここで「怖い」というような表現をすることは、世間の多数派の論理の強制となるだけで、そういう議論はここの中では行わないでください。

 最近上記のような「理解しようとする謙虚さ」に著しく欠ける自称「多数派」の人からの書き込みがいくつかありますが、「悪い見本」として認識していただくためにあえて削除はしていません。

 私はタイトルの文章で説明していますので、上記の理解しようとする姿勢について書き込みをする方は特に注意をお願いいたします。 

 「理解しようとする謙虚さ」を前提としない議論は不毛であることが多いので。

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2007.08.19 22:18 |  診療  |  研究  |  その他(医療関連)  |  ADHD関連  |  YANBARU  | 推薦数 : 6

ADHDに「感謝」があるか?

 前回のスレに面白いコメントをいただいたので、考えてみた。

 結論から言えば、「ADHDには多数派と同じ意味での感謝はない」。

 これは我々ADHDが逆に「感謝」を求めないことからも分かる。ADHDはだれかに何か役に立つことをするとき、「感謝」を想定することは(少なくとも私は)ない。役に立てば役に立ったことに意味があるのであって、誰がしたかの問題ではない。

 逆に役に立たなかったのならば「迷惑だった」と言って貰うことを望む。迷惑だったと思いながら、表面上「感謝」することはADHDにとっては著しい不誠実であり、「相手をだます欺瞞」、「自分が上に立って相手を馬鹿にする侮辱」という意味に近い。

 これは「文化の違い」と考えるべきであると私は思う。多数派の世界の「感謝」はあくまでも多数派の同じ文化の範囲内だけで成り立つ一種の約束事であって、多数だからといって人類普遍の原則と言って全ての少数派に押し付けて良い訳ではない。

 「ありがたければ、してもらってうれしければ素直に喜ぶ」。それ以上に何かが必要だろうか?

 ありがたさも感じず、うれしくもない場合に「礼儀だから」と表面上「感謝」することが必要だろうか? 

 相手が本当に役に立ったことを感じているのかどうかにお構いなく、自分が何かをしてやったからといって「感謝」を要求することは当たり前だろうか?

 この答えは文化によって異なる。どの文化が正しいのでもない。大事なことは違う文化を尊重し理解しようとする姿勢であると私は思う。

 私はADHDとして、多数派の文化を理解する努力をしてきた。多数派の文化の中では「感謝」が特殊な重要な働きをしていることは理解している。

 しかしADHDの仲間には感謝について「理解」は薦めるが実践は勧めない。なぜならばADHDはそういう行動をすると自分自身を「不誠実」として責めなければならない結果になるからだ。

 多数派の皆さんには、発達障害にとっての上記のような意味をよく理解して頂きたい。多数派の皆さん自身、上記の表面的な「感謝」はしない反面、徹底的に素直な発達障害の態度に情緒的に救われる思いをすることもあるはずだ。これは発達障害の良いところでもあることについて理解をお願いしたい。

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2007.08.13 00:30 |  診療  |  研究  |  その他(医療関連)  |  ADHD関連  |  AS(アスペルガー)関連  |  YANBARU  | 推薦数 : 9

ADHDという解決

 ASの人の愛着に関わる深刻な情緒的な問題に、意外に「ADHDが相手となると解決する」ということが分かってきた。

 例えば「受動型ASの家庭内暴力」という現象があり、外では大人しいのに家で愛着の母親に対してのみ暴言を吐いたり時には暴力も見られるのだが、この場合も母親が(ジャイアンでない)シンプルなADHDであると泥沼化しない。

 なぜなら、シンプルなADHDは情緒的に反応しないために、暴言に対してもはっきり言うか、無視することができる。これが多数派であると親のほうが病気になり、逆に親がASでも過剰反応して悪循環に陥る。

 受動型ASの場合には特に「相手に何かさせなければ自分が動けない」ので、どんな方法でも相手を動かすしかなく、その結果が暴言になることもあるのだろうと想像している。特に「神経を逆なでする」ような強引な言葉や行動をすることが多い。

 シンプルなADHDは「自分が楽しければいい」と欲が少なく、また親切で相手に100パーセント親身になれる。でありながら情緒的な揺さぶりにまったく反応しない。この点が特に受動型のASの本人にも楽に感じられることもあるだろう。

 私は世の中に「AS-ADHDカップル」が多い理由のひとつがこの辺りにあると考えている。「ジャイアンにASが引き寄せられる」のとはまた違うパターンのカップルのあり方だ。

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 ジャイアン型ADHDとASの違いのひとつに、ほめられたときの反応がある。

 ASの人は不思議にほめられることを歓迎しない。これが何故であるかは今いろいろな人に聞いたりして考えているテーマだ。

 対してジャイアンはほめられると現金に調子に乗るという非常に分かりやすい特徴がある。「おだてりゃ簡単に木に登る」といった感じだ。

 ジャイアンの場合には、自分だけがほめられたいので、たとえば兄弟などがほめられることにも非常に極端に反応する。自分を差し置いて別の人がほめられることが我慢できないという感じだ。

 合理的なADHDの場合には人がほめられても「良かったね」という反応のことが多いので、このあたりは対照的ともいえる。

 そういうわけでジャイアンをコントロールするにはほめることが有効だ。表面的なお世辞や「おだてられている」ことでさえ見抜けないところがADHDの悲しいところでもあり、別の見方をすれば都合のいいところでもある。

 単純な行動療法的なアプローチで、約束が守れるとシールがもらえるようなシステムは有効だが、それは「ほめられる状況を作る」ということの効果である。

 

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