ASの人はこだわりにしても、首尾一貫した価値観にしても、強い自分なりのスタイルと主張を持っており、一見したところ「受身」というイメージは持ちにくい。しかし実はASの人は「受動型」の他、「積極奇異型」の人でさえ「相手があってから」という受動性を持っている。
もともとASの人は「人との関係が絶えず意識されて」生きている。「相手がなくて自分だけで」ということはありえない。その場に何名かの人がいれば、「自動的に」その人たちの反応を見ることに集中し、自己主張などは最初からはとてもできない。
自己主張も結局は誰かからの働きかけに「応じる」形でなされることが多く、形は「受動的」ということになる。
考えてみれば「愛着」も本人が自ら選べるわけではないのである意味「受動的」だ。選択の余地なく、愛着の対象となった相手には支配や服従という結果になる。
受動型の人でなくても、言葉での表現自体が「お母さんがこう言ったから」といった受動的な表現となることも多い。これは良く分からない多数派から見ると、「責任転嫁」という風に見えてしまうのだが、実は「相手との関係性の中での存在」「相手の出方を見てからの受動性」というポイントを考えれば、ASの人から見てそういう表現となることは想像することは可能だ。
「本質的な独自性、こだわり」と、「その場その場での徹底した受動性」 の両方が同居するというのがASの人の立ち位置であり、傍からの理解を困難にしているポイントの一つだろう。
ASの「内と外」の行動の違いについて私は以下のように考えている。
もともとASの人にはオオカミ的な「仲間はすべて理解しあい、その他は敵」というような人間関係の極端な愛着のパターンがあり、文字通り、「愛着の対象は自分のことをすべて理解してくれるのが当たり前で、また相手のことはすべて理解したい」、逆に愛着の対象のほかの人には「大事なことを知られてもいけない」ということになる。
「外」はその愛着以外の相手に対するパターンで、自分の本性を出さずに表面的に合わせている世間的な行動だ。自閉的なこだわりを除けば、表面上は多数派とほとんど変わらない行動ができる。ただ、ほとんど外では「自己主張をしない」という特徴がある。
「内」は愛着の対象に対する行動パターンで、特に思春期の母親への行動は、「一切自分は我慢しないで母親がすべて受け入れるのが当たり前」という非常に極端な形となることが多い。誰が見ても非常に自己中心的な要求をし続け、時に暴力にも及ぶ激しい母親に対するバトルとなる。
この二つの極端な行動の変化は、意外だが「本人にもコントロールできない」。自分でも不合理であると理解しても、母親の前では「止められない」という本人の証言がある。
このASの人の行動は外では大人しいのに、家では豹変して親の愛情を試すようなことをし続ける、世間で「人格障害」「家庭内暴力」と呼ばれるようなケースと酷似している。
このパターンとならないカギは「ASの早期の診断」と、「外と内の境界を少しずつぼかしていく」「適度に自閉的な部分を出して周囲が受け入れる」という思春期以前の環境からの働きかけにある。
ジャイアンは本来は自分が目立ちたい。自分が注目を浴びて、すべてが自分の思い通りになってほしい。
しかしその通りになることはそれほど多くない。特に結婚して主婦となった場合、本来ADHDで家事は得意でないことも多く、また、主婦と子育ては注目を浴びたり評価されたりすることが少なく、何よりもジャイアンが大好きな(見た目の)「華やかさ」に欠ける。
他方でジャイアンは表面的に学歴偏重だったり、古いホワイトカラー偏重であったりする。
もうひとつ、ジャイアンは「直系親族に愛着に似たこだわりを持つ」 という特徴がある。
これらの結果「ジャイアンの教育ママ」が出現することとなる。 自分が得るはずだった注目を子供が浴びるために強迫的に子供の成績にこだわり、強引に子供に自分の好む進路(公務員などが多い)を押し付け、何よりも恐ろしいのは、「」期待に添えなかったときに悪し様に言う」ということだ。
心境はこうだ。「私が自分の楽しみを諦めてまで子供の学業成績のためにこれほど頑張ってきたのに子供は私の気持ちも分からないで期待に応えようととしない」「私がこれほど一生懸命に期待しているのが分からないのか!」という強い思いが、大事にしてきた子供をボロクソに言い続けるという行動に現れる。
その結果自己評価が極端に下がったASやジャイアンの子供がジャイアンのACとなる。子供がジャイアンの母親に愛着を持ったASであるときには事態は深刻だ。
母親と娘が両方ともジャイアンである場合には、「親子ではあるが優位を争って子供を徹底的に叩いて評価を落とす」という経過になることも多い。
解決方法は、ジャイアンの母親自身が子供にのしかかることを断念して、自分自身の好きなことのために努力するということだ。比較的若いうちであれば、ジャイアンであることを指摘して、ジャイアンらしい生き方を探すことで結果として子供も助かるということになる。
ジャイアン(自己正当化型ADHD)はヤドカリに似ている。雑食性で根性がありどんな環境でも生きていけるたくましさ然り。ヤドカリには申し訳ないがデリケートで繊細でひ弱な感じではないところ然り。不器用ですぐにつかまり、愛嬌のあるところも共通する。
いったんカラに閉じこもると強硬でどうにもならない。カラは頑丈で、付け入る隙がない。モラハラの加害者など、「周囲からのあらゆる働きかけを無視する」、「動かしがたい」感じはカラに入ったヤドカリの状態だ。
中でもジャイアン特有の「インストール」と私が呼ぶ価値観の総換えのような突然の変わり身は、さながら「ヤドカリの宿替え」だ。私はジャイアンのケアを考えるときにヤドカリを思い浮かべる。
無理やり説得してもカラに入ってしまうばかりでうまく行かない。本当に治す方向で治療の合意がなされている場合は、治療者はひたすら「今のカラが合わなくなる時期」を待ち、「手近にちょうどいい次なるカラがある」状況を作って、そのカラに入ってもらうことを期待する。
からから出たヤドカリはひ弱で、情けない姿だ。私もそうだが、ジャイアンの本当の姿はカラから出たヤドカリのように不安でいっぱいだ。どんなに重くても頑丈なカラを見つけて常に身に着けていないと生きて行けない。
ジャイアンが子供の場合、「合理的な理屈を通す」というカラが一番無難だが、直接本人にどうこうしろと言うのではなく、周囲の親同士などの本人にとって利害の大きい重要な関係の中で、その合理的な理屈が実践されているかどうかがポイントとなる。
ジャイアンにはカラとしての都合の良さが重要なので、「それを使えば大事なお母さんを説得できる」という利便性があるかどうかを年齢が小さくてもジャイアンは鋭く見ている。
文字通り、ジャイアンにとっては「成長していく過程で周囲の大人がまともな生き方をしているか」が決定的に重要なのだ。
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