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2007.05.28 23:37 |  診療  |  研究  |  その他(医療関連)  |  ADHD関連  |  AC、人格障害関連  |  YANBARU  | 推薦数 : 8

ジャイアンのACの治療

 ジャイアン(自己正当化型ADHD)のACは、引きこもるほうに行けば比較的周囲に対するマイナスは少ないが、過度に被害的になったりして、逆に周囲(の親切な人)を引きずり回す形になることも多い。

 私は「ACをかぶっていたほうがいい」とは考えない。確かにAC的な認知のゆがみを脱して抑制がかからなくなるケースもあるが、その後でもう一度自分自身のADHDの部分を直視してコーチングを行うという長いケアの道が可能だ。

 ただそのためにはかなりハードな治療の枠組みが必要で、強い信頼関係のできた主治医がかなりのエネルギーを使ってかかるような形でないと、簡単にドロップアウトして失敗するだろう。

 たとえACであったとしても、自分がジャイアンであることを認めることには抵抗があるのは当たり前で、私自身も最近時々一時的には絶望的になるのだが、ここでADHDについて一緒に考えてきた人々の中にはあっさり自分がジャイアンであることを認める人もいて、かえって驚かされる。

 これが可能となるのは、やはりその前に「ADHDとしての自分自身への客観的な理解」 が前提としてあるからだと私は思う。

 だから手間はかかるが、①まずACに認知の歪みを修正し、②次にADHDとしての自分自身の発達障害への理解を固め、③最後にジャイアン型であることへの理解を考えるという手順で合理的な認知と行動パターンにたどり着くことは可能なのだ。

 特に「再インストール」が可能であることも、ジャイアンの回復の希望となる。合理的なモデルとなりうる人との出会いと本当のことを言ってもらえる環境がジャイアンには決定的に重要なのだ。  

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 私は発達障害のケアに本格的に取り組む前に、AC(アダルトチルドレン)のカウンセリングに取り組んでいた。その中で、非常に率直で、過去の振り返りによって劇的に回復するケースに出会い、回復した後の姿を見て結果としてADHDだったと分かる経験を何度もしてきた。

 今思えば、そのうちの多くは「ノビ太」型のADHDのACであり、このケースは「あなたが悪かったのではなくてADHDの理解が不足していたせいであり、誰も悪くなかった」ということをイメージした瞬間に元気になり、本来のADHDらしく明るくなる。このタイプのほとんどは治療も終結となっていった。

 その中で、なぜか自己評価が回復した後も治療の長引くケースや、ADHDの告知を否認するケースが出てきて、これは何だろうとずっと考えてきたが、この一群が「ジャイアン(自己正当化型ADHD)のACだった。

 他方でACとはおよそ別物の、自己中心的で身体症状の激しいADHDっぽいけれど典型的ではないケースがあり、これは家族歴などから私は自己正当化型ADHDと名づけていた。

 当初は同じ治療のやり方で、結局ACとしての自己評価をリセットするための認知の修正を試みた。その中身は、要は「あなたは悪くない」という自己評価のリセットだ。しかしいくつかのケースで、治療の後に、職場での不適応が顕著となったり、夫の負担が過大になったり、モラハラの被害者だった人が加害者に変わったり、再び人格障害様のパターンに舞い戻った。その結果を見ると出てきたのは「ジャイアン」だった。

 ここに至って、私や一緒にカウンセリングを進めている心理師たちも、「大げさなAC」はかえってジャイアンであるということが大分分かってきたのだが、ノビ太型と同じ治療を進めていいのかどうか、今考え続けている。   

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2007.05.24 22:35 |  診療  |  研究  |  その他(医療関連)  |  ADHD関連  |  AS(アスペルガー)関連  |  YANBARU  | 推薦数 : 15

ジャイアンとAS②

 ジャイアンとAS② ジャイアンはすぐに「ばれる」

 ジャイアンとASを見分ける時の分かりやすい特徴は、ジャイアン(自己正当化型ADHD)は状況が分からないので、自慢しすぎたり、そのたびに被害を訴える相手が変わって怪しまれるなど、「この人は自己中心的だ」ということがすぐに「ばれて」しまうところだ。

 AS(特に受動型)の人はそんな風に思われるようなヘマはしない。AS独自の理解の仕方ではあるが、厳密に状況を読みながら行動しているからだ。

 ジャイアンが「ばれる」のは、状況が分からないADHDであるからだと私は考えている。「ここで自慢話をしたら明らかに自慢と受け取られてかえって尊敬されない結果になる」ということが分からないのだ。

 また、周囲のいろいろな人を代わる代わる加害者として、自分がストレスを受けているという訴えも、あまり相手がころころ変わると、「この人は結局自分が同情してほしいだけなのか」という風に相手に疑われて見破られることが分からないので、いかにも自己中と見られることが多い。

 この特徴は、私は「実際に自分が一番で中心だと思い込んでいるので、相手もそう考えると思い込み、違う解釈をされるということを想像できない」ということだと私は想像している。また、「前に訴えたことを忘れているから」とも考えられる。

 ASの人はこんな首尾一貫しないあり方は自分で許せないだろう。少なくとも前に話したことは覚えているし、それと一貫するかどうかも絶えず考えているので、自ら「ばらす」ことはない。

 表面上は普通に見えても、しばらく訴えを注意深く聞いていると、自己中心的な部分が露呈してくる。あるところから先は、「この人は見破られたことに気づいてないはずだからそのまま何も気づかなかったように接しておこう」と周囲に見られて、遠まわしに敬遠されるような対応になっていることすら気づかないことはありうると思う。この点がADHDの一種であるという考え方の根拠だ。   

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 ジャイアン(私は自己正当化型ADHDと呼ぶ)について多少分かってきた段階で、ジャイアンとASについてコメントしておこう。

 ジャイアンとAS① ジャイアンとASは似ている

 例えば「自分に不利な話題を消さないと居ても立っても居られない」というような激しい自分を正当化しようとする反応は、一部のASと非常に良く似ている。

 ADHDとして(時には非常に重症に)状況が分からないながら、「相手が自分を否定しているかどうか」だけには直感的に鋭敏に反応でき、その意味に限って相手の表情を読めたり、自分の不満を自分の表情で表せたりする。このあたりの「ぐちゃぐちゃ」した感情的な部分がASに似ている。

 直系親族や特定の「思い入れ」の相手に対し、(「相手は見えていない」ながらも)愛着に似たこだわりを示す。マザコンや長男を溺愛するパターンは多い。なぜか配偶者には支配的になる。

 自己評価は、ほとんど下がらないか、または「病的に極端に下がる」かのいずれかである。自己評価が下がったときには、強迫症状、うつ状態、頭痛やふらつき、動機などの身体症状を伴う病的な反応となることが多い。この自己評価が下がった「ジャイアンのAC」は、(私もその一員だったが)見た目も行動も非常に奇妙な人々だ。

 せっかちで、「待てない」分だけ逆に時間に厳密だったりする。強迫的な傾向のために注意欠陥は逆に目立たないこともある。場当たり的なくせに、「後悔するならはじめからするな」とASのようなことを口走ったりする。

 「相手の立場に立つことが出来ない」点もASに似ている。ジャイアンの場合はそういった「自分自身から離れた想像」が非常に苦手だ。これはASにも言えるのだが、少しニュアンスが違う。

 ジャイアンには自閉症的なこだわりも多い。私は時々、ジャイアンを「ADHDとASの合併」と考えるべきかどうか迷うが、次回から述べていくいくつかの明らかな違いがあるために今は合併という考え方は採用しない。  

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 ジャイアン語録3

 「相手の気持ちを考えようとすると、頭が止まるんです」

 表面上はおだやかで、他人からは一見ジャイアンには見えないごく普通に見える人だけれど、家族はボロボロになっている。その家族の気持ちについて説明し、想像することを薦めたときに出てきた言葉だ。

 このあたりはジャイアンの行動特徴が脳の障害から来ることを示していると思うが、徹頭徹尾自分のことだけで世界が構成されており、他人の気持ちなどはよほど努力しない限り頭に入ってこないのがジャイアンの実際の姿だ。

 本人に悪意はない。本人に見えたことに対してはむしろ善意で行動していることは分かるのだが、その前提になっている情報と思考があまりに自己中心的であるために、実際の行動は非常に見当違いで乱暴な行動となる。

 他人には面倒見がよく、気さくで嫌われることはむしろ少ないが、家族などの関係者からの見方が全く異なることまで細かく見れば、立派なジャイアンであることは分かる。

 特に身近にACやASの人がいると、ジャイアンの乱暴な言葉や行動に振り回されて精神的に追い詰められ、病気になる人もある。

 私自身は、ジャイアンである母親から「人の気持ちが分からない」と言われ続け、そのおかげで自分は努力する必要があることが分かったので、自分は苦しかったが、その分周囲の人に迷惑をかけることは(あることは間違いないけれど)少なくなったかもしれない。

 だからジャイアンに必要なのは、「自分が脳障害で病的に人の気持ちが分からない」という事実をまずきちんと理解して受け止めることだ。当たり前のことが当たり前に見えていないのだ。 

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2007.05.17 23:30 |  診療  |  研究  |  その他(医療関連)  |  ADHD関連  |  AS(アスペルガー)関連  |  YANBARU  | 推薦数 : 9

ジャイアン語録2

 ジャイアン語録2 「私はそうしろとは言ってない。あんたが自分でやったことだ」

  同じことを言われた経験を持つ人も多いだろう。子供やパートナーに対し、行動や顔つき、口ぶりなどで散々プレッシャーをかけてジャイアンの思い通りに従わせた挙句に出てくる決まった言葉だ。

 言われた(従わされた)ほうから言えば、「あんたがそうするように散々いろんなことをして強制的に仕向けたくせに何をいまさら責任逃れをするか!」ということになるのだが、この言葉の意味を想像してみよう。

 ジャイアンの頭の中では、注意欠陥が極端になり、「これはこれ」「今は今」が甚だしくなっていると想像する。そうすると、プレッシャー発言のときは「たまたまそのときにそう思っていたことを言っただけ」 で、その後の時点では前に自分の言ったことや態度に出したことはすっかり忘れている。

 つまり、見ている周囲の人からすれば、明らかに前の発言や態度は「相手を思い通りにさせるための一貫したごり押し」という風に映ることが、本人の中ではぶつ切れで一貫したこととは捉えられていないと私は想像する。

 私はジャイアンが何でも責任転嫁するように見えるのはこういうことが起こっているのだろうと想像している。「一貫した自分の行動の責任」というコンセプト自体がもともと希薄なのだ。

 一貫した行動、発言として受け取ると、「ごり押しして相手を従わせた挙句にその責任まで認めないとんでもない自己中」ということになる。実際自己中には違いないのだが、ADHDの極端な特徴でも少し違う説明は可能だ。

 だから受け取るほうは、傷つくくらいなら、「ジャイアンは一瞬一瞬がバラバラなのだ」と想像して、すべてのジャイアンの行動をバラバラに受け取るようにしよう。そうすれば傷つくことが少しは減らせると思う。

 ちなみに同じようなことはASも口にするが、ASの場合は「自分が言外にどれほど周囲の人を振り回しているか気づいていない」と想像する。

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2007.05.16 21:50 |  診療  |  研究  |  その他(医療関連)  |  ADHD関連  |  YANBARU  | 推薦数 : 7

ジャイアン語録1

ジャイアンならではの言葉はジャイアンの複雑な心理を理解するのに役に立つ。

ジャイアン語録1

「私の中には、人に頼りたい気持ちと、頼って後悔する気持ちの両方が強すぎてどうしようもないんです」

 これが不思議なのだが、ジャイアンの独特の依存性をよく言い表している。ADHDとして自立を尊び、むしろ自分が主役となって周囲を支配することを望むジャイアンが依存を嫌うのは想像できるのだが、問題は依存性のほうだ。

 ここで言うジャイアン独特の依存性は「是認、肯定を求める気持ち」と表現できるかもしれない。「あなたが正しい、相手が悪いと言われ続けなければいけない」という、不安とも違うのだが、その逆のことを言われることへの極端な恐怖のような気持ちが慢性的にあるのだ。

 ジャイアンにとって周囲の人は「是認、肯定をもたらす人」として必要だ。逆に本人を否定する相手はどんな手段を使っても叩き潰そうとする。

 ASにも一見似た、人を求める気持ちと人から離れようとする気持ちの両方があり、表面的な発言としては似たことを言うことがあるが、ASの愛着は命がけであり、全面的に頼ることを選ぶ場合も後悔はしない。

 ジャイアンは本当の意味で人を求めてはいない。人はあくまでも自分を是認、肯定してくれる限りにおいて意味があり、誰でもよく、また是認、肯定しないならば人は要らない。この根本的な近い人に対する冷淡さが、パートナーなどをぞっとさせることがある。

 積極奇異型ASの「支配欲」とある意味では似ている。ただ積極奇異型ASは一途で命がけであるのに対し、ジャイアンの支配は「こっちがだめならあっち」という非常に都合のいいことができるのが特徴だ。

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2007.05.16 00:13 |  診療  |  研究  |  その他(医療関連)  |  ADHD関連  |  YANBARU  | 推薦数 : 7

インストール

 自己正当化型ADHD通称ジャイアンにたまに見られる不思議な現象の一つに、「価値観の丸ごとの取り込み」というようなことがある。まるでパソコンの再インストールのような感じで価値観を総換えしてしまう。

 たとえば兄弟のなかで、長男が理屈を言うASだったとすると、長男の理屈をそのまま取り入れて真似たりする。「こうすればお母さんがコントロールできる」という方法と見るや取り入れるという感じだ。

 また安易な宗教の考え方をそのまま取り込むこともよく見られる。それも「その教えが自分に都合がいいから」と見える。

 また治療者の考え方や問題解決の方法をそのまま学習するということも(若い人の場合には)どうやらあるようだ。逆に言うと周囲の人は下手な見本になりかねないので注意が必要だということになる。

 翻って考えると、ジャイアンの成り立ちには、おそらく幼少期の環境が非常に重要なのだろう。一人っ子か、同性の兄弟の何番目であるとか、親がどんな接し方をしていたか、どんな方法のアピールが親に有効だったか、などのことで最初のスタイルが決まる。

 私自身はまじめ一徹の父親のスタイルを取り込んだために情緒的には病的となったが行動面の著しい逸脱は避けられたとも思える。

 堅固でどうにも動きようの無いジャイアンに対して、少なくとも若い人には、あるアプローチの余地があるということになる。治療というよりも現実的なスタイルの学習というようなことになるが、合理的に筋を通して接し続けることである程度の合理的なスタイルへの修正は可能だろう。

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2007.05.13 23:56 |  診療  |  研究  |  その他(医療関連)  |  ADHD関連  |  AC、人格障害関連  |  YANBARU  | 推薦数 : 6

マザコンのジャイアン

 私はこれまでADHDは人を必要としない。人に愛着しないグループをADHDとしてASと区別すると考えてきた。

 しかしジャイアン(自己正当化型ADHD)という不思議な(自分もながら)ADHDのグループを考えると、「直系親族への執着」とも言える現象が実際に観察されることが多い。

 例えばマザコンのジャイアンは実は多い。女性のジャイアンは長男と娘に依存的(かつ支配的)になる。このあたりは表面上ASの場合に非常に似ているのだ。不思議なのパートナーにはむしろ執着しないように見えることが多いことだ。

 ただこの「直系親族への執着」をAS特有の絶対的な愛着とよくよく比較すると、質的にはかなり違うものであると私は思う。ジャイアンの執着はほとんど直系親族だけであるのに対し、ASの場合はパートナーに強い愛着が見られる。

 また、ジャイアンの執着は「相手がどう思っているかにお構いなく」であり、「世間体を気にする」、「お金の使い道として」という形になることが多い。ジャイアンの母親へのジャイアンの息子の執着の場合には妻を度外視した(特に金銭や物を貢ぐ)絶対服従となることが目立つ。

 このことと、「親孝行」などを表面的に提唱する表面的な宗教に没頭することとは関係がありそうだ。

 私はジャイアンの母親から無視されて弟をいじめた。ADHDとして「理解」を求めたというのを通り越していた部分があるのを感じる。感情全体を病的に押さえつけてこの問題を切り捨ててきた形だが、実際は今でもカミさんに代わりに実家に接触してもらい、母親とは接触を断ったままにしている。

 多動型の素直で合理的なADHDに比べて、ジャイアンはぐちゃぐちゃしている。情緒的に割り切りが出来ず、AC様の状態がなかなか治らない時点でジャイアンだった可能性を考えたほうがいいのかもしれない。

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2007.05.10 23:08 |  診療  |  研究  |  その他(医療関連)  |  ADHD関連  |  AC、人格障害関連  |  YANBARU  | 推薦数 : 5

ジャイアンか病気か

 自己正当化型ADHDの子供が甘やかされるとジャイアンになる。逆に力で押さえつけた場合には、私が「自己正当化型ADHDのAC」と呼ぶまた非常に意味不明な状態となる。

 自己評価が異常に下がり、周囲からの評価に過剰反応して、極端に引きこもったり、病的な強迫症状や時には妄想的ともなる。表面上世間に適応している人も、周囲の誰かを悪者にして自分が被害を被っていると言い続け、近い関係者にとってはかなり困った人となる。

 子供の場合は理不尽に力で押さえつけられると、強い相手には従うが、弱い相手には逆に容赦なく痛めつけるようになる。実際私は弟をひどくいじめていた。このいじめ行動には状況がわからない発達障害独特の「限度が分からない」、「手加減しない」という特徴があり、冷酷無残なことも平気でしてしまう。

 そのまま押さえつけられて成長すると、思春期からは非行の方向でストレスを発散するケースも多いだろう。アルコール、薬物依存や、女性の場合は摂食障害や恋愛依存と呼ばれるような人間関係への依存になる。 

 自己正当化型ADHDは厳しい現実を受け入れられず、うまくいかないことがあると多彩な身体症状が出現する。手洗いや入浴が長くなる強迫症状や、うつ状態、吐き気や下痢などの消化器症状、時にはアスペルガーに似た聴覚過敏や嗅覚過敏も見られる。

 実は私自身にもあるのだが、うまくいかない場合の攻撃性は厄介だ。一つ間違えば反社会的な行動となる。私は自己正当化型とみたら統合失調症やそううつ病などの「病気」に近いと考え、子供でも炭酸リチウムなどの薬物療法をすすめることにしている。

 甘やかせば押さえの効かないジャイアン、押さえつければ病的にひねくれた依存症や人間関係を引っ掻き回す人格障害に似た行動パターンを身に付ける。かたや「病気」の経過となるのだ。

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