ブログ上コーチング⑥ADHDの結婚その一
★恋人、夫に対して。何かしてあげて相手の笑顔を見るのがうれしいということがない。
子供を産み育てて、思ったのが、「子供が喜ぶ顔を見るのがものすごくうれしい。何でもしてあげたくなる」ということ。正直言って、結婚相手や恋人に対してこのような感情を抱いたことがないし、してあげた覚えもありません。
また、何かをして、相手に喜ばれたこともあまり覚えがありません。(相手が喜んでも、別に私は嬉しくなかったような。)
これっておかしいんじゃないのかなと最近思い出しました。
普通、子供に対してだけじゃなく、恋人や夫に対してもそう思うんでしょうか?
肉親や女性の友人に対しては「お互い様」と思うので、ちょっとしたことをやってあげようという気になります。
また、自分が何かをしてもらっても笑顔で喜んだ覚えもありません。これは子供の頃からです。
女性の友人に対しては、交友関係を円滑にする程度にオーバーに表現するようには心がけていました。
(ちなみに、友人、知人関係で困ったことは特にないです。)
女性の心理のことであり、今回もあまり自信はないですが、私なりの分析は、「あなた自身が異性のパートナーに求めることが少ないから」だろうと想像します。あなたのご両親の関係はどんなでしたか?
ただ私はもともと「ADHDは人を必要としない」と考えますので、ADHDの基本姿勢としては、「何かをしてあげる」というよりも、「一緒にいて楽しい」 というのがパートナーとのつながりの基礎になるのかなと思います。「ハマちゃん」の「あなたと結婚して僕が幸せになる自信はあります」という言葉がADHD的な結婚のひとつの典型的な形だと思いますがここは皆さんのご意見をお願いします。
もうひとつ、ACの心理という見方をすると、「子供との関係はこれまでにない新鮮な関係だったので素直に求めることを受け入れられたけれど、大人や異性との関係では昔のACのパターンが出て素直になれない」という可能性も想像できはします。
ただ私も「妻から何かしてもらって嬉しい」ということは通常あまり考えていません。逆に妻に何かをしてあげるというのも、「妻から要望が出れば協力する」ことはしますが。ADHDは「自分の必要は自分にし分からない」ので、あなたはどこもおかしくないようにも思います。味も素っ気もないと言われそうですね。
ADHDの浪費は前述のように場当たり的な時間認知から来ている。だからADHDの浪費の治療は、「長期的なひとつの財布からの出納」というイメージが頭の中に出来れば可能だ。
そのために私は「通帳記入を利用した家計簿」を薦めている。生計を一つの通帳にまとめ、その通帳からの小刻みな出金入金を細かく行い、月末に通帳記入してコピーをノートに張り、その月の分の出金と入金にそれぞれ合計額を計算する。という簡単な実践で家計簿はすぐに出来る。「レシートを保存して張り、合計する」という行動はADHDには難しすぎる。
ちなみに「キャッシュカードだから難しい」と言う人が居られるが、実は入金出金はカードでもOKで、月末に記入さえすれば同じことになる。カードでも小刻みに下ろしさえすればOKなのでぜひ試してみてほしい。
この方法の意味は、「ひとつの通帳で一覧の形で一か月分の出たお金と入ったお金が一目瞭然に視覚的にイメージできる」ということだ。上記の「長期的なひとつの財布からの出納のイメージ」が形になっている。
私はサラリーマン時代に貯金して、医学部はその貯金で苦学したが、グラフ用紙に一ヵ月毎の通帳現在残高をプロットして、「貯金総額から卒業時点でゼロになる右下がりの直線から上にいればOK」という方法で大きな目安としていた。ちょっと使って右下がりに下がると、まとめてアルバイト(夏の富士山の山小屋など)をしてグラフの直前の上に顔を出す様にすれば良い。
このイメージさえ出来ればADHDはほぼ金銭管理できるようになる。毎月の光熱費や食費などは驚くほど同じような金額になり、当初から予想できるようになるのは不思議だ。
また、ADHDの子供などへの小遣い銭については、「一日払い」がベストだと薦めている。小遣いを渡す場所に透明な貯金箱を置き、「貯金する?」と聞いてしなければそのぶんを渡す。手にする前に貯金を勧め、いくら貯まったかを目に見えるようにするのがコツだ。
発達障害はギャンブル依存になりやすい。ASにもADHDにもギャンブル依存は多く見かける。他にもアルコールや薬物の依存も両方によくある。
発達障害と金銭の問題を考えるときに、ギャンブルをはじめとする依存行動はどうしても大きな問題となってくる。発達障害の衝動性や前後を考えない徹底的なこだわりにギャンブルが絡むと経済破綻になることも多い。
ADHDの場合には、ギャンブルは「脳が刺激を求める」という脳の働きの特質に直結した「刺激」として「やめられない」ということになる。代わりにピンボールのゲームで間に合わそうとしても、「お金がかかっていないと刺激として不足」となることもある。
私の想像では、自己正当化型ADHDや、先延ばしをしている最中のADHDが、「現実を直視したくない」時にギャンブルの刺激で現実の問題を頭から追い出そうとしていることが多いのではないかと思う。そういう意味ではアルコールも薬物も同じだ。
ASの場合は、愛着の問題や、こだわりなどで社会生活上どうしてもストレスを抱える時に、やはりそのイライラを解消するためにギャンブルにはまるのだろう。積極奇異型のASの人の場合には、独特の「勝った」ことの嬉しさもあるようだが、これはADHDである私の想像も難しいような気がする。
ギャンブル依存は経済破綻を招き、現実生活上非常に大きな問題だ。通常はアルコールと同じような自助会やGAなどの「依存症」の治療を行うが、発達障害の場合には、別のケアも必要になって来る。
特に「先延ばし」がベースにあるような場合には、その先延ばしを解決したほうが根本的な解決となる。このあたりは治両者の側に発達障害についてある程度理解がないと難しいだろう。
ASの金銭感覚は独特だ。②で述べた「こだわりは別会計」ということもそうだが、その他は「電灯を消して回る」というような強迫的な節約家になることが多い。
特徴のひとつは、「自分に関するか、自分の愛着の範囲に関してのみの節約」ということで、子供の頃から「おうちのお金でなければ無駄遣いして良い」というようなことを言ったりする。「自分(と愛着の範囲)のお金を減らさない」ということにこだわっているように見えることもある。
「安い」ということに関しては、「自分のこだわりのものに対して」、「期間限定で安くなっている」というような状況に弱いように思う。ADHDのように「特に必要でもないのに何となく安いから買ってしまう」ということは少ない。
結婚した場合に、②で述べた「パートナーに給与明細を見せない」ということもかなり問題となるが、その他に、「結婚後も愛着の対象である自分の実家の親に多大な金をつぎ込む」ということで問題になることもよくある。
実家の親が自己正当化型ADHDで、大人になってまでも服従を続け、パートナーよりも明らかに親の意見を重視し、表面上は「マザコン」という見掛けとなるのは、実は愛着の対象であり続けているというオオカミ的な群れの対人関係のパターンで説明できる。実家のジャイアンは群れのトップであり続けるわけだ。
第三者的には、「愛着の範囲がこうなっているのだ」と考えると「理解」は可能であるが、「結婚して家計をひとつにする」という場合には、ASの人は自分のAS的なスタイルから妥協することは必要だと私は考える。パートナーに半分の発言権を認めず、「自分が稼いでいるのだから」と言い続けたければ、はじめから人と同居すること自体を断念するべきだろう。
ADHDである私はとにかく安物買いが好きだ。昔独身で自炊していた頃はスーパーを3件回って特売シールを狙ったりパンの耳や魚屋でアラをもらったりして一ヶ月3万円で暮らしたこともある。テレビなどは粗大ゴミも活用している。
現在でも同じものを安く買うために多大な労力を費やしているのだが、それ自体は楽しみでもあるので苦にはならない。一つ一つの買い物は徹底的に安く買うのでケチではあるが、問題は「重複買い」だ。
「安い」とつい重複して買ってしまい、「合計したら高いものを一つ買うより高かった」ということになって自分が嫌になったりする。物の管理も杜撰なので、見当たらないと言うことで追加して買って重複になることも多い。だからとても「倹約家」とは言えないことは自覚している。
ADHDのケチの精神は、とにかく「節約」だと思う。「同じものを安く買える」、「極端には粗大ゴミを活用してタダですます」というのを生きがいのように感じる。
以前にモノを命がある生き物のように感じて捨てられないということを書いたことがあったが、捨てられているモノを「復活」させることは痛快極まりない。私自身の今の仕事も、「社会で一度は使えないと見なされたりうまく実力を発揮できないでいる人々を復活させてどっこい役に立つようにする」という側面があり、そういうところが好きだ。
だから自分のお金でなくても、例えば太陽光発電や風力発電などで省エネをしている人はうらやましいと思うし、他の人が安く買ったのも良かったねと思う。そういう意味では「無私の合理性」と呼びうる側面を持っていると思う。
ちなみに私が借金が嫌いのは、「自由を愛し束縛を嫌う」からだ。借金という形での束縛も無いほうが良いに決まっている。ローンのために働くなど、考えただけで意欲が減退する。
ADHDの浪費とは全く違う意味で、ASも金がかかる。
例えば「新車」や「最新型」、「新築」、「最高級」というこだわりを持つASの人は多い。実利的で合理的なADHDから見ると「みすみす高い買い物を」という風に見えるのだが、例えば「他者と浴室などを共有できない」というところまで潔癖症の人もいて、「生理的に中古は駄目」と言われれば仕方がないようにも思う。
「健康のため」にこだわるASの人も多い。サプリや食品、調理道具などは最高級の高価なものを惜しげなく買う。体に直接触れるものは特にこだわりがあるようだ。
この「こだわり」で不思議なのは、「お金があるかどうかは関係なく」ということになることだ。「こだわり」に対しては損得計算も収入と支出のバランスも無意味になる。
傍から観察する限り、本人の中では「こだわりについては日常のほかの会計とは全く別会計」という感じになっているようだから、本人は「節約している」と言うことが多いのも不思議だ。「こだわり」以外のところでは(特に自分以外の人が使うことについては)ケチの人が多いので、自分を節約家であると思っているASの人は多いと思う。
借金についても、極端に借金を嫌うASの人も多いが、ローンの使い方を一度覚えてしまうと、こだわりのものはとにかく手に入れてしまい、後からお金を稼ぐという発想もするようだ。
自分のお金の使い道について意見されるのを極端に嫌うASの人もよく見かける。極端なケースは、「パートナーに給与明細を見せない」と言うケースで、決めた生活費だけしかパートナーに渡さず、明細を見せることを頑なに拒否し続ける。
ADHDから見れば「退場」もののパートナーに対する「背信行為」だが、AS的には当たり前と思っているようだ。
ADHDにとって現実に生きていく上で金銭的な浪費が一番の困難となることは少なくない。ギャンブルや借金、自己破産等。
ADHDの浪費は基本的には、「今日は今日、明日は明日」という場当たり的な時間認識の結果として「長期的な金銭管理のイメージの欠如」から来ることが多いと思う。
私が接したADHDの人で一番極端な人は、「今日使うパチスロのお金と、月末に払う借金の支払いは別の話」というくらい場当たり的な発想をしていた。
その感覚を(無理やりに)説明してみると、「月末に直前になっていろいろ金策をして払えれば問題ない」、「これまでも何とかなってきた」ということになる。実際は周囲の人に借りたり、別のカードを作って穴埋めをしたり、あるいは「ある程度借金がたまったら一気にまとめて昼も夜も働いて一気に返す」という論理になる。
呆れるのを通り越して感心したのは、「先に本当に高価だが欲しいものを借金で買って、これの支払いために働くということにした方が働く気になる」というADHDもいた。「支払えなければ売れば良い」と言う。究極のADHD的に刺激を求める発想だ。払えない不安など微塵もない。
ここまで行けば、「ギャンブラー的な生き方」としてひとつのスタイルになりうるのかもしれない。あればあるでいくらでも使ってしまう代わりに、天災などで急に財産を失っても前向きで落ち込むことはない。「生きるためにギリギリ」のほうが刺激がなくならずにある意味で充実した人生でもあるのだろう。ただ他の人と同居するのは無理だろうと思う。
ADHDとして理解は出来ないことはないのだが、金がなくなる不安を持った他の大多数の人との間で理解しあうことは困難であると思う。(私は「節約型ADHD」なので、実は理解に苦しむ)。
ADHDのACのケースのコーチングです。
「夫と離婚しました。子供は2人、5歳と1歳。今のところ定型。元夫はAS、私はADDのACだと思われます。来年娘が小学校に上がるにあたって、どこに住んだらよいか。」
1.娘が3歳まで住んでいた都内
2.3歳から現在(5歳)まで住んでいるA県A市
3.私の実家近く(A県B市)
1.の長所
私のママ友達が多く、何かと集まっているので楽しい、気分が落ち込まない。子供の友達も多い。離婚の話をしたら、戻っておいでよと皆が言ってくれ、お互い子供の面倒を見たり見てもらったりしながらやっていこうと言ってくれている。
1.の短所
両親から離れるので、いざと言う時に助けてくれる人がいない。友達が助けてくれると言っているが、何をどう頼めばいいか、助けてくれるのか判断がつかない。義母が同じ駅に住んでいる(元夫が遊びに来てるようだし、もしかしたら元夫も同じ駅に住む可能性もあるかもしれない?)
2.の長所
とりあえず環境が変わるかもというストレスがなくなる。子供の友達が多い。両親が車で30分以内のところなので、普段は無理でも、どうしてもの時は頼れる。
2.の短所
私の親しい友達がいない。今住んでる市にとどまらなきゃいけない理由がない。
3.の長所
両親の近くに住む事で、何かと助けてもらえる。金銭的な援助も望めると思う。(一緒に買い物にいって買ってもらうとか)
3.の短所
母との距離が近すぎて、ストレスが起きそう。(おそらく自己正当型ADHD) 実家近くといっても、同じ駅ではないと思うので(母が世間体を気にするから) 知らない土地に住む事になり、そのストレス。友達がいないストレス。
さてADHDのACの人は、「AC的思考を離れて本来のADHDに戻る」というのが基本原則です。だからまず3.は「AC的」と考えたほうが良いと思います。問題は「1.の短所」ですが、「お互い助け合える仲間をこれから作れば良い」というのが本来のADHD的な思考です。友達に遠慮するのも少しAC的な感じもします。「必要があるからお互い助け合う」のがADHD的な発想です。
もしかすると自己正当化型のお母さんの「支配」とAS被影響症候群の影響でADHDらしい自立のスピリットが鈍っているのかもしれないですね。お母さんからどんな言われ方をしても突っぱねて立派に自立して、のびのびとあなたの本来の力を出しきりましょう。
ASのsaltさんから頂いた具体的な場面を考えてみます。
1.想像力のなさ故:話をしていて、相手の質問に答えるのだが、それを話し終えると、二の句をつなげられない、妙な間ができ、その後会話が途切れる。(関心、興味、想像)
2.想像力のなさ故:あることを依頼して相手は承諾したにも関わらず、約束の内容に手を着けないでいると、腹が立ってくる。(後でやるのだろうが)
3.平等性故:仕事を平等に分担し、業務をしているのにも係らず、自分の仕事を懸命に務めていると、他者は平気で「手伝え」と言ってくる、腹が立つ。
1は「文化の違い」の問題ですね。私は無理に多数派流にスムーズに会話できなくても良いと思います。結局その程度しか関心を持てなかった話題であったということですから。
2、3は「多数派の認知がASの人に比べて時間とともに変化する」ということのために起こると考えます。例えば「相手が早く終わっていればその段階では相手の仕事が少ないから」等。だからASの人は多数派の言葉や行動を「今は」「とりあえずの」という風に受け取っておいた方がぶつかることが少ないと思います。私は「自分の分が終わったから帰る」と行動してしまって、「この人はそういう人だ」と思われてしまう方法もあると思います。
4.考え方、効率的故:出来そうにも無いことを、無駄に議論し、無理に通し決定し、いざ始まってみると、直ぐに諦め、継続しない人間、腹が立つ。
5.会話、コミュニケーション(将に自閉の本態性):私以外の数人が話していると、そこへ皆が集まり、仕事を止め、他人の話し、噂が気になったりするらしい、自分は呼ばれないことには行かない。興味も湧かない。
4、5 多数派の人は、ASの人から見れば「無意味」な会話が多いですね。「さして意味のないやり取りをしながら、お互いの感情的な交流を楽しんでいる」と私は想像しています。これも「無理をして加わる必要もない」と私は思います。
6・脳の機能、聴覚障害故:話をしていて話に興味がなかったり、自分が批判される状態になると、相手の声が聞こえなくなる。
7.共感の無さ故:他人と話している途中、話が詰まり、気分が悪くなる。あまりに興味がなく詰まらない話が続くと相手の頭を叩きたくなる。(他人への関心が薄い)(自分の話をしない)(共感が分からない)
6,7 「共感」というのは非常に難しいですね。私は「自分には分からないけれど何か多数派には非常に重要なやり取りなんだろう」と想像して自分は加わらず観察だけしています。
8.考え方故:言っていることと、やっていることが違う人間を、見ていると気分が悪くなってくる、腹が立ってくる。(和、相手の考え方)
9.和を考えない故:自分の意見を持っている筈なのに、他人の意見に合わせ切り、自分の意見や本音を話さない人間を見ると腹が立ってくる。本音を話していることが馬鹿馬鹿しく思え、悲しくなってくる。
8,9 これも「文化の違い」です。相手の文化では「和」が重要なのだろうという理解までは必要と思いますが、実際の行動としては多数派を観察はしても同じように行動する必要はないと思います。
「多数派はこんな風に生きているんだ」と冷静に観察してデータを蓄積していきましょう。
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