私がASの人に一番「ASらしさ」を感じるところは、「人の存在が絶えず前提されている」ということだ。あるASの人から、「ASは人から干渉されると困るんですか?」と聞かれて、「あなたは全く干渉されないことが想定できますか?」と逆に聞き返したことがある。ASの人は干渉されないことが想定できないと思う。
ADHDは逆にACやAS被影響症候群などの二次障害がひどい場合を除き、「干渉されないことが当たり前」という基本前提で考えると思う。
その他、「この人のおかげでたいそうひどい目に遭っている」と訴え続ける割に、「だったら距離を置いて関わらなければ良い」という発想が出来ない。とかの、ものの考え方の「結果」の部分よりも、「当たり前に想定している」部分によりASらしい、ADHDらしいとところが現れる。
例えば計画で言えば、ADHDは第一感で長期計画を立てようという認知はない。現実生活の不適応のために二次的に世の中に適応するために長期計画の必要を感じるようになることはあるが、最初から当たり前に長期計画の形で認識するASとは違う。
不適応の結果として、二次的に「困ったから努力して考えたりするようになった」ことはもともとの発達障害とはとりあえず分けて考えたほうが治療やコーチングの役に立つ。
だからこの二つの合併があるかどうかを考える場合、それぞれ自分のものの考え方の前提となっている部分を見てみる努力をお願いしたい。
「関連付け」、「デジタル認知」や、「バラバラの認知」は全て「何も考える前から当たり前にそうしているものの見方の基本形式」というあたりのもので、結果として似た状態になっているのと何とか区別したい。
すこし考えてからそれぞれのコメントにお答えする予定です。
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