私はADHDとして、不確定が当たり前の世界を感じて生活し、未来や他者に関しては「想像や仮定しておく」しかない。
例えば誰かに私が「厳しいことをはっきり言う」という場合、結果は当然「分からない」が、短期的に予想されることは「相手の感情を害する」「相手が反発する」というようなことで、通常は「はっきり言うのをやめよう」ということになる。
しかしADHDである私は、「一時的には表面上対立となっても、長い目で見れば、深い相互理解につながる可能性があるのではないか?」と想像してあえてはっきり言うことを実行した。
ASの人はADHDである私から見ると、「悲観的な可能性ばかり想定するのが得意」のように見える。「マイナスは少しもあってはいけない」のか、「ほんの少しでもマイナスがあったらおしまい」と感じるのか、と想像しているが。
ADHD(である私)は毎日分からない世界に生きているので、「ラッキーなことと不運なことの確率は五分五分」と考える。悲観的な経過ももちろん想定できるが、そのぶん「思いも寄らないすばらしい発見」の可能性も想定できる。
ここで例えば私が書いたことで、新たに認識を新たにする人が居られれば、それはその人から見れば、「喜ぶべき発見」であるのだが、ASの人の想定にはそういう(予想外の発見などの)ことがありうるという部分が少ないように感じる。
「一時は対立しても、その後により深い相互理解が可能になる可能性」は実際ここで何名かの方のコメントの経過を見れば立派に実証されているように思う。
ADHDである私は、あくまでもそのより深い相互理解の可能性を追い求め、一時的な表面上の対立や現実的な一歩後退を怖れず「はっきり言う」ことを続けようと思う。
「少しのマイナスの後にもっと大きなプラスが生じる可能性」を想像することをASの人に提案してみたい。
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