前回までは、「ADHDがもともとはどんな場所に居るか?」について詳しく説明した。この状態を出発点として、個々にいろいろな工夫をして現実生活に適応の努力をしている。(外から見て分かるADHDの姿は、もともとの状態にその後の努力を付け加えたものであり、理解のためには区別しておいたほうが良いと考えてあえて別に説明している)。
さてADHDは(自己正当化型ADHDの一部の人を除き)幸いに「理論的にドライに合理的な見方で現実を認識する」ことが出来る。この認識の特徴は、これまで説明した認知の特徴から、「自分の利害に無関係」で、「特定の人の立場に関係なく非常に客観的で公平」という特徴を持つ。この部分は常に自分を中心とした形で世界を見ているASと大きく違うところであると思う。
さてこの合理的認識で、自分の「出来ないこと」についてはみんな遅くとも思春期頃には理解して、「何とかしよう」と考える。その段階で自己評価は下がっている。初めから、ADHDにとっては「自分が変わらなければどうしようもない」ということは明らかだ。(ただ多数派については場の直感的な理解の部分は想像さえ難しく見当外れのイメージを持つことが多いが)。
また、ADHDは「先入観にとらわれない想像力」を持つ。毎日が異文化理解で、見知らぬ町に来たばかりのような状況では、毎回いろいろな想像を廻らせながら生きるしかない。
私は中学時代までは「他者からどう見えるか」を全く意識できず、情緒的には小学校低学年レベルの子供だったと思う。十代後半に自分が嫌われていることを意識しだしてから、周囲の人の行動を観察し、失敗しない行動の選択について試行錯誤を続けてきた。
44歳になった現在でも「独占したくなる嫉妬」とか「言わぬが花」といった高度な情緒的な状況理解は出来ないため、情緒的には小学校高学年レベルに留まっているだろう。
それでも想像して理論的に説明してみる試みの連続の結果、多数派の行動に関する説明の理論的な仮説の「ストック」が出来上がり、それでこの仕事をしているようなものだ。
だからADHDは根本的に理論的な異文化理解に向いており、トレーニングによりASやADHDなどのマイノリティーと 多数派の「通訳」をすることが可能であるのだ。
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