2007.01.18 08:25 |  診療  |  研究  |  その他(医療関連)  |  ADHD関連  |  YANBARU  | 推薦数 : 4

ADHDの認知③ 他者の不在

 「これはこれ」「今しかない」という認知の世界に住んでいる結果として、当然対人関係にも多数派やASと大きく異なる認知が生じる。

 言ってみれば、「他者との関係を意識しない限り単独」、「あなたもこの”場”に加わっていると説明されなければ周囲に人がいても自分には関係ない」という、基本的に「ひとりが当たり前」なのだ。

 物理的空間的に会話するような近い距離に複数の人がいたとして、その複数の人同士が話をしていて、途中で自分に話を振られると、「急に言われてもわからない」、時には「私は話に入っていなかったはずじゃないの?」ということになる。

 つまり、「あなたも話に加わっているのよ」と説明されない限り、その「場」に参加していることにならないのだ。

 これは対人関係の全ての場合に当てはまる。「場の雰囲気」とか「状況」は、人から言葉で説明されるか、または自分で努力して客観的物理的な状況分析をしてそこから導き出された仮説という形で「想定」しない限り自覚されることは無い。

 これは「始めから非常に近い距離で他者が感じられ前提されているASの人や、直観的に場の中での重要性などの「位置関係」を感じ取って行動を決定する多数派と根本的に異なる人間関係の認知であり、ここからADHDの「理解不能」な言動が生じていると私は考える。

 ADHDのコーチングでは、この直観的に分からない状況理解を、意識して「状況分析」で補うトレーニングを行うことが主体になる。ADHDは当たり前にこの努力をしないと生きていけないのだが、現実の中では「一生懸命自分なりに合わせているつもりなのだが」結果は残念ながら見当外れになっていることが多い。

 ADHDからの努力は当たり前として、家族やパートナーには、「これくらい出来ないのだ」という出発点を理解してもらうことは相互理解のために有効だろう。

 この意味でも、ADHDは視覚障害や聴覚障害に近い「能力の欠損」であると思う。ただそういった障害と同じように、「逆に出来ないなりにやっていく方法もある」ことも言える。  

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