ADHDの認知①で説明した様にADHDの認知は基本的に断片的で、いろいろな要素が関連付けられないでバラバラになっている。時間の流れも同様で、「他の人にはつながった映画のように見えることが、ADHDには断片的なスライドの集まり」としか映らない。
言ってみれば、ADHDにとってあらゆる瞬間が「今この世に生まれたばかり」とか、「新しい町に引越して来たばかり」のように感じられているのだ。
つまりついさっき数分前のことについても、ADHDに見えている世界では、すでにぼんやりかすんでおり、極端な話「少しでも場所が変わったら一旦全部頭から消えてしまう」というのに近い。
ADHDにとって「明らか」なのは今現在の一瞬に眼に見えている自分の周りのことだけだ。後は過去のことも「一生懸命に思い出す」しかない。未来のことはなおさら、一生懸命に努力して考えればかろうじて想定できる。
だから手帳やカレンダーに書いておかない限り、頭から一旦消えた情報は数日後に想起するのは困難で、やりかけの仕事も「まだ机の上にある」からやりかけと分かるだけだ。
このままでは日常生活でもほとんど生活出来ないので、必要に迫られてメモを取ったり、何とか覚えて置けるような工夫をみんなして生きていくことになる。
文字や記号で書いて残せるものは辛うじて残せるが、そういう記録が出来ないものはADHDには「残す努力」も出来ない。だからこの部分はADHDで無い人に、何とか理解をお願いするしかないと私は考える。
「透明でない引き出しに入れてしまった瞬間に脳から消える」、「移動した瞬間に脳から消える」という脳で生きているという状況を想像してみて欲しい。文字通りに「今しかない」「目の前のことが全て」であるのだ。
「差別や偏見にとらわれず誰にも平等」というのも実は、「差別や偏見を意識しながら無視していて」という立派なことではなく、「差別や偏見自体、時には危険でさえ想起されないから」というのが実際のところだと思う。
こういう意味では私はADHDはかなり重い脳の障害であると言えると考えている。
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それでは、これからも先、私にとっては耐え難いその態度をどうやって、乗り越えていこうかと言う事が課題になりました。
本来ならば、それは相互理解なのでしょうが、私たちの関係には有り得ない解決策なので、やはり自身がもっともっと広い人間になれるように努力する事なのだろうと、思いました。
こういうところから『いい加減』とか『信用できない』という評価につながるんだろうな、という想像はしています。あるいは『あのときああ言ったくせに』とか。
なるべくそうならないように、自分なりに、反省もしますし、学習もします。失敗から学ぶことばかりなんですが、そうやって、この『その時その時しかない認知』と日々戦っています。
ときに、『自分はだめな人』と思えて落ち込むこともあります。でも、それでもだから自分はこんなにできることがある、他のことが多少足りなくても、できることで精一杯やればいいさと、また前向きになって歩き出す。そういうことの繰り返しです。
だから、精神的にはあんまり余裕がないかもしれません。常にいっぱいいっぱいの緊張感の中で生きているから(あまり自覚はないけどそういう気がする)。
でも、そういうところも全部含めて自分という人間が好きです。
迷惑かけてるくせに何さ、って反論もあるでしょうが、私はこの言葉を自分に言い聞かせています。
ふぇありー様
「意図的」と断定する前に、「本当に意図的と考えて良いか」と状況証拠を確認する作業はしてみましょう。うちのカミさんも、結婚数年は私が嫌がらせしていると思っていたといいます。
yurin様
変化には「臨機応変」という面もあり、「一貫しない」という面もあります。変わり続けても、それが本当の気持ちであれば、私は自身を持って良いと思います。
コメントありがとうございました。
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