ADHDである私は「自分が子供である」ということを悟る前は子供が嫌いだった。多数派的な世界の中では、ADHDは私の印象では小学校5年生くらいで情緒的な発達が停止して、後は知的な発達しかないように思う。だからいくつになっても「小生意気な子供」のような印象を持たれるのだと思う。
これに対してASは「初めから大人(子供ではない)」だと思う。詩的な言葉を使う割りに、ファンタジーの世界に自分から入ることは無く、映画も「お金をとって見せるために作られた映像」でしかない。少なくとも多数派的に「子供」という印象をもたれる部分は少ない。
多数派の「大人」は、状況理解が必要条件になる。「言語化する前に直感的に状況を理解し、その理解に基づいて言語化する前に問題をトラブルになった形を取らずに解決できる」というのが多数派的な大人のイメージだろう。これはADHDにはとても真似できない芸当だ。
私は自分の世間での存在意義を、「裸の大様の子供」と考えている。おかしいことはおかしいと状況がどうあろうとはっきり言い、本当のことを言い続けるのがADHDの意味だと私は考えている。
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