AS(アスペルガー症候群)の男性はADHDの女性が好きで、AS-ADHDカップルが多いことは前に書いた。実はこのパターンでDVやストーカー事件なども良く起こる。
ADHDのACで見捨てられ不安があるケースなどは、ASの愛着に基づく「確実に必要としてくれる」ことが不安を解消してくれるので当初一時的には関係は安定する。
しかしADHDは安定すると、(ASのおかげで)ACから回復するにつれてASの支配的な部分に耐え切れなくなり、別の男性に走ったり、露骨に冷たくなったりする。
このとき、結婚して子供がいたりする場合には、一部のケースはASが絶対服従に回って理想の夫となり関係はさらに安定する。あるいはDVから別居、子供の親権をめぐる裁判へというプロセスだ。この場合は深刻なストーカー化を招く可能性がある。
結婚していない場合には事態は深刻となる。ASの愛着は断ちがたく、自由になろうとするADHDを追い掛け回し、極端には自殺するか、自分の手で愛着の対象の命を奪うというということを考えるにいたる可能性も否定出来ない。かくもASの愛着は命懸けな性質を持つのだ。
私はASの人の外来主治医の立場でいくつかのケースに当たり、本人や妻に発達障害への理解を求めたりしてきた。本人が自分の発達障害について理解し、DV的に受け取られる部分を改め、妻もASの心理を理解することで歩み寄りが可能なケースもある。
大事なことは、「ASの人は悪人ではない」ということだ。自閉症のこだわりに近い愛着が本人が努力しても断ちがたいことを理解して、愛着を諦めるプロセスを医療的に支援することを私は考えている。
http://www.geocities.jp/yanbaru5555/ASspirit.htm
私のHPには全国から発達障害に関するメール相談がある。相談内容に多いのは、「ADHDでもASでもない」と言われたというものだ。
通常診断には最低50例くらいは疑わしい例を経験する必要があると私は思う。私は心療内科に勤務しているが、内科疾患などで分からないものは可能性のある疾患を挙げた上で「自分には分からない」「専門のところに行きなさい」と説明する。
私はADHD、ASについて成人が大半であるが定期通院でそれぞれ30例以上、診断のみでそれぞれ同じ数くらい診ている。それぞれ初診時は心理士の予診に一時間、私の診察も一時間くらいかけて話を聞いて、それでも診断がつかないケースは家系図を3代前まで聞き、アルバムを持ってきてもらって生育歴を徹底的に振り返る。
現実的に考えて、成人発達障害症例をまとまった数診ている医師は少ないだろう。その状態で、「発達障害でない」という判断がどうして出来るのか私には分からない。
発達障害の本人は答えを要求する。答えが分からないだけで不安定要因となる。「でない」と診断されることは中立的でなく、身体症状などや抑うつなどの症状を悪化させることが多い。
私は当事者の方には、「でないという診断根拠を詳しく聞くように」と勧めている。診断とは所詮診断基準への当てはめであって、詳しく「この項目には当てはまるがこれは違うから」 と説明できるのが当たり前だ。これは最低限のインフォームドコンセントとして要求して当然であると思う。
アスペルガー症候群で表面化して問題になるのは、自閉症で言う「積極奇異」タイプで、自閉症のスタイルのままで多数派である大衆に近寄って行っていろいろなトラブルとなる。
自閉症の三類型はそのほに「孤立型」と「受動型」がある。孤立型は現実生活でほとんど引きこもるのであまり問題にならない。受動型は素直で他の人の話も聞けるため、知的障害と間違われることもある。表面上はADHDに似ている。
素直で自己主張が強くないため、一見するとADHDのように「状況が分からない」風で、典型的な積極奇異の人の持つ緊張感というかストイックな感じ、ギリギリで生きている感じに乏しい。
よく話を聞くと、愛着の対象である家族によっては積極奇異型と同じように強気に出ることもある。「愛着の無い他人に対する態度がこだわらない」というようなスタイルだ。
ADHDとの鑑別は、聴覚過敏や服装のこだわり、予定変更に対応できない点など、家族によっては執着することがあれば確実である。
ASの人が映画を見るとき、「演技がうまい」という感想が多い。その意味を考えていて、「徹底的に現実的即物的」と考えれば良いと思いついた。
つまり、ASの人は「映画の脚本の中に描かれた世界」を見ているのではなく、「お金を取って演技を見せる動画」を見ているのだ。だから演技がうまいか否かが問題となり、映画の中の登場人物に感情移入することはほとんど無い。
対照的にADHDはほとんど映画の中の人物になりきってしまい、感情移入が激しい。私は「電車男」を見られなかった。何故ならドラマの中でまで失敗した恥ずかしい状況を再現して体験したくないからだ。ASの人は「頑張れ」と言いながら電車男を見ていたという。
ASの人の「想像力」のあり方のひとつの特徴であると思う。私は大人のASの2,30人とじっくり話す中で、こういった認知の特徴を考え続けている。毎日が新しい発見の連続だ。
http://www.geocities.jp/yanbaru5555/ASspirit.htm
依存は下記の3つの特徴を持つ
1.自己中心的な行為・思考である
2.相手は本質的には誰でも良い
3.失った時に不安になる
依存であるか恋愛感情であるかの違いは、「失った時に恋愛の場合は悲しくなり、依存の場合は不安になる」ことで鑑別できる。
ACの共依存もそうであるが、結局「自分の不安を解消するための自己中心的な業」であり、良く観察すると、ある相手が居なくなったら別の対象を探すということをしていることからも自己中心的であったと分かる。
恋愛と紛らわしい異性関係への依存、セックスへの依存もある。その場合は、相手から見ると、「自分を人間として扱っていない」と感じることが多い。
思春期の薬物依存などの場合、薬物、異性関係、過食嘔吐、アルコールなど多種の依存をずっと続けることがある。治療は、「全ての依存をやめる」「自分の問題をごまかさず直視するように人間的に成長する」ことであり、治療者の態度や治療の環境には、「厳しさ」が必要となる。
アスペルガー症候群(AS)の人に対する「愛着」は異常に強く、またコントロールが難しい「こだわり」に近い。親の立場では自分の子供を差別することも多く、また子供のほうも特定の親だけに愛着を持つこともある。ASの人のさまざまな反応的な状態はこの愛着を考えると説明できることが多い。
特に親の側からの愛着と子供の側からの愛着がミスマッチ(すれ違い)となる場合、子供のほうの反応としてさまざまな症状が出現する。
例えばASの娘は父親に愛着を持ったが、父親は別の兄弟に愛着を向けた場合、満たされなかった娘の愛着は、例えば継続する希死念慮となって残ることもある。
また母親が人に執着しないADHDであった場合も、その母親に愛着を持った娘は、思春期から「うつ」となったり、AC的な対人恐怖となったりする。
自閉傾向が見られるケースの理解しにくい行動に対しては、ADHDのACや、ASの愛着のミスマッチなどがないか家族歴や生活歴を詳細に聞いてみる必要がある。
AC(アダルトチルドレン)は表面上はいかにも「人のため」という形であるが、実は非常に自己中心的な心理だ。その証拠に、世話する人が居なくなると、すぐ次を探したりする。
自己中心性は、もともとACが共依存であることから考えても分かる。「この人のため」「私が居なければこの人は生きていけない」と言いながらその人の人生を仕切る自分の役割に自分の存在価値を依存する。
この自己中心性が一番良く現れるのは、子育てにもよくある場面だが、「本人のために自分で責任を取らせる必要がある場合」だ。突き放して、本人が自分の力で問題を乗り切る力を身につけさせなければならない場面で、ACは相手を突き放しきれない。
相手が境界例である場合、私が本当にその境界例の人を治したい場合には、周囲で世話を焼くACは非常に有害となる。ACは境界例や自己愛等の人格障害の人の問題を尻拭いし続けることで覆い隠し、本人がそれに気付くことを妨げ、根本的な解決を遠くする。
私はADHDやAS(アスペルガー症候群)と解離性同一性障害が両方あるケースを数例見ている。一見ADHDやASは解離性障害とは結びつかないのだが、数年以上フォローすると分かる。
児童相談所の思春期リストカット症例などを丹念にフォローして行くと、最初に解離性障害であることが分かり、家族歴を調べるとASの人がいたりして、人格でなく「本人」のことが分かるにつれて、人間関係の異常な愛着などの特徴から「本人」がASであると徐々に分かってきた。
ADHDのケースも、思春期に大きなトラウマを経験し、受診するたびに服装も話し方も違い、面接の最初に「今日は誰かな? お話しするのは初めて?」と聞くことになる。
私はどの「人格」の場合も、まとまった「本人」を話題にして、結局人格と本人をどう治すか相談するような形となる。その中で人格を含めた本人が全体として成長し、神田橋先生の表現を借りれば、「人格の境界が不鮮明になる」ことをイメージしながら経過を追う。
そのステップのひとつとして、「本人」や母親の発達障害について説明し客観的に理解することは、本体が発達障害である以上、治療が展開するきっかけとなりうる。
だから治療は他の発達障害のコーチングと本質的には変わらない。「自分の特徴について客観的に正確に理解する」ということが大事だ。
薬物療法で治りにくい「うつ」のひとつがAC(アダルトチルドレン)による「うつ」だ。サポートしてくれる夫があっても、家事も出来ず寝込んでいる。
実はこの「うつ」には意味がある。もともとACの人は小さい頃から親の支配や、愛情を得られないために優等生を演じ続け、「期待にこたえるために」行動するパターンばかり続ける。話を聞いてくれる夫との出会いで、また子育てなどを機に、ACのパターンに自ら気付き、スタイルの転換へ向かう過程で、どうしても「不本意なことはやらない」という段階が必要になる。
義務感で行動するパターンを根本的に転換するために、まず「嫌なことはやらない」というのがACの「うつ」の意味だ。
だから、家事が出来ないことは問題にせず、「あなた自身が楽しめるようなことを考えよう」と真っ直ぐに人生を楽しめる方向に話を進め、趣味など楽しめることを見つけて、「楽しいこともあるから」というところから再び家事などに取り組む形をリセットする。そういう形でACのうつは回復する。表面上家事が出来ないことは治療のテーマにする必要はないのだ。
私は時々壮年期以降に突然妄想が出現する「退行期妄想症」と呼ばれるケースに出会う。妄想性障害、妄想性人格障害などとも近いけれど、これらの妄想には意味があるように思う。
例えば老年期に入ったケースでは、「腰が痛い、胸が痛いのは毒ガスのせいだ」等、「自分に不利な(加齢や病気等)状況を否認しつつ同情はしてほしい」という風に理解が可能で、要は自分が衰えていくことを受け止め切れないことが問題の本質であろうと推測している。
あるケースは目もほとんど見えなくなり、妄想相手から反撃されひどい目にあって入院し、その後不本意ながら老人ホームに入って落ち着いた。老人としてケアされることで妄想の必要は消失したのだと思う。
だから私は、良く効く薬で治す予定の時も、「妄想が消えて現実の世界に軟着陸するための道筋」を本人に用意し、本人から見ると「妄想のストーリーが自然に自己完結して終わった」と出来る様な準備をするように周囲の人にお願いする。
例えば妄想の相手であった張本人が「改心したから」でもいい。そのために「改心する」ようなイベントにタイミングよく参加してもらうなどの協力を要請する。本人の認知が現実の世界に大きな断絶無く復帰できることが大事だ。
乱暴に妄想を治すと、逆に認知症の世界に入る可能性大であるように思う。「治す時の治し方が大事」である。
http://www7.ocn.ne.jp/~k-goto/
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