私もそうだがADHDは荷物が多い。「忘れるから」という他に、「入れっぱなしで整理しない」という結果荷物が多くなることもある。また、「待ち時間が出来たときにやることが無いと困る」という強迫的な考えもあるように思う。
この荷物は頭の中と一致する。一つ一つのプロジェクトを終了に出来ないために、継続の形でいくつも持って歩くしかないというのがADHDの思考そのままである。
「ADHDが片づけが出来ないのは、脳の中で終了にならないからである」また、「ADHDは前にしか進めず、片づけが意味のあることに思えないからである」といった脳の働き特徴を説明するのに、私はよく「パソコンの画面でウィンドウが勝手にいくつも切り替わってしまう」という喩えを用いる。
下記に詳論
私が指定医として勤務する沖縄県の精神科病院で精神科医を募集しているが、なかなか希望者が見つからない。
古い老人中心の病院だが、これから変わろうとしていてスタッフも熱意があり、ケースワーカーも訪問看護も力がある。
研修終わってすぐでもいいので、意欲がある人を探している。私と二人のコンビで老人の社会復帰をはじめ、訪問スタッフとともに発達障害のコーチングも出来るし、場合によっては境界例などの「短期集中カウンセリング入院」も可能かもしれない。
沖縄県うるま市、田舎で海も近く、風光明媚な場所です。
どなたか一緒に働きませんか?
意欲がある若い精神科医を探しています。興味がある方はメールしてください。
多くのADHDはもともと思い込みが激しく、意見を聞くたびに「説得されてしまう」。その思い込みが徹底したケースでは、普通ではとても出来ないような滅私奉公も可能になる。
ある女性は「9歳から家事をしてきました」という。親が居なかったわけでもない。妹も居たが、本人が自分から「自分の役割」と思い込んでやってきた。
AC(アダルトチルドレン)とは「本人が納得している」点で決定的に違い、その時には全く問題にはならない。
この方がクリニックに来られたのは、「世話をする必要のある家族が居なくなったら自分にはやることがなくなった」という問題で治りにくいうつ状態となったことであった。
50歳を過ぎてから「好きなことを結果を考えないで楽しんでしましょうね」ということを目標にカウンセリングを続けている。私はこういうケースを思い込み型ADHDと呼んでいる。
http://www7.ocn.ne.jp/~k-goto/adhdNH.htm
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私自身も見逃していたケースがいくつかあったが、強迫性障害という診断の人に実際はアスペルガー症候群(以下AS)であった人が何人か居られた。
一つのケースは、思春期からの入浴に時間がかかるという不潔強迫の症状で、ある県立病院で厳しい行動療法を行い、退院時には一時症状はよくなったがすぐに再発し、その後本人が「大人のいじめに遭った」「元主治医を訴えたい」と言い続ける経過になっている。
ADHDにも強迫症状はあるが、私の臨床経験では、ASやADHD等の発達障害の強迫症状に行動療法は効かない。
SSRIや時にはジプレキサ等の抗精神病薬は有効だが、本当の治療は発達障害を診断して、その発達障害ならではのストレスを理解し、現実的に解決するコーチングを行なうことだ。
発達障害を合併しない強迫性障害との鑑別は、偏食や服装などの生活上のこだわりの有無、症状の不合理さを自覚しにくい点、またストレスにより強迫症状の重症度が大きく変動する点などがポイントだ。
私自身もそうだが、「疑わないと診断できない」ところが難しいところだ。
http://www7.ocn.ne.jp/~k-goto/as.htm
ゴールデンルールとは聖書の言葉で、「あなたが人にして欲しいことを人にもしなさい」というかなり普遍的な行動原則だ。ただ相手が発達障害の場合は失敗することが多いので、「発達障害と付き合うときにはゴールデンルールは捨てる」ことが必要だ。
その理由は簡単で、「発達障害のして欲しいことと多数派のして欲しいことはかなり違う」からだ。例えば発達障害は自分にかなり不利なことでも、はっきり言葉で言って欲しいと思うので、多数派にもはっきり言って顰蹙を買う。逆に多数派ははっきり言って欲しくないので発達障害から見ると理解困難となる。
昨日のブログで「少数異民族」という表現を使ったが、実際言語や文化が異なるに匹敵する思考と行動パターンの違いが発達障害と多数派の間にはあるということの理解が一番大事なのだ。
「(多数派は)自分がして欲しいからといって発達障害の相手が喜ぶとは限らない」逆に「発達障害も自分がして欲しいと思うことは少数派の価値観なので多数派には応用しない」というお互いの努力が必要だ。
それに替わるルール、方針は、これも簡単で、「相手本人に言葉で聞いてみる」しかなく、「自分にはどんなに当たり前に見えても言葉で説明するしかない」ということである。
私は多数派である妻と話すときもほぼ全会話で多数派の用語法(思考パターン)を発達障害の言葉(思考パターン)に変換(翻訳)して理解し、また変換して発語するということを24時間行っている。
一部のADHDとASの人にはこのことの理解は根本的に困難なので、子供の時から粘りづよく説明を続けるしかない。
私は発達障害の講義を頼まれてあちこちの学校を回っているが、発達障害の理解を説明するのに、「少数異民族」と説明している。脳の働きが明らかに異なる一群の人がいて、多数派とは言葉の使い方もかなりズレることは当たり前である。見た目にはあまり変わらないが、理解は容易ではない。そういうことを直感的に理解してほしいからだ。
ほとんどの講演で私自身がADHDであることは最初に自己紹介をするが、それでも時に「発達障害は治るか?」という質問が出ることがあり、それに対しても、「別にアイヌの人たちは日本文化に完全に同化する必要はありませんよね」と説明できる。全面的に多数派に合わせる必要は無い。共存するのに必要な最小限の妥協があれば良い。
親子でも通訳しないと話が通じないことは当たり前で、一年くらい親子で通院してもらってコーチングと説明を続けてやっとお互い理解が出来るようになる。
少数異民族の理解であるから、理解の方法は「フィールドワーク」、少数派からの妥協は「バイリンガル」ということになる。
最近躁うつ病の人の中にアスペルガーの人がいることが少しずつ分かってきた。
躁うつ病の典型的な性格は、気分でころころ変わる、依存的で表面的、相手の評価を常に気にする、権威が好きなどだが、明らかな気分の変動がありながら、この基本性格が違う人によく生活歴を聞いてみたらアスペルガーの人だった。
アスペルガーの人は普通に世間で生きているだけで多大なストレスを感じる。そのストレスが大きすぎるときに、時に誇大的、時に自閉的にうつになることで対処するというのがこの病態だろうと私は考える。躁状態になるときに必ずきっかけとなるストレスがあるのが特徴だ。
ケアは薬物療法(炭酸リチウム中心)で改善するが、アスペルガーとしての人への愛着や多数派から見ると奇妙に映る律儀さは残り、回復した後もアスペルガーのコーチングを必要とすることが多い。
私は心療内科でパニック障害や社会不安障害、うつなどを診てきて、そのうちの少なくない部分がADHDやアスペルガーなどの発達障害の人であることを発見した。
本来発達障害は自分が納得するように生きるしかない。納得できない生き方をするとそれだけでストレスとなり、身体症状やうつで苦しむことになる。病気になった発達障害の人を診てきて私が理解したことは、「世間に適応すれば病気になり、適応しなければ引きこもりや反社会的になる」という発達障害のどうしようもないジレンマであった。
だから発達障害の親などによく言うのは、「あなた(親)が楽になるということは本人がその分苦しいということですよ」ということだ。
ADHDは多くはうつになり、アルコール、薬物、時にはギャンブル依存などにもなる。アスペルガーは強迫症状と身体症状が多く、頭痛やアトピー、喘息等、時に攻撃的になることもある。
上記のジレンマへの答えはこうだ。「思春期以降に、本人の社会で生きて行きたい路線を出させて、それに合わせて最小限の社会適応、最小限の妥協を考える」
私はADHDである。私個人の答えは下記にある。
http://www7.ocn.ne.jp/~k-goto/henkutu.htm
http://www.geocities.jp/yanbaru5555/adaptation.htm
アスペルガー症候群の人と話していて驚くことは、「後悔しない」ということである。逆に言えば、「後悔するくらいならはじめからするな」「後で絶対後悔できないので事前に悩む」という思考と行動をとる人たちである。
驚くべき記憶力で、小さい頃のことまで克明に記憶し、また他人にも厳密な首尾一貫性を要求するので、多数派からすると「随分前のことを取り出して難癖をつける」ような形になってしまう。これは思考法の直接の帰結なのだが。
これと「人への愛着」が合わさって、多数派から見ると支配的でストーカー的な行動が帰結する。
また他者も自分と同じく首尾一貫性を重んじ、軽はずみには行動しないと仮定すると、必然的に「何らかの意図があって」ということになり、表面的には被害妄想的な発想ともなる。
成人アスペルガーの人々と時間をかけて対話して理解を試みてきた結果分かったことだ。下記に詳論
私はADHDである。ADHDの一大特徴は、「人に執着しない」ということである。小さい頃から母親が不在でもあまり泣かず、親に頼らず自分で何でもしようとする。
思春期には人とつるまず、孤立していじめにあったりする。結婚は成り行きで「ただそのとき一緒にいたい」から。夫婦冷却してもカネのためと割り切って離婚しないこともある。最終的には自分の好きなモノがあれば無人島でも平気で暮らせる。
究極の「猫的生き方」であると私は思う。オオカミ的な群れは作らず、干渉されなければ無駄な戦いもしない。来るものは拒まず去るものは追わない。体育会系の人にはさぞ自己中に見えることだろう。
愛着の対象とそれ以外の極端な差別を持つオオカミ的なアスペルガーとは対照的である。私はADHDとASの鑑別にこの特徴(人に対する執着の有無)をよく用いる。
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