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2010.09.04 14:52 |  診療  |  研究  |  その他(医療関連)  |  ADHD関連  |  AC、人格障害関連  |  YANBARU  | 推薦数 : 0

ファンタジーに引きこもる

 前項で述べたようにジャイアンのファンタジーには「本人に現実逃避や代償満足などの利得がある」という特徴がある。その結果として、「ファンタジーに引きこもる」という経過がたびたび見られ、表面上は「難治性の妄想」という見かけとなる。

 「妄想性障害」という病気がある。中年以降のどちらかと言えば活発で知能程度も高い人で、妄想以外には全く問題なく日常生活を送れる。パートナーへの嫉妬妄想や誇大妄想など、妄想内容はいろいろあるが、「抗精神病薬が効かない」という風に一般には言われている。
 50代以降の女性では「退行期妄想症」という呼び方をされる一群もあり、この場合はスルピリド150mg程度の少量が著効することがある。

 この妄想性障害は、もともと知能程度の高い強迫的な性格の人が多く、また自分が病気と考えていないので、当然治療は容易ではない。そのまま妄想だと言えば主治医と患者の関係も成り立たない場合が多い。結果多くの精神科医はこういう患者を敬遠する。

 上記の諸特徴は、前項のジャイアンのファンタジーと実は非常に共通する。最近私は、「妄想性障害はジャイアンがファンタジーに引きこもってしまった状態」なのではないかと考えている。

 難治性であることは、「このファンタジーが実はもっと大変なストレスを伴う現実から目を逸らす機能を持っている」と考えれば説明は可能だ。

 「中心志向型のジャイアンが、加齢とともにそれまでキープしてきた表面的な社会的ステータスを保ちきれなくなったとき」や、「依存型ジャイアンが依存対象を失ったとき」、現実的な借金などの経済的な失敗などがある場合、ファンタジーの世界に引きこもって、自分でも信じ込み、周囲からの助言に耳を貸さなければ、現実否認を続けることが出来る。

 こういう推論で病態が説明できそうな中高年の妄想の人は実はたくさんいる。実際には単純に統合失調症と診断して抗精神病薬を処方しても良くならないという経過になっていることが多いだろう。

 上記のような病態であったとして、「どうやって治すか」となるとなかなか難しい。若い人なら厳しい環境調整で依存対象を断ち切り、自立する中で現実否認を根本的に乗り越えることを治療目標とするが、高齢のケースでは厳しい直面化をするとうつ病になったりその後本当の認知症に移行することもありそうなので、家族とじっくり相談することになる。

 現世的な宗教に依存する「宗教ジャイアン」もこの仲間に近いだろう。またこのファンタジーの住人は、ファンタジーに近い内容の詐欺に簡単に騙されるのも悲しい現実である。

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2010.09.03 00:48 |  診療  |  研究  |  その他(医療関連)  |  ADHD関連  |  AC、人格障害関連  |  YANBARU  | 推薦数 : 1

ジャイアンのファンタジー1

 ジャイアン型ADHDに特有の現象として「ファンタジー」と私が呼んでいる現象がある。空想、想像、時に妄想に近い非現実の「思い込み」というべき現象だが、実はこれでいろいろなこれまで解明困難だった精神疾患の一部が分かる可能性があると最近思えてきた。現段階のイメージを少し描いておこうと思う。
 
①ファンタジーは「思い込み」である。
 時に統合失調症の被害妄想に非常に似た様相を呈し、誤診されることも多いと私は考える。
 
②合目的的な意味がある。
 内容は一見被害的でも、よくよく見ると別の自分の醜い面を直視することを回避できていたり、結果として自分が悲劇のヒロイン的立場に立ったりして、総合的に見ると統合失調症の被害妄想のように完全に本人に不利なストーリーになっていない部分がある。その意味で認知症の「作話」に近いニュアンスを持つ。

③時に現実と混同するほどに鮮明で一部現実感がある。
 実際にファンタジー内の特定人物と交流したり、「想像の上」ではあるのだがほぼ実体験に近い実感を感じることが出来る。

④抗精神病薬が効かない。リスパダールなどは逆にひどい(流涎や筋強剛などの)副作用が出て大変なことが多い。
 エビリファイは部分的に有効である。私はリーマスを基本に使い、適宜エビリファイを追加して本人にコントロールしてもらう。

⑤冷静な説明で非現実性を自覚することが可能である。リーマスやエビリファイの力を借りて、それがファンタジーであることをきちんと理解すると、非現実性を自分で自覚できる。その意味でも統合失調症の病的な妄想とはかなり異なる。

 ざっとこんな特徴がある。最終的には「妄想性障害」を説明することも可能になると思うが、今考え中である。

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2010.08.30 21:11 |  診療  |  研究  |  その他(医療関連)  |  ADHD関連  |  AC、人格障害関連  |  YANBARU  | 推薦数 : 2

逃げて良い

 支配的な親からの理不尽な愚痴をずっと聞かされ続けている依存型ジャイアンのケースの言葉。
 
 「親も精神的に持たないから」「死ぬといっているから」。
 
 こう考えて本人は理不尽と感じつつも親の現実的、心理的なフォロー、尻拭いをずっと続けてきた。
 
 私は本人に聞いた。「何故子供であるあなたがフォローする必要がある?」「親本人はその
問題から逃げていいのだろうか?」
 
 本人は再度「でも親は本当に責任を突き付ければ死ぬかもしれない」と言いつつも、
自分の発想の問題点に気付いた。
 
 私はその本人を見て、依存型ジャイアンの発想のひとつの特徴に気付いた。
 
 「逃げて良い」のだ。依存型ジャイアンの世界では辛ければ、死ぬといえば、どんな責任からも逃げて良いのだ。いつもながら依存型ジャイアンの世界には驚かされる。

 その理由は、結局「その場だけ」という一瞬に生きる依存型ジャイアンの認知と行動を考えれば容易に推察できる。「自分が逃げたいから親のフォローを続けざるを得ない」というのが本人の根本問題であった。
 
 依存型ジャイアンが依存型ジャイアンを作るプロセス、ダメ息子の尻拭いをし続ける過保護親や、ダメ夫と知りつつも(共)依存し続けるAC妻など、ドライな周囲から見ると「何で甘やかすの?」と首をひねる行動の根本原理は上記のような説明が可能ではないだろうか?

 「自分が自己責任に直面できないから人も甘やかす」という依存の世界の流儀なのだ。

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2010.08.23 00:00 |  診療  |  研究  |  その他(医療関連)  |  ADHD関連  |  AS(アスペルガー)関連  |  YANBARU  | 推薦数 : 4

連合の学習障害

 WAISなどの知能検査では明らかな学習障害の特徴は示さず、また文章も比較的うまく書けるのだが、相手は「どこか話が通じていない」と感じるASや高機能自閉症のケースに時々出会う。

 「木の絵を描いて」と言われて、「何で葉っぱが無いか?」と聞くと、「木の絵を描けと言うから」と答える。最近話した高機能自閉症のケースで印象的だったのは、「先輩の言うことを
聞かないことが出来ると知らなかった」という発言だった。

 これは狭義の学習障害というよりも、社会的な状況理解の障害でASないしは高機能自閉症的な認知の特徴と見なされることが多いだろうが、見ようによっては「連合の学習障害」と
見ることも出来ると感じた。

 観念の連合とは、具体的には「連想」のこととも言えるが、「木」から「葉」まで行かない。「葉を書けと言われていないから幹だけ描く」という発想は、「連合の及ぶ距離が非常に短い」という見方も出来る。

 だから多数派的な想像、連想の及ぶことを「普通」と考えれば、非常に連想の及ぶ距離が短い、範囲が狭いというのは一種の「学習障害」と考えることも可能だろう。

 例えばASや高機能自閉症の人が「空気が読めない」という場合、現象としては「特殊な自分なりの読み方をする」ということになるのだが、その独特の認知と行動はこの「連想の
距離が短い」という認知・思考の特徴から来ていると考えると理解しやすい。

 だからADHDの「注意が継続できないから周りの情報を十分に取ることが出来ず空気が読めない」のとは根本的に異なる現象であるということになる。ここがASとADHDの根本的な違いの一つだ。

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 地元の福祉保健所で発達障害サポートの医療機関を集めた会議が開かれるが、私は都合で参加できないので、文書を出すこととした。以下はその原稿より。

 医療としての成人発達障害支援には二つの困難がある。
①「時間と手間がかかりすぎて民間医療機関のサービスとしては成り立ちにくい」。
②「依存的で他罰的なケースを依存させた末に、ケアの限界で逆に主治医が攻撃されるパターンとなることがある」。

 ①はまず診断にも生活歴や家族歴の聴取にかなりの時間と手間が必要となり、通常の精神科診察よりも診断に多大な時間と手間を要する。

 ケアにも、まず本人のストレスとなっている問題自体を探り当てるためにかなりの時間と手間をかけた聴取が必要。その後で多数派での行動の意味を考えながら本人のストレスとなっている問題の「答えを出す」作業にも同様に多大な
時間を要する。
 
 何よりも本人が納得するまで説明するには通常は省略される非常に根本的な部分から説明を試みなければならないので、短時間では根本的に困難なのだ。

 ②これも重大であり、結果として発達障害ケースが医療機関で嫌われる大きな要因の一つであると私は考える。

 ASに多いが、主治医なり福祉のスタッフなどの相手が「自分を理解してくれる」と思うと、「理解しているのは当たり前」となり、説明を求めても努力しなかったり、素振りや細かな表現から察知するのが当然だろうと考えるようになったり、また現実的な依存となると、極端なケースでは生活まで主治医に保障しろと求めたりするケースもある。

 (私自身の失敗例だが、例えば福祉事務所とのやり取りなどで主治医として影響力を行使した結果、「生活の困ったことは全て主治医が保障する」ような形になってしまい、主治医として大失敗であったと大いに反省した)。

 最終的には、「2年も相談しているのに解決しない」等と福祉担当者や主治医を攻撃することまであるため、そういう目に遭った医療や福祉の担当者は「こういうケースは懲り懲り」となり、発達障害支援に協力するスタッフが減っていく。
(原稿についてはここまで)

 私は受診希望のケースに全員先にメール等で相談の概要を伝えてもらい、私自身が予約するかどうか指示する形にしている。これは上記の②の状況を回避するためであり、「最初から依存相手を探しているケースを除外してトラブルを回避する」ことを考えてのことだ。

 メール相談でも、親からの相談で親自身の責任を自覚せず「本人の病気だけを治してくれ」と言ってきたり、あるいは「自分は被害者」ということだけを訴えて助けを求めたりする文面には私は「親であるあなた自身が変わることを考えないで本人だけを治すことは出来ません」とか、「被害者的な考えだけをしているうちは助ける方法は無い」と世間的には非常に不親切な返事を書くことも多い。
 
 それが本当のことだと私が考えるからそう答えるしかないのだ。
 

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2010.08.08 00:24 |  診療  |  研究  |  その他(医療関連)  |  ADHD関連  |  AC、人格障害関連  |  YANBARU  | 推薦数 : 4

エビリファイという薬

 統合失調症の幻覚や妄想を抑える薬を「抗精神病薬」と呼んでいる。今は使われなくなったが「メジャートランキライザー」というのもほぼ同じ意味だ。以下「メジャー」と略すことにする。

 ほんの2、3年前までは抗精神病薬といえばドーパミン神経の「ブロッカー」のことで、セロトニン系やノルアドレナリン系を同時に一部分ブロックする等タイプは違っても、基本的には
ドーパミン神経をブロックするのが抗精神病薬の作用だった。

 ドーパミン神経はいくつかあるが、意欲や快感などに関係するドーパミン神経の一群をブロックすると、当然意欲が低下し、基本的に思考能力は低下し、メジャーを服用しながら普通に就労することはほとんど不可能と言っても良いように私は思う。

 だから私は「メジャーは最後の手段」で、なるべく思考力を抑えない感情調整薬(躁うつ病の薬)やてんかんの薬をいろいろ組み合わせてイライラを抑えたり衝動をコントロールすることを目指す。

 子供の自閉症や成人のASにもよくリスパダールやセロクエルが使われているが、私はよほど問題行動が激しくない限りメジャーは使うべきではないという方針だ。

 ところが「エビリファイ」(一般名アリピプラゾール)という新しい薬は、作用の仕方が全く違う。

 ドーパミン神経のブロッカーとしてではなく、「弱い刺激剤」として働くので、ドーパミンが出すぎて居るときはブロッカーとして働き、少ないときは刺激剤として働き、結局ドーパミン神経の働きを「安定させる」作用がある。

 私は最近ADHDの過集中と虚脱は、「ドーパミン神経の不安定」であるように考えている。この意味では、「ちょうど良くする」エビリファイの働きはADHDに最適と言うことになる。

 メジャーの仲間ではあるが、衝動の激しすぎるタイプやファンタジーが妄想のようになるタイプのADHDにはエビリファイを使ってみることをお勧めする。

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2010.08.03 00:34 |  診療  |  研究  |  その他(医療関連)  |  ADHD関連  |  AC、人格障害関連  |  YANBARU  | 推薦数 : 2

ジャイアンACの回復

 私もほんの5、6年前までは、「自分が世間に迷惑にしかならないのなら生きていけない」と考えていた。
 ところが今では、AC的に「迷惑になるなら仕事に行けない」と言っている人に「何を中学生のようなことを」と偉そうに言っている。何が違うのだろうと考えた。

 直接の変化はやはり「偏屈者宣言」だろう。「普通」を諦めた段階で、自分なりに生きて行くしかなくなった。平成18年の5月で、たしか何年か前の10月頃にこの話題で全国のニュースに出た。
 
 「世間に迷惑になるなら」という発想は、自分が生きている根拠を世間のほうに証明してくれと言う意味で、「甘ったれている」「依存的」な発想だ。世間のほうからすると、「何でお前のようなやつにそこまでしてやる必要があるか」「自分で生きて行く意志が無いやつはさっさと死ね」と言われても仕方が無いと今はジャイアン的に考える。

 結局「必要」で自分を正当化して、「必要」にぶら下がって生きて行きたい。AC(アダルトチルドレン)に非常に似ている。

 しかしながら、どのACにも言える事なのだが、ACとは一面「異常に自意識過剰」で、「世間から必要とされる存在でありうる」「そうでない可能性を想定しない」と言う意味で非常に誇大的であるとも私は思う。

 自分自身のジャイアン性についてとことん考え抜いてきたこともあるだろう。ジャイアンはどう考えても自己中で妬みや僻み、相手より優位に立ちたい心理、攻撃性など、どうあがいても正当化しようの無い醜さの塊である。これは事実でどうしようもない。

 ここからすると、「必要を証明できる」なんてもしかすると到底無理なとんでもない身の程知らずかもしれず、自分自身に「だったら死ね」と突きつけざるを得なくなる。実際そうしながら生きているのだが。

 私の場合は、「仕事」があるにはある。「必要を確認する」なんては言えない。それよりも、「生きている手ごたえ」にはなっている。相談者とともにある行動や心理について考え、一定の答えが出て「理解」が成立したときの楽しさのような充実感を積み重ねてきたことは上記の変化の一つの要因ではあるだろう。
 
 生きていて楽しい、充実感がある。大半の時間は自己突っ込みに苦しんでついつい大声を出して叫びたくなるのだが、他方で短いながらそういう瞬間もあることで、今の私は生き続けている。
 
 実際問題、過去3年間で3回戦力外通告を受け、実際辞めさせられてきたが、これは完全な確信犯で、医療機関には他の先生が貢献しているだけの外来収入をもたらさないで好き勝手なことだけしてきた。

 だから辞めさせられても仕方が無い。とっとと別の場所をまた探し、またもや「寄生」的な立場で自分の好きなことを続けようとしている。そういう意味では怪しい組織が弱体化している場所のほうが私には都合が良いということは言えるだろう。

 これが「偏屈者宣言」の実際の応用だ。私は世間に迷惑をかけても、好きなことをやり続ける。
一部は役に立つ可能性はあるだろうが、それはあくまでも結果としての世間からの評価でしかなく、私が生きている根拠ではない。

 ジャイアンACの回復の一つの姿である。ちなみに自己突っ込みで自分を責め続けることは継続したままだ。

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 随分長く放置していた管理人のHP「自分を変えたい人のためのページ」を久しぶりに更新した。

 主な内容は「自己愛性人格障害」を削ってここに記した「ジャイアンの本質」に置き換えたこと、また図もやっと完成したので、下記に載せた。
 http://www.geocities.jp/yanbaru5555/jaianprosess.mht

 以前に載せていた「自己愛性人格障害」は、実はジャイアンと愛着の対象に依存したときの受動型ASについて書いていた。診断基準上は当てはまりはするが、今は私はジャイアンならジャイアン、受動型ASなら受動型ASときちんと発達障害として診断するのがベストだと考えている。

 他は本の紹介を少し追加した。一つは以前に勤務していた東京新聞から出た共著の子供の本を紹介する本で、私の他は有名人ばかりだ。

 もう一つはテンプル グランディン氏の「自閉症感覚」で、発達障害の当事者に「厳しくするべきところもある」ということをはっきり言った意味で他の著作に無い重要な意味がある。

 私自身もそうだが、障害者に厳しくするという立論は当事者にしか出来ない面がある。

 私自身もジャイアンの一当事者として、「ジャイアンには自己責任の厳しい対応しかない」ということを主張していくことを肝に銘じよう。
 

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平成22年6月29日 中部福祉保健所「野菊の会」講演

       地域精神医療の現在とこれから

1.入院中の当事者の高齢化
●入院中の当事者は平均年齢が60歳に近づいている。長期入院のほとんどは同じ人が入院したままで年を取り、若い人は入院しても長期入院にはならない。

2.「精神病床を減らす」流れ
●急性期治療をする精神科病院は生き残り、ただ生活場所になっている精神科病院は病棟を減らして老人保健施設のような施設に変わっていくだろう。(医師や看護師の数が少なくコストが安い)。

3.福祉サービス事業所(自立支援法) 
●三障害合同(知的、身体障害との)の流れで、以前の「グループホーム」や「授産施設」から入所型の事業所が増え、地域での生活場所(退院先、生活訓練の場)はむしろ増加している。
●就労継続支援A型(旧福祉工場)のような最低賃金を支払える施設は最近増えている。(「希望の大地」など)。
●障害者就労の合同面接会 精神障害者も障害者就労にカウントされることになり、ここ数年秋に県内でも合同面接会が行われている。

4.精神科病院デイケアへの回帰現象
●30歳代で就労した当事者が40歳代に入り病院デイケアに戻ったりする。
●精神科病院が当事者を「囲い込む」傾向の強まり。(病棟縮小の流れから)。
●精神障害者地域生活支援センターの利用がむしろ減っている。(北部の場合)。
●「つどい」の活動の停滞。ふれあいセンターは依然孤軍奮闘している。

5.若い統合失調症当事者の「軽症化」
●若い当事者の新規の精神科病院への入院は激減している。「統合失調症はどこへ行った?」。
●心療内科で軽快、ニート、引きこもりの状態で経過するケース 「手帳も作らない」。
●新薬の登場 「エビリファイ」等。入院する前に外来で軽快する。
●発達障害や知的障害との鑑別。

6.ACTへの流れ
●デイケアでもまだ医療費は高い。(デイナイトケア10000円/日)
●入院施設は減少、心療内科クリニックの増加
●入院期間も短縮、急性期治療のみで地域に帰る
●身近なステーションから精神医療の専門的なサポートが個別のプランに基づいて受けられる。

7.家族会は何をするべきか?
●福祉サービス事業所の動きとの連携
●ニート、引きこもり等の家族との連携
●当事者の「つどい」の活動の支援
●家族同士の自助の会の原点に戻り再活性化する。

 平成22年6月26日 ノーブルメディカルセンター 精神保健指定医 後藤健治

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各論4.依存型ジャイアン(ボーダー型)
 ジャイアン本人を溺愛する代わりに、言語的な説明を省いて主に非言語的なかかわりの中で全部親の思い通りになるように支配して育てた場合、ジャイアン本人は「その親をどうコントロールするか?」だけをテーマとし、その方向の能力だけを発達させて成長する。
 この場合、「衝動は親にコントロールしてもらう」「この親から溺愛されるために親の気に入るようにする」というスタイルとなり、非言語的な状況察知能力の有無により異なるが、表情や言い方などの非言語的な表現の使い方に巧みとなり、非言語的に周囲をコントロールする技術を身につける。
 例えばAS父親に溺愛されたジャイアン女子は、同じタイプ(ASが多い)の男性をコントロールすることで自分は努力しなくても衝動を達成できる。
 これは「依存」のスタイルであるが、非言語的に対人関係を「操作」する意味では境界性人格障害(ボーダー)に酷似する結果となる。
 衝動を実現するための強欲ぶりはジャイアン独特のものであるが、これは見ようによって「愛されるために死に物狂いとなる」という風にも見えるだろう。このタイプの若い女性は摂食障害を伴うことも多い。

各論5.依存型ジャイアン(情緒障害型)
 非言語的に支配し、「目で躾ける」といったネガティブな養育環境で育ち、言語的な説明が欠如していた場合、上記と同様に「人に衝動をコントロールしてもらう」というパターンになる。 
 ボーダー型と異なり親は支配と引き換えに溺愛もしない。親からの非言語的なメッセージは主に否定的で、「叱られないために」ということだけを考えて成長する。
 このタイプは多くは情緒障害(離人症様)として成長し、「異常にドライ」で、結果的には「冷たい自分の利益だけしか考えない人」というスタイルとなる。
 表面的な気配りは、生き抜く知恵として体得しているため、表面上の愛想は良いことも多いが、継続的に近くで接すると、(依存型に共通する特徴であるが)極端に場当たり的でその場の対応だけに終始する行動に家族などは疲弊することになる。
 この冷たさ、人を利用対象としてしか見ない部分を見ると「精神病質」または「シゾイド人格障害」という診断にもなりうる。
 この型の特徴として、「情緒的に責められると思考がフリーズして無反応状態になる」ということが良く見られる。

各論6.ジャイアンAC(ACはアダルトチルドレン)
 言語的に親から否定され続け、自己評価が異常に低下したジャイアンは、(非言語的状況察知能力が不足しているKYなタイプが多いが)「自分はとにかく駄目なんだから、普通の人たちに合わせて生きるしかない」と強迫的に思い込み、多数派を表面だけ真似てジャイアンなりに「普通」と考えたスタイルで強迫的に行動し続ける。
 「自分は駄目な人間で普通でないから我慢する」という衝動統制だ。
 本人は「気を使っている」つもりであるが、周囲から見ると空気は読めておらず、見当はずれのことが多い。
 このタイプが心療内科を受診すると、「対人関係が苦手」「私は変わらなければ」と焦って強弁する割には対人緊張も希薄で、「考えすぎ」等と対応されて逆切れすることも多い。
 本人が「自分は境界例」と言って心療内科や相談機関に訴えることもあるが、周囲を非言語的に操作する本物のボーダーとは客観的には似ても似つかない。
 とにかく「奇妙な人」の外観を呈する。本人が体験する自己評価は低下しており、主観的にはACに非常に似ている。
 「AC的」を通り越して、被害妄想に近い病的ケースも実は多い。統合失調症と誤診されているケースは実際多いだろうと想像している。

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