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入院患者が重症である場合は、普通の温度板にバイタルサインを記入するのではなく、重症記録(病院によって名称はことなるだろうが)に患者の二時間毎とかの血圧や心拍数、SpO2などが記録されることが普通であろう。
さて、この重症記録にはNsにより、患者の輸液量や尿量のinとoutが数時間毎に計算して記録してあるが、どうもこれに間違いが多い気がする。
ざっと眺めるだけなので、100や200mlの違いは判らないが、どうみても500mlくらい違うのではないかと思うときが、ままある。
別にどこの病棟が間違いが多いとかいうこともなく、今までの経験では、大学病院でも基幹病院でも、つまりどこの病院でもまんべんなく間違いはある(もちろんICUとかはあまり無いようだが)。
単純な足し算だが、業務量が多すぎてそこまで手がまわらないのであろうか。
これで思い出すのは、大学生の時にしていたバイトだ。
大学時代は、映画研究部に入っていた。
映画館を借りて、年に2回映研で自主上映を行うために、その映画館の土曜日のオールナイトの間は、切符のもぎりを兼ねた売店の売り子を映研のメンバーで受け持つことが、先輩からの慣習となっていた。
土曜の夜は、バイトに入る前に、映画館の従業員から、おつり用の小銭を貰い、売店の中に陣取る。
売るのはパンフレットやお菓子類であり、高いものは無く、まあ気楽なバイトだ。バイト代は安いが、何人かでやれば、ただで映画も見れる。
映画が終われば、売り上げの確認である。
100円、200円のものを売り、おつりを出すだけの単純作業である。レジスターなどは無いが筆算で十分な仕事量である。でも、なぜか売った品物と残った現金が合わない。多くは数百円程度の違いであるが、ぴたっと合うことがない。
結局。在学中に、金額が合ったことはただの一度も無かった。これは、部長である私だけでなく、他の部員がバイトをしたときも常に合わなかったのである。
いくらなんでも国立大学の医学部の学生が、揃いも揃って足し算引き算ができないことはありえないはずであるが、とにかく合わないのである。
以後、スーパーのレジ打ちのおばさんを尊敬するようになった。きっと、彼女らはものすごい金額を売り上げながら、間違いなどはありえないのであろう。
映画館でのバイトで判ったことはもう一つある。ヤクザ映画はヤクザが見に来る、ということだ。
平和な映画館だったが、ヤクザ映画を上映した土曜の夜の客層は普通の週とは全く違い、服装や言葉が特殊な方々が集まったのである。
当然、バイトの我々もびびりまくり、売店の売り上げも大きかったのだが、決算での合わない金額も最高値をたたき出したのである。
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人間のすることであるから,医療に於いても間違いはつきものである.何か問題が生じればヒヤリ・ハットの報告書を書いたり,リスクマネージャーにいろいろと聞かれたりと面倒なものである.
さて,病院ではあるが医療以外にも間違いは生じる.
4月から新年度であり,人の出入りも多い.4月2日は辞令授与式なるものが行われた,
この辞令授与に先立ち,新採用の職員や院内の異動の一覧表が院内LANで廻ってきたが,見ると私のところには私が絶対にやりそうもない仕事が書いてある.
こんな話は院長からも何も聞いてなかったが,本当にこの仕事を私がするのであろうか?
普通なら大騒ぎするところかもしれないが,私は慌てない.
なぜなら,当院の事務処理の杜撰さにも慣れているからだ.多分,事務員は仕事が多すぎて手が回らないのでミスが生じるのであろう.
前回,辞令を頂いたときは,なんと辞令が間違っており,辞令授与式の後,辞令は即刻回収された.
後になり,事務員が作り直しましたと,新しいのを持ってきた.
今回は,事務から辞令を返してくれと言われないところをみると,辞令自体は間違っていないのであろう.
異動の一覧表が間違っているだけなら実害は少ない.
もっとも,事務処理にも実害のある間違いというのもあって,最近では給与に当然貰えるべき手当が長年出ていない医師がいることが発覚して大問題となった.
その昔は,事務員の採用にも問題があって,まともに計算が出来ない事務員がいて,その方が給与の計算係になったものだから大混乱をきたしたことがあるという話を古い先生から聞いたことがある.
さて,自分を振り返って,間違いを繰り返した一番の出来事は,幼稚園の頃の実験である.
おやつの時間にパンがよく出されていたが,これにマーガリンやチョコクリームを一回分を小分けにした小袋が付いてくる.
この小袋を握りしめたら,どうなるのかずっと疑問を持っていたのだが,ある日,どうしても試してみたくて我慢ができなくなった.
マーマレードだったと思う.少し握りしめたが何もおこらない.次に渾身の力をこめて握ると,袋が破けて握った手からマーマレードは飛び散り,私は全身マーマレードまみれになった.
ここでやめておけば良かったと思う.
別の日,チョコクリームが出てきた.
今度はチョコクリームではどうなるのか,試してみたくて堪らなくなったのだ.
結果は同様であった.全身チョコクリームまみれになったのである.
ここでやめておけば良かったと思う.
家からお弁当を持ってきたとき,今度はマヨネーズの袋を箸で突き刺したらどうなるのか試してみたくなったのだ.
結果は今回も同様であった.全身マヨネーズまみれになったのである.
この事件を思い出すたびに,いかに幼稚園生とはいえ,自分でも少し考えが足りない子供だったのではと思う.
大人になり,今はもう,マーマレードの袋を力いっぱい握りしめたりはしない.
しかし,同じような間違いを繰り返すのは変わっていないような気がする.
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もう夏休みは終わってしまった。
バリ島への18年ぶりの再訪だった。
車やバイクの多さには驚いた。ウブドなんか昔は舗装した道さえ無かったような気がするのに。
昔は、車やバイクではなく、情けない顔をした犬達がたくさんぶらぶらしていたのに、犬はどこに行った?
さて、今回の旅行で一番衝撃的だったのは、真偽の程は不明だが、仕事についての話である。
日本語ガイド氏によるとインドネシアの公務員はいい仕事なんだそうである。
仕事は簡単で、給料もいい。賄賂もあるし実入りがいい。
じゃ、公務員になりたかったらどうするかというと、賄賂を渡せばよいのだそうである。額は一千万ルピア。日本円で十万ほどだ。話は早い。
バリ島は八つの県に別れており、デンパサールだけは簡単な試験があるけど他は無試験だという。
いちおう大学卒の学歴は必要らしいが、無試験なら私もチャレンジしてみてもいい。十万円ならなんとかしよう。
寒いところは苦手なので、老後は常夏のバリ島で公務員というのはすてきなアイデアだ。
公務員なので定年があるのかもしれないが、年齢は20歳くらいサバをよんでもバリならノープロブレムのはずである。
(写真はバリ島ウルワツ寺院の夕日)
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小学生の頃、授業中に学校の先生に大人になったらどんな職業に就きたいか訊かれても、答えられなかった。
なりたいものが無かったからだ。
テレビでは、毎年アンケートを採って、今年は男の子にはサッカー選手やパイロットが人気があります、などと放送しているが、子供が簡単にそんなアンケートに答えられるなんて信じられないくらいだ。
実は医師になってからも、自分はどんな仕事がしたいのかずっと考えてきた。
子供の頃、あこがれていたのは、「屋台のタコ焼き屋」だ。
屋外の仕事なので夏は暑く、冬は寒いのが難点だが、客の反応がダイレクトに返ってきて、やりがいのある仕事に思える。
医師も客商売ではないかと問われる向きもあるかと思うが、実は大きな違いがある。
タコ焼き屋 の客は食べて「うまい」と思えば、また店に来る。
病院に来た患者は、初診の外来で満足すればまた再来の外来に来るのだろうが、本当に病気が治れば来ないはずである。
神経内科では、パーキンソン病や脳血管障害など多くの病気の患者が長期にわたり定期的に通院するけど、実際のところ完全にはよくならないから通院するのだ。
私が患者なら当然ではあるが、病気が完全によくなれば病院には行かない。
つまり、医師が外来患者を見続けるというのは、いくらコントロールがうまくいってるとしても、ある意味医学的には良くなってないという証拠でもある。
外来は月に一度、自分の無力さを思い知らされる場でもあるのだ。
では、なぜ私は「タコ焼き屋」 にならないのか?
反応が悪いのだ、女の子に。
医師を辞めて「タコ焼き屋」でもやろうかと思う、と女の子に話をしても理解されたことがない.
「タコ焼き屋」というのは、そんなに人気のない仕事なのであろうか。
「手伝ってあげる」と頼もしく答えてくれたのは小学生の娘だけだ。
(写真は長崎眼鏡橋のアイスクリーンの屋台)
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現代社会では、誰もが時間に縛られて生きている。生きているときだけでなく、死んでからも時間に惑わされるのが、病院だ。
当直すると、全然知らない末期の癌患者の最後を看取ることがある。
「肺癌の末期で、心肺蘇生などはしないことになっています」、とかカルテに記載があり、看護師にも申し送りがしてある。
主治医は後で来院するので、当直医は死亡確認だけしてください、などと看護師から電話を貰い病棟に行くと、個室がぎっしりと患者の家族で埋まっている。
モニターでは、今にも心臓が止まりそうなのが、素人目にも判るほどだ。
あとは、心臓が止まり、死亡時間を宣告すれば当直医の仕事とすれば終わりのはずだが、この死亡時間がくせものだ。
医療関係者なら、死亡時間が数分違おうが、そんなものに何の意味も無いことは判っている。しかし、一般市民にとって死亡時間というのは、大きな意味を持つらしい。
患者が亡くなり、「ご愁傷様です、○時○分でした」というと部屋にいる家族が皆、いっせいに自分の腕時計を見る。
腕時計を持っていない物は、病室の壁時計を見る、床頭台の目覚まし時計を見る、モニターの時間表示を見る、廊下の時計を見る。
そして、病院中の時計の時間表示が全部違うのに気づく。
死亡時間を家族に宣告した後、家族が公衆電話から遠方の親戚に電話しているのを聞いたことがある。
「先生は○時○分に死亡て言ったけど、私の時計では、×分だった。私の時間の方が正しい」 。
医療は、サービス業である。患者の家族が正確な時間を望むなら、それに何の意味もないと思っても答えてあげなければならない。
私は電波腕時計を買った。
(写真は出石の時計台、時計は向こう側かな)
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不随意運動を表現するのに、アテトーゼとかジストニアとか神経内科医に言われたうえに、ジストニアは運動ではなくて姿勢の異常だからと訳の分からない説明をされて、神経内科医を殴ってやろうかと思った医師は少なくないだろう。
不随意運動の名前なんか聞きたくない医師がほとんどだ。
しかし、名前をつけることで、そのものがより明確に、イメージできるようになることがあるのも事実だ。
私が、某国立大学教育学部附属の小学校の低学年だったとき、図画を教えてくれたのは確かS先生だった。
小太りで、少し色のついたメガネをかけ、頭にパンチパーマをあてた先生の風貌はテレビでみるヤクザに似ていた。
でも普段の言葉はやさしくて、生徒を呼ぶのには「○○ちゃん」と猫撫で声で話しかけ、おしりをフリフリ内股で歩き、いつも白いレースのハンカチを持ち「オホホ」と笑った。
しかし、怒ると無茶苦茶に怖かった。白いレースのハンカチを噛み「キーッ」と言ったかと思うと「てめえら、どうなってもいいんだな」と小学生に向かって凄んでみせた。
僕らは、あの先生は変だ、と思っていた。でも、そのころの小学生は、どう変なのか、それを何と表現すればよいのかを知らなかった。
学習を重ね、数々の試験をクリアしてきた今は、的確に表現できる。
「おかまは怒ると怖い」
(上の写真は、国立新美術館。「新」て、安易なネーミング。新ジストニアとか新ミオクローヌスとか、あってもいいかも)
(下の写真は国立新美術館内のオブジェ,新落花生?)
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札幌医科大付属病院が医師の時間外や休日手当の支払いを予算の範囲内に制限することを明記した文書を作成し、各診療科に配布していたことが分かった。
労働基準法は勤務実態に合った支払いをするよう定めている。という記事がm3.comに出ていた。
いまや、ありふれた記事となった労基法違反だが、残業手当を、みなさんきちんと頂いたことがどれだけあるのでしょうか。
卒業して、大学病院に一年いて、 ××県立病院に行くと、残業手当は、月に○○時間までと決まっています、それ以上は書類に書かないように。と事務から言われた。
□□県立中央病院では残業手当に制限は無かったが、次に○○大学病院に戻り助手(文部教官だ)となり数年過ごしたが、残業手当というものの存在を知らされなかったため、一度も貰ったことがない。
次の国立病院(厚生技官だ今度は)は、一年間の病院全体での残業手当代が予算として決まっており(札幌医科大学と同じかな)、書類に残業時間は書いても、予算の範囲内に収めるために事務が書類を書き直し、毎日死ぬほど働いても雀の涙の残業代しか出なかった。
多くの病院では、労基法を無視していると思われるので、皆様も同様の経験があるのではないでしょうか。
医師は、地方公務員でも、 文部科学省と厚生労働省での国家公務員であっても労働基準法は無視され続けていたわけだ。
記事を見ても何を今更、という気もするが、本当は声をあげなかった我々が間違っていたのだろう。
労働基準局は、労働者の立場には立たない。
それで、助かったこともある。○○大学病院での当科の研修医が、仕事のために指導医の指示で、本当に全く家に帰してもらえない日が続いていた。
そこで怒った研修医の母親が労働基準局に訴えたのだ。しかし、もちろん何のおとがめも無かった。
そもそも労働基準局が、労基法など気にしていないのだろう。
(写真は ××県立病院と××市民病院が合併して新設された××医療センター.昔はボロい建物だったのに)
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救急できた患者が、いろいろな症状を持っていると、それぞれの専門科の医師が集まるのが、大きな病院の長所ではある。
しかし、どの科の医師も疲れすぎてどうしようもない、できれば自分の専門科にあまり関係なさそうな症例は遠慮したい、というときはある。
以前の病院で、高齢の女性が、救急車で運ばれてきたとき。患者は、少量吐血もあり 、血圧も少し低下、意識レベルも少し低下しているが、状態が悪いことを説明できるほどの原因が、さまざまな検査をしても判然としなかった。
当直医は、消化器科医に診察を依頼するが、吐血はたいしたことない、と言われる。循環器科医も循環器科的には、特に問題ないと、やりすごす。
神経内科の私も呼ばれたが、神経系は直接の障害は無く、意識障害は二次的なものだろう、これを神経内科で診るのは勘弁してほしいと思ってしまった。
道筋をつけるのは総合内科がよいのではと思うが、総合内科医は、すでに疲労困憊しており、入院を取りますなどとは言いそうもない。
結局、この症例の入院を引き受けたのは呼吸器科だった。少し、呼吸状態も悪かったのかもしれないが、誰も呼吸器が原因とは思わなかったはずだ。
口には出さなかったけど、呼吸器科はえらいな、と皆が思ったであろう。
後日、呼吸器科から神経内科に転科を打診された患者がいた。
他院に脳出血で入院後肺炎を生じて悪化し、当院呼吸器科に転院。重症肺炎で呼吸器がつき、離脱できない。
肺炎もよくならないのだが、患者 が肺炎をきたした原因が脳出血なので神経内科で診てくれないだろうか、という申し出だった。
呼吸器科も、やはり疲れてるようだった。
(写真は淡路島の「奇跡の星の植物館」.奇跡の星に奇跡の医療はあるのか?)
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今でこそ、「のんびり、まったり、気が向くままに」などと言ってるが、以前は急性期病院の神経内科で脳血管障害を中心に診療した時期があり、その頃は忙しすぎて心も体もぼろぼろという感じであった。
毎晩のように病院からは呼び出され、家に帰ってもCCU(そのころはSCUが無かったのでCCUに重症の脳疾患患者も入れていた。)の看護師は、尿崩症になった患者のin outを、親切にも電話で一時間毎に朝まで報告してくる(まあ、指示を書いていても、一時間で1000mlも出たりすると電話したくなるのであろう)。
この頃、想い出したのが子供の頃読んだ、オスカー・ワイルドの「幸福な王子」 だ。町の中心部にそびえ立つ金箔の王子像が、ツバメに頼んで、苦労や悲しみの中にある人々のために、自分の体を覆っている金箔を分け与えていくという物語だ。
自分の医療行為は、少しは世間の役にたったのかもしれないが、わずかな金箔はどんどんはがれていき、そのうちに、ただ命を削って自分の生活費を稼いでいるだけのような気がしてきた。
現在の日本の医療は自己犠牲の精神に溢れる「幸福な王子」達によって支えられているように思われる。
みすぼらしい姿になった王子の像は取り外されて溶鉱炉で溶かされ、死んだツバメと一緒にゴミ溜めに捨てられた。
神に命じられた天使は、王子の鉛の心臓と死んだツバメを天国に持ち帰り、王子とツバメは永遠に幸福となったという。
さて、今の日本では誰が「王子の鉛の心臓」を拾ってくれるのであろうか。
日本では、やはり大江戸捜査網の「隠密同心 心得の条 我が命我が物と思わず 武門の儀、あくまで陰にて 己の器量伏し、ご下命いかにても果すべし なお 死して屍拾う者なし」なのかな。
(写真は金沢21世紀美術館の屋上にある「雲を測る男」)
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1999年11月末に米科学アカデミー医学研究所が医療過誤について発表した「To Err is Human」と題する報告書がある。
この中では、病院入院中に医療者の誤りが原因となって死ぬ確率のほうが、交通事故や、乳癌で死ぬ確率よりも高いと発表しており、医療者も人間である以上誤りをおこすことは避け得ないが、過誤を防止することは可能だと述べているそうだ(読んだことないので)。
さて、私もエンボスの押し間違いとかで、別の患者に処方箋を出したりとインシデント連発、 「To Err is Human」を実践している身である。
医療の場合は、過誤を防止する、ことが求められるが、医療以外の場では過誤に対してどのように対処されているだろうか。
以前、他の場にも少し書いたことがあるのだが、△△市にある中華料理屋は、毎日客の注文を間違えていた。
麻婆定食を頼んだ客に、酢豚定食を出す。毎日なので客も怒らない、主人もあやまらない。
じゃあ、間違って作った料理はどうするのかというと、定価より安く売るのだ。
「酢豚定食500円でどうだ」、と主人が叫ぶと、他の客が「買った」と叫んで売買成立。誰もインシデント・レポートとか書かないし、たぶんカンファレンスとかもしてないが、店は繁盛していた。
主人は、客が注文する物より、作りたい何かがきっとあるのだろう、反省した表情は全くなく、その顔は晴れ晴れとしていた。
これを見てから、私は間違えることが怖くなくなった。間違えたあと、どう対処するかが大事だと中華料理屋から学んだからである。
もちろん医療では過誤の防止こそ重要であるが、残念ながら、この店は毎日注文を間違えるため、過誤の防止については学べなかった。

(注文を気にしない中華料理店のある街)
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