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(写真は、後ろ向きにコインを投げ入れると願いがかなうトレビの泉。コイン1枚だと再びローマに来ることができ、2枚では大切な人と永遠に一緒にいることができるというのは聞いていたが、なんと3枚になると恋人や夫・妻と別れることができるらしい。結婚も離婚も思うがままだな。ここで私が何枚コインを投げ入れたのか、子供は気になるらしい。)
普通の若い女性にとって、結婚は一番の関心事であるように見受けられる。
また若い男性にとっても、面倒だと思っていても避けて通れない話題ではある。
結婚に対しては、いろいろな考え方があるだろうが、医師として忘れられないのが、結婚で病気が治った症例だ。
もう10年以上前のこと、大学病院の神経内科に勤務していたとき、他の内科からコンサルトの依頼がきた。
20代前半の女性の入院患者である。
最初は、嘔吐かなんかで始まり、消化器内科に入院した。
内視鏡検査をしても、腹部CTをとっても異常はない。
そのうち、「ものが二重に見える」とか、「手に力が入らない」とか言い出したため、
重症筋無力症などの神経内科的疾患があるかどうか診てほしいという依頼だった。
ざっと診察したところ、特に異常があるようには思えなかった。
確かに上肢の筋力が少し低下しているかもしれないが、力を出しきっていないようにみえる。
目もぱっちりして可愛い顔をしており、もちろん眼瞼下垂もない。
つまり鑑別診断で最初にくるのは、心因性の疾患だ。
理由は知らないが、たぶん彼女は病気になる必要があったのだろう。
存在しない神経疾患をみつけることは最も困難なことのひとつであり、少し憂鬱になった。
本当の神経障害と心因性の偽の神経障害を見分ける方法については、教科書や論文にはいくつか方法が出ているが、明らかな違いを示さないケースも多い。
そのうえ患者は医療関係者だったため、何度か診察していると学習したのかBarré徴候までやってみせるようになった。
仕方ないので、筋電図やテンシロンテスト、磁気刺激も検査するが、こんなにきれいな結果は見たことが無いほど正常である。
ついでにSSEPやABRも検査したが正常例として教科書に載せたいくらい美しい。
画像診断だって頭部から脊髄までMRIを撮るがもちろん全く異常は認められない。
検査をやって判ったのは、若いって素晴らしいなということだけだ。
しかし、そのうちに足のほうも力が入りにくい、歩きにくいと訴えだした。
「どの検査も異常がないですね」と説明しても、状態は徐々に悪化していく。
困った消化器内科の先生からは、どうなっているのでしょうかと説明を求められる。
心因性の麻痺は精神科で診て貰うのがいいんじゃないかとも思うが、実際は精神科でも変わった治療をするわけではない。
診断名としては心因性とつけても、はっきりした心因が判らないというより無いことも多い。
そのため精神科に紹介しても、状態は変わらず、精神療法で何か変わるわけではなく、安定剤や抗うつ薬が効くのも見たことが無い。
治療というより、時間が病気を取り除いていくのを待つという感じのことが多い。
何かをきっかけとしてか、患者は病気であることをやめる。
残念ながら症状は悪化したが、検査に異常もなく身体的には問題が無いはずなので、とりあえず退院となった。
外来通院で神経内科を受診してもらうが、相変わらず手足に力が入らないと訴える。
しかも、その脱力は徐々に悪化しているようだ。
患者も大変だろうが、それを診る医師の憂鬱さも徐々に悪化していく。
ところが、ある日の外来で、彼女は筋力が回復してきたと言い出した。
なぜかは判らないが、いい徴候なのでこのまま経過を見ることにする。
外来受診のたびに筋力は回復して、そのうち症状はすっかり無くなった。
「私、結婚するんです」、何度目の外来だっただろうか、その言葉を聞いたのは。
ともかく、彼女は病気である必要は無くなったのだ。
私は、何も心配することは無いことを説明して通院は終了した。
結婚相手の彼は、私は会ったことはなく何科なのかも知らないが、医師だという。
とりあえず、彼はひとりの患者を治してくれた。
この症例を経験することで、「結婚」が、重大な問題であることも再認識した。
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もうすぐ、9月の連休だ。世間ではシルバー・ウィークとか呼ぶようだ。旅行の計画を立てて楽しみにしている家庭も多いことと存じます。
さて、世の中の父親の皆様は、どうやって旅行先を決めていらっしゃるのでしょうか?
あなたは、自分の決めた旅行先に満足していますか?
別に、この連休にイタリアやトルコに行きたいわけではないでしょう。でも 、本当は家族の希望とは別のところに行きたいのではないですか?
私は、家族旅行のときに、目的地のそばにある自分の行きたいところを、こっそり混ぜるのですが、すごく不評です。
「なんで、こんなつまらんとこへ来たん?」と子供に非難されます。
でも、長年医療という生死のドラマを見続けている我々が、小学生の子供と同じものが見たいわけがないではありませんか。
専修念仏を主張した法然を巡る旅がしたいと提案したときは、妻に「つまんない」と一言で却下されました。
いかに日本の仏教に法然が与えたインパクトが大きかったかを説明しても無駄というものです。
従って、私達は、この9月の連休は、いつものように、よくある観光地でおいしいものを食べて、温泉に入って帰ることになるでしょう。それが、家庭の幸福というものです。
でも、世の中の父親の皆様、本当にそれでいいんですか?
「家庭の幸福は諸悪の根源」と太宰治も言ってるでしょ。
(写真は平泉の武蔵坊弁慶の墓。小さな丸い石が墓標)
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小学生の頃、授業中に学校の先生に大人になったらどんな職業に就きたいか訊かれても、答えられなかった。
なりたいものが無かったからだ。
テレビでは、毎年アンケートを採って、今年は男の子にはサッカー選手やパイロットが人気があります、などと放送しているが、子供が簡単にそんなアンケートに答えられるなんて信じられないくらいだ。
実は医師になってからも、自分はどんな仕事がしたいのかずっと考えてきた。
子供の頃、あこがれていたのは、「屋台のタコ焼き屋」だ。
屋外の仕事なので夏は暑く、冬は寒いのが難点だが、客の反応がダイレクトに返ってきて、やりがいのある仕事に思える。
医師も客商売ではないかと問われる向きもあるかと思うが、実は大きな違いがある。
タコ焼き屋 の客は食べて「うまい」と思えば、また店に来る。
病院に来た患者は、初診の外来で満足すればまた再来の外来に来るのだろうが、本当に病気が治れば来ないはずである。
神経内科では、パーキンソン病や脳血管障害など多くの病気の患者が長期にわたり定期的に通院するけど、実際のところ完全にはよくならないから通院するのだ。
私が患者なら当然ではあるが、病気が完全によくなれば病院には行かない。
つまり、医師が外来患者を見続けるというのは、いくらコントロールがうまくいってるとしても、ある意味医学的には良くなってないという証拠でもある。
外来は月に一度、自分の無力さを思い知らされる場でもあるのだ。
では、なぜ私は「タコ焼き屋」 にならないのか?
反応が悪いのだ、女の子に。
医師を辞めて「タコ焼き屋」でもやろうかと思う、と女の子に話をしても理解されたことがない.
「タコ焼き屋」というのは、そんなに人気のない仕事なのであろうか。
「手伝ってあげる」と頼もしく答えてくれたのは小学生の娘だけだ。
(写真は長崎眼鏡橋のアイスクリーンの屋台)
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いつか、新聞を読んでいると経済的に自立した女性は、結婚に対してもリスクがとれる、という意見が載っていた。
どういうことかというと、収入が無い女性は安定した稼ぎのある男性を結婚相手として捜さないといけない。
しかし、自分が働いて、ある程度の収入があれば、結婚相手の男性は無職であってもかまわず、選択範囲が広がるという論理だ。
自分のまわりの看護師さんが、つきあっている男性が、個人的な感想ではあるが、社会通念的には問題のある男性も多いように感じていた。
簡単に言えば、20代後半で無職とか、仕事を短期間で辞めるのを繰り返したりする男達である。もちろん恋愛は経済問題ではないのだから、そういう男がだめとは言わない。
ある看護師さんの彼は、20代後半で無職であり、職業訓練校の試験を先日受けたそうだ。
試験問題に、簡単なかけ算が出たが、彼は難しい問題と思い、とばして次の問題に進んだ。合否はまだ判明してないが、その報告を受けて、さすがの看護師さんも、力が抜けたようだった。
今後の展開としては、看護師は経済的に自立しており、結婚に対してもリスクがとれるという実例になるのかもしれない。
医療界の今後が不透明な中、私もいつ無職になるかもしれず、私を養ってくれるようなリスクがとれる女性が増えることを切望している。
(写真はバリ島のコンラッドホテルの教会)
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小さい頃から妻の母が面倒をよくみてくれているので、うちの子供達は、おばあちゃんが大好きだ。
おばあちゃんも孫と遊べて、とても楽しそうである。
私自身は祖母とは、距離的にも非常に離れていたため、何年かに一度しか会わなかったので、これといった思い出はあまりない。
子供をみていると、おばあちゃんの影響だろうな、と思うときがままある。
これは、絶対そうだろうな、と思ったのは上の男の子が小学校四年生のときに学校で書かされた、将来の目標 。
うちの子が書いたのは「長生き」 。普通、小学生は目標にはしないだろう。おばあちゃんの口癖なのかな。
(写真はハワイのシーライフパーク。この後、飼育員が全部の亀の甲羅を洗っていた。亀の甲より、年の功)
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餃子が好きで、このようなタイトルにしたのではない。人生は、なかなか思ったようにはならないものだ、という意味で餃子は大きな教訓となるのである。
私の家族は、私を除いて餃子が好きであった。
子供の頃、夕食に餃子はどうかと、母が皆に尋ねるときには、私は常に反対した。しかし、尋ねる母も餃子好きなので結果は明らかであった。私は、家にいる間、ずっと敗北を続けた。
大学に入り、一人暮らしをすることで、餃子を食べずに済むようになったが、好きでもない餃子を食べ続けなければならなかった理不尽さはいつまでも記憶に残った。
そのため結婚を考えるとき、私の考えたあるべき家庭の条件とは餃子を食べなくても済む家庭、という非常にゆるいと思われる条件のみであり、伴侶選びには苦労をしないと考えられた。
ある女性と交際し、何度も中華料理を一緒に食べ、旅行も何回もした。その間、彼女は餃子を注文することは一度もなく、私は安心した。
結婚して、しばらくたち、彼女が無類の餃子好きであることを知った。
餃子好き達は、なぜか皆、私が餃子が嫌いだというと、おいしい餃子があるからと言って食べさせてくれる。
嫌いだと言うのに、家に招き手作りの餃子を食べさせてくれた先生もいる。私も、妻にいろいろと食べさせられてきたが、宗旨替えを決意するような餃子には出会わず、私はいまだに焼売党である。
餃子によって、私は、たったひとつの、非常にゆるい条件でさえ全うできない人間であることを知った。
結婚生活が、幸福であるとか不幸であるとかいう問題ではない。人生は、思ったようにはならない、ということを知ったのである。
(写真は宇都宮みんみんの餃子。学会で宇都宮に行ったときには、毎日いろんな店の餃子食べたけどね。)
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