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「駆けてきて ふいにとまれば われをこえてゆく 風たちの 時を呼ぶこえ」
寺山修司の告別式のあいさつ状に、葬儀委員長の谷川俊太郎が選んだのが、寺山のこの歌である。
中学、高校と学校では仕方なく、多くの短歌を習わされてきたが、素敵だと思ったのは、寺山修司くらいのものだ。
青森に生まれた寺山は、若くからネフローゼを患い入院生活を繰り返したが、「チエホフ祭」 で、その短歌が注目され、後には演劇・映画・エッセイと多方面に活躍した。
ネフローゼの治療に使用した血液製剤から肝炎に感染したのか、肝硬変に苦しみ、最後は腹膜炎による敗血症で1983年5月に47歳の若さで亡くなった。
もっとも、彼の言葉に従えば
「ぼくは不完全な死体として生まれ
何十年かかゝって
完全な死体となる」
ということになるが。
いつの間にか、何かを為すこともなく寺山よりも自分が歳をとってしまったことに気づき愕然としてしまう。
私は 「起こらなかったことも 歴史の裡である」
などの寺山の生み出す言葉の力に感動して、中学生の頃から寺山のファンであった。
ファンとしては、彼が生まれ育った青森県を一度はみるべきであると思っていた。
だが、青森では神経内科の大きな学会などは開かれないため、残念ながら今まで訪れる機会がなかった。
しかし、現代美術作家の奈良美智も青森出身であることを知り、これはもう行くしかないと、4月に盛岡まで行ったついでに青森県立美術館に出撃した。
上の写真は、青森県立美術に鎮座する奈良美智の「あおもり犬」。
犬を見に行くのに、一度館内を登ってからいったん外に抜け出て、非常階段みたいなところを駆け降りてたどり着く。バリアフリーに逆行するような展示である。
で、青森はどうだったかといえば、青森県立美術でさえ内容が豊富すぎて一度行ったくらいでは消化しきれていない。
青森県恐るべし。
再度の挑戦を誓って、帰宅したのである。
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上の写真は、少し前の科学少年なら、その名を聞いたことがあるはずのペンシルロケットである。
ペンシルロケットは、日本初の実験用ロケットであり、東京大学生産技術研究所において開発が進められて、1955年に糸川英夫博士により初めての飛行実験がなされている。
さて、1970年代に中学生となった私は、化学部に入っていた。
何をする部かというと、好きな実験を好きなようにするという部であり、現在の病院業務のように何かするたびに倫理規定がどうのこうのとかいうことは無くて、全く自由な部活動だった。
とはいえ、中学校の文化祭では何か出し物を求められた。
その秋は、例年どおり花火を作ることになっていた。
中学生の実験なので、打ち上げ花火ではなく、鉄のパイプを使った噴出花火(筒から火花を噴水のように吹き上げるもの)である。
理科室にある薬剤を入れると、様々な色の花火ができるが、何か物足りない。
もう少し、大きな物、派手なものが作りたいと欲が出てくる。
そのころ読んだのが、ペンシルロケットの組成である。
「ああ、これなら理科室にある」
私は、迷わずペンシルロケットの組成を参考にして、新しい花火を作り上げた。
屋上で、他の部員とともに実験に臨んだ。
薬物を詰め込んだ鉄パイプを屋上に置き、火をつける。
シュバシュバと音をたてて、鉄パイプの先から火花が吹き出す。
で、終わりだった。
火花が巨大になることもなく、色も単純で全くおもしろみのない花火だった。
見学していた部員が、「なーんだ」という感じで鉄パイプを足で横に倒した。
とたんにすさまじい爆発音が炸裂し、私は倒れた。
「びっくりしたなあ」 と思って、つぎに立ち上がろうとしたのに、なぜか立てない。
自分の右足から血が出ているようだが、痛いのか痛くないのかよく判らないし、なぜ血が出ているのかも判らなかった。
爆発により、花火の筒に使った鉄パイプが飛んで右足に当たり、右足の腓骨を骨折していたのだ。
しかし、あまりに一瞬のことだったので、怪我をした当人にも何が起こったのか理解できなかった。
この日、生まれて初めて救急車に乗り、初めての手術を経験し、初めての入院生活を送ることとなった。
このように、ペンシルロケットには忘れられない思い出がある。
まあ、ロケットを参考にして作ったのだから、花火ではなくロケットができたのは、当たり前だったのかもしれない。
ロケットを作ってしまった私だが、実物のペンシルロケットは見たことが無かった。
しかし、ある日、子供を地方の科学館に連れて行くと、たまたま展示されていた。
それが、上の写真である。
もう一枚、ペンシルロケットの横に立って、にっこり笑った写真も撮って貰った。
でも、その写真を見ても糸川英夫博士は、なぜ私が笑っているかは、判ることはないであろう。
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夜中に腹痛が出現した。今までに、経験したことがないような痛みである。ただごとではなさそうだ。
勤務先の病院は遠いので、そこまでの移動は体がもちそうにない。
疲れた当直医には申し訳ないが、朝5時すぎに近くの基幹病院の救急を受診した。
前日に水様性の下痢もあったため、診察医には診察のみで腸炎だと診断されたが、あまりに痛いので、自分も医師であることを伝えて、 採血とCTをお願いした。
検査結果が出るまで、点滴室という部屋で維持輸液を受けていたときに、目についたのが上の写真。
赤い非常電源につながれた電気蚊取りである。
なぜ、これが気になるかといえば、勤務先で個室に入って呼吸器がついている患者の電気系統の異常を経験したことがあるからだ。
その原因は患者の持ち込みのラジオだった。
ラジオの電源を非常電源からとっており、ラジオが水に濡れてショートしたのだ。
たぶん患者にとっては、呼吸器と同じくらい生命維持のために必要なラジオだったので非常電源につながれていたに違いない。
ただ、もう勤務先ではラジオは非常電源につながれてはいないはずである。
今日は仕事を休んだので、勤務先で電気蚊取りをつないでないかどうかは、明日行って確かめてみるしかない。
なお、腹痛の原因は尿管結石であることが後に判った。
一晩当直をして明け方にバイタルサインに問題のなさそうな患者を診るのはつらいものである。
非典型的な症状の場合は、やはり検査を詳しくするしかないが、自分が当直のときを考えても、そこまでする元気がなかなか出ないのが実情である。
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