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NHKの大河ドラマの影響は強力であり、高知はまたもや坂本龍馬が大ブームとなって、5月のゴールデンウイークはホテルをとるのも一苦労であった。
その、高知に着いて、最初に見に行った観光地は沢田マンション。
上の写真が沢田マンション全景であるが、屋上に赤いクレーンが載っているなど、少し不審な点はあるにせよ遠目には普通のマンションである。
なぜ、沢田マンションが、観光スポットとなり得るのかというと、これが素人が独力独学で建てた鉄筋コンクリート造の建築物であるからだ。
Wikipediaによれば、沢田マンションは、高知県高知市に建設された、集合住宅である。鉄筋コンクリート住宅を専門職として手掛けたことのない者が、夫婦二人で造りあげた、手作りのマンション。
現況は、鉄骨鉄筋コンクリート構造、敷地550坪地下1階地上5階建て(一部6階)、入居戸数約70世帯、約100人居住となかなか立派な規模である。
1971年、沢田嘉農が44歳の時、高知市薊野(あぞうの)に土地を買い求め、マンションの建設に取り掛かる。
素人がマンションを造るにあたり、建築確認は取らないままであり、役所の対応も「強度に文句は言わないが、手数料の用意が出来たら許可は取ってくれ」という程度の、非常に大らかなものだったという。
その後増築を重ね、2002年に6階部分にペントハウス様のリビングを備えて、今の形になったそうだ。
マンション内に入ると、入り組んだ階段、部屋の中が丸見えの通路、継ぎ足しを隠そうともしない工事のあと、などであふれており、手作り感が満杯である。
屋上には、赤い巨大なクレーンが鎮座するだけでなく、鶏小屋や畑もある。5階にはウサギ小屋もあるが、これはペットなのであろうか?
高知には20年ほど前に、二年ほど住んだことがあり、日本とは異質の世界であるとは思っていた。
しかし、このあたりは街はずれの、田んぼ以外何も無いところであり、このような巨大なモニュメントが建設途中であることなど全く知るよしもなかった。
今では、独力建築の巨人として沢田は雑誌やテレビで紹介されて有名になり、私のように他県からの見学者も多いようである(ガイドがついた見学ツアーみたいなグループもいた)。

上の写真は、普通の畑に見えるかもしれないが、沢田マンションの屋上である。反対の方向を向けば、ヤマダ電機が間近に見える。
高知には、坂本龍馬だけでなく、沢田嘉農のように日本の枠には、はまりきらない巨人がごろごろといるのだと思われる。
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(軍艦島の総合事務所跡、廃墟写真の典型として雑誌やテレビなどでおなじみ)
先日、長崎大学に会議で行ったときのことである。
長崎の観光といえば、今の旬は軍艦島だ。
さて、会議が終了して、軍艦島上陸ツアーの船会社に電話すると、ちょうどキャンセルが出ましたということで、慌ててタクシーに乗り込み長崎港に向かった。
軍艦島は炭坑跡のまるごと廃墟の島である。昭和30年代を経て石炭から石油へのエネルギー革命が起こったことで、炭坑はその存在意義が薄れ、昭和49年には閉山となり、島から住民はすべて立ち去った。
あとには、大正5年に日本初のコンクリート造りとして建てられた高層アパートや工場、学校がそのまま残され、朽ち果てるままであったのが、近年では産業遺産として観光の目玉となってきたのだ。
最近までは、船から島を眺めるだけの観光だったのが、やっと上陸ツアーが許可されるようになったため人気がさらに出てきた。
長崎港から船で一時間ほどで小さな島が見えてきた。

コンクリートで覆われた人工物の塊みたいな島だ。
廃墟もこれだけ大きいと迫力がある。しかし、船に乗ったときから気になることがあった。
乗客に変な格好をした客が二人ほどいるのだ。

上の写真を見てお判りであろうか?神主と巫女が乗船していたのだ。
彼らは他の客より先に降りると、日本酒の一升瓶を持ったおじさんとともに、あちこちのポイントで何かをしている。
おじさんは、日本酒をふりまき、巫女は紅白のまんじゅうを廃墟に投げ込み、神主はなにか「ごにょごにょ」と念じているようである。
軍艦島には墓はない。そこで亡くなった人は、全て他の島に運ばれて火葬された。しかし、炭坑であるからには、事故は頻回に生じたことであろう。その怨念はまだ残っているのであろうか。
軍艦島自体は、ガイドブックに載っていた写真と同じであったが、巫女と神主付きのツアーというのは、初めての経験であった。
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入院患者が重症である場合は、普通の温度板にバイタルサインを記入するのではなく、重症記録(病院によって名称はことなるだろうが)に患者の二時間毎とかの血圧や心拍数、SpO2などが記録されることが普通であろう。
さて、この重症記録にはNsにより、患者の輸液量や尿量のinとoutが数時間毎に計算して記録してあるが、どうもこれに間違いが多い気がする。
ざっと眺めるだけなので、100や200mlの違いは判らないが、どうみても500mlくらい違うのではないかと思うときが、ままある。
別にどこの病棟が間違いが多いとかいうこともなく、今までの経験では、大学病院でも基幹病院でも、つまりどこの病院でもまんべんなく間違いはある(もちろんICUとかはあまり無いようだが)。
単純な足し算だが、業務量が多すぎてそこまで手がまわらないのであろうか。
これで思い出すのは、大学生の時にしていたバイトだ。
大学時代は、映画研究部に入っていた。
映画館を借りて、年に2回映研で自主上映を行うために、その映画館の土曜日のオールナイトの間は、切符のもぎりを兼ねた売店の売り子を映研のメンバーで受け持つことが、先輩からの慣習となっていた。
土曜の夜は、バイトに入る前に、映画館の従業員から、おつり用の小銭を貰い、売店の中に陣取る。
売るのはパンフレットやお菓子類であり、高いものは無く、まあ気楽なバイトだ。バイト代は安いが、何人かでやれば、ただで映画も見れる。
映画が終われば、売り上げの確認である。
100円、200円のものを売り、おつりを出すだけの単純作業である。レジスターなどは無いが筆算で十分な仕事量である。でも、なぜか売った品物と残った現金が合わない。多くは数百円程度の違いであるが、ぴたっと合うことがない。
結局。在学中に、金額が合ったことはただの一度も無かった。これは、部長である私だけでなく、他の部員がバイトをしたときも常に合わなかったのである。
いくらなんでも国立大学の医学部の学生が、揃いも揃って足し算引き算ができないことはありえないはずであるが、とにかく合わないのである。
以後、スーパーのレジ打ちのおばさんを尊敬するようになった。きっと、彼女らはものすごい金額を売り上げながら、間違いなどはありえないのであろう。
映画館でのバイトで判ったことはもう一つある。ヤクザ映画はヤクザが見に来る、ということだ。
平和な映画館だったが、ヤクザ映画を上映した土曜の夜の客層は普通の週とは全く違い、服装や言葉が特殊な方々が集まったのである。
当然、バイトの我々もびびりまくり、売店の売り上げも大きかったのだが、決算での合わない金額も最高値をたたき出したのである。
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