| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
| 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
| 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
| 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
| 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
「ルビコン川を渡る」という言葉は非常に重大な決定や行動をすることの例えとして,現在でもよく使われている.
共和制末期の古代ローマにおいて,ルビコン川は本国である「イタリア」と属州ガリア・キサルピナの境界線の役割を果たしていた.
軍団が武装を解かずにこの川を越え南下することは法により禁じられており,その南下行為はすなわち共和国に対する反逆とみなされていた.
しかし,ローマ共和国元老院と反目したカエサルは,自派の護民官がローマを追われたことを名目に、軍を率いてルビコン川を越え,ローマに向かおうとした.
そして,紀元前49年1月10日,カエサルは第13軍団と共にルビコン川を渡った.川を渡れば,カエサルのみならず兵士も反乱者として扱われるというのに.
カエサルのローマ進軍により,ローマ共和国は,カエサル対ポンペイウスおよび元老院派との内戦に突入することとなる.
また,川を渡る際にカエサルが「賽は投げられた」と檄を飛ばしたことでも有名である.今では誰もがカエサルのことなどは意識せずに,普通に使われる語句となっているが.
さて,このように世界的に有名なルビコン川だが,子供の頃ガリア戦記を読みふけっていた私はどんな大河なのであろうか,と想像していた.
しかし,実際は水の流れている川幅が3-4mほどしかない,小川に毛が生えたような川であり,その歴史的な存在感と川の大きさの間にはかなりのギャップがある.
このくらいの川なら気がつかないうちに渡ってしまいそうである.境界線でもなければ,こんな小さな川の前で渡ろうか,渡るまいか悩むこともないだろう.
日本にも,小さな川が境界線となっている場所がある.今の岡山県南部にある備前の国と備中の国は,吉備の中山を流れる細谷川によって分けられていた.
古今集にも,「まかね吹く吉備の中山、帯にせる細谷川の音のさやけさ」と歌われるほどの細谷川だが,国境を示す川にしてはひどく小さな川である.
もちろん.ルビコン川より小さい.現在,水の流れている幅は大きめに見積もって20cmくらいであろうか.水が流れていない乾いた部分を入れても1.5mくらいである.
昭和になって,石碑も建てられ,備前の国と備中の国を渡す橋には,両国橋と名前もつけられたが,こんな小さな川の前では,たとえカエサルでも悩みはすまい.

(この道路にかかる小さな橋が両国橋,下を流れるのが細谷川.左に石碑)

(ワシントンのリンカーン像)
少し前の地元の新聞に,高校の先輩が,現在の三権の長のうち二つを占めているという記事が載っていた.
ウィキペディアによると三権の長とは、権力分立の原則に基づいて統治機構を構築している国家のうち,いわゆる三権分立の形態をとるものにおいて、それぞれ三権(立法権,行政権,司法権)を司る機関の長を指す,とある.
中学生の時に習った様な気はするが,もう遠い記憶である.
立法権は国会に属するが,国会は衆議院と参議院から成る二院制を採用しており、どちらかの院が立法を代表するとされていないため,立法権の長のみ2人存在するとあるが,なんだか出来の悪いクイズの問題みたいだ.
田舎のありふれた高校で,立法権の片方と司法権の二権の長を出すというのは珍しい.そう思って,立法権の片方の先輩が書いた同窓会会報を読むとなんと,
「私が○○高校に入学したのは,昭和32年ですから,半世紀も前のことです.前身の旧制中学時代を合わせると,三権の長をすべてわれらが先輩で占めており,まことに鼻息の荒い時代でした.首相が××さん,衆議院議長が△△さん,最高裁長官が□□さんというわけです.これを当時の校長先生が誇りにし,あるとき××首相を学校に呼び,全校生徒を講堂に集めて話を聞かせました.」
とある.
なんと,三権の長を片田舎の学校から全部出していた時代があるというのだ.しかし,こんなことを在学中に一度も聞いたことは無かった.
さて,ここで大事なのは国家権力の三権の長を出したからといっても,田舎が発展したり利益誘導を受けることはどうも無いようだ,という厳然たる事実である.それは,この街の現状をみれば,よく判る.
政治家の中には,地元の道路を広げたり,橋を造ったりするものも多いようだが,議長になるような先生は清廉潔白なのか,そういう俗っぽいこととは無縁なようである.最高裁の長官を出したからと言って,交通違反を見逃してくれるようになるわけでもない.
実のところ,新聞・テレビ等の報道を見る限り,現在の日本では三権は分立しておらず,少なくとも行政権と立法権は東北地方のどこかに偏在しているように思われる.従って,三権の長を二人出しても,三人出しても何も変わらないのは当たり前なのかもしれない.

(今は無き,倉敷チボリ公園のクリスマスツリー)
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

(我が家のクリスマスツリー)
今をさること十数年前,米国に留学して何が変わったか?
ものの考え方とか少しは変わったかもしれないが,これは他人には判りにくい.留学して,誰が見ても変わったと判るのは,我が家のクリスマスツリーだ.
留学先に妙にクリスマスツリーに詳しい邦人がいて,いろいろとご教示いただいた.
ワシントンのホワイトハウス前のツリーの下では毎年模型列車が走らせてあるとか,ニューヨークのロックフェラーセンター前のクリスマスツリーの下にはスケートリンクがあり,そこで滑るのが人気があるとか,そこで初めて知った.
さて,その当時のことであるが,自宅で飾るツリーに於いて日本と米国で大きく違う点が二つあった.一つはツリーの台座を米国ではきれいな布のスカートで覆うこと.もう一つはツリーの頂点を天使の人形?で飾ることだ.
米国のツリーの美しさに感動して,ツリーや飾りを大量に買い込んで日本に帰った.あれから十数年たち,米国のツリーの流行も変わったことであろう.しかし,我が家のツリーはあのころのままである.

(ホワイトハウス前のツリー,模型列車に注目)

(ロックフェラーセンター前のツリー,スケートは行列に並ぶ人が多すぎて断念)
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

今日は,小学生の二人の子供の終業式だった.本当は24日まで学校があるはずなのだが,先生達の都合で22日で終業となり,子供は大喜びである.
終業式と言えば,通知表.小学生の通知表には勉強のことだけでなく生活態度についても評価の記載がある.時間を守るとか責任感があるかとか項目も細かい.
先生がこんなところまで判るのだろうかと疑問もあるが,「あいさつができる」 という項目もある.
教育上問題があるため,子供には秘密だが,私は子供の頃からあいさつが大嫌いだった.
別に「おはようございます」 とか「さようなら」とかが言えないわけでは無い.ただ,なんというか,あたりまえのことをあたりまえにする資質に欠けているらしいのだ.
幼稚園に通っていたときは,朝はまず園長先生の机の前に一列に並び 「園長先生おはようございます」と挨拶して手帳にハンコを貰うきまりになっていた.
もちろん私も毎朝,「おはようございます」と言ってたはずなのだが,ある日,何を思ったのかあいさつの代わりに「ごちそうさま」と園長先生の前で叫んでしまい,まわりは大爆笑.
その後,齢を重ねても,普通のことができない体質は変わらず,卒業式などでは予行をしたにもかかわらず,お辞儀の仕方を間違えたりとか,散々である.
大人になって,もう儀式は無いから大丈夫だろうと安心していたら 学位授与式があった.
博士号の授与である.臨床医として経験を積み,今は大学のスタッフとして医学生を教育する身である.粗相のあるはずはなかった.
寒い日であった,ちゃんとネクタイも締めコートをはおり学位授与の会場に向かった.時間もぴったりであった.そして会場に着席しコートを脱いだとき,スーツの上着を着ていないのに気がついた.
真冬の会場で,ひとりシャツ姿というのは非常に浮いた存在である.見かねた事務員が自分の上着を脱いで貸してくれた.
年をとったからと言って,挨拶とか儀式に弱い体質が変わるわけではないことはよく判った. あとは体質が遺伝するのかどうかが問題だ.
通知表をみるかぎりでは遺伝性はないように思われるが,どうであろうか?.
(写真は,昨年の冬ハワイで写したクリスマスツリー.残念ながら今年は寝正月の予定.)
固定リンク | コメント (1) | トラックバック (0)