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餃子が好きで、このようなタイトルにしたのではない。人生は、なかなか思ったようにはならないものだ、という意味で餃子は大きな教訓となるのである。
私の家族は、私を除いて餃子が好きであった。
子供の頃、夕食に餃子はどうかと、母が皆に尋ねるときには、私は常に反対した。しかし、尋ねる母も餃子好きなので結果は明らかであった。私は、家にいる間、ずっと敗北を続けた。
大学に入り、一人暮らしをすることで、餃子を食べずに済むようになったが、好きでもない餃子を食べ続けなければならなかった理不尽さはいつまでも記憶に残った。
そのため結婚を考えるとき、私の考えたあるべき家庭の条件とは餃子を食べなくても済む家庭、という非常にゆるいと思われる条件のみであり、伴侶選びには苦労をしないと考えられた。
ある女性と交際し、何度も中華料理を一緒に食べ、旅行も何回もした。その間、彼女は餃子を注文することは一度もなく、私は安心した。
結婚して、しばらくたち、彼女が無類の餃子好きであることを知った。
餃子好き達は、なぜか皆、私が餃子が嫌いだというと、おいしい餃子があるからと言って食べさせてくれる。
嫌いだと言うのに、家に招き手作りの餃子を食べさせてくれた先生もいる。私も、妻にいろいろと食べさせられてきたが、宗旨替えを決意するような餃子には出会わず、私はいまだに焼売党である。
餃子によって、私は、たったひとつの、非常にゆるい条件でさえ全うできない人間であることを知った。
結婚生活が、幸福であるとか不幸であるとかいう問題ではない。人生は、思ったようにはならない、ということを知ったのである。
(写真は宇都宮みんみんの餃子。学会で宇都宮に行ったときには、毎日いろんな店の餃子食べたけどね。)
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