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知らない土地の話を読むのが好きで、留学から帰ってきても様々な留学体験記などをよく読んでいる。
皆さんまじめに、医療のこととか、研究のこととか書かれている。しかし、ここでは当然ながら役に立たないことを書こう。
十数年前になるが、秋に米国の東海岸に着いた私が最初に驚いたのは、毎日通勤で使う州間高速道(Interstate Highwayですな)が毎日、あちこちで血だらけなことだった。
大量の血が毎日アスファルトの上にあるが、警察の車は見えない。どの車も平然と血の上を走っていく。最初は交通事故かなと思ったが、あまりにも多すぎる。しかも、毎日だ。
新聞を見ると、米国らしい記事が載っている。我が町では、車から住宅地で遊ぶ見知らぬ子供とかを銃で撃つ事件が、はやっているというのだ(まあ、危ない地域ではあった)。
しかし、高速道では銃を撃つのも難しかろう。
研究室の先輩に尋ねて、謎は解けた。鹿だというのだ。
鹿が道路に出てきて車に轢かれる。なにしろ、図体がでかいから血も多い。轢いた車も大変で、大破して使い物にならなくなることも多いらしい。
鹿なので救急車も警察も来ないというわけだ。
殺めると厳しい刑罰を受け、誤って鹿を殺してしまった子供が鹿の死骸とともに生き埋めになった 、という伝説があるほど丁寧に保護された、奈良公園の鹿とは、えらい違いだ。
(鹿の写真は持ってないので、代わりにテレビで有名になった愛媛県とべ動物園 の、心因性?てんかん発作をおこす白熊の写真)
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札幌医科大付属病院が医師の時間外や休日手当の支払いを予算の範囲内に制限することを明記した文書を作成し、各診療科に配布していたことが分かった。
労働基準法は勤務実態に合った支払いをするよう定めている。という記事がm3.comに出ていた。
いまや、ありふれた記事となった労基法違反だが、残業手当を、みなさんきちんと頂いたことがどれだけあるのでしょうか。
卒業して、大学病院に一年いて、 ××県立病院に行くと、残業手当は、月に○○時間までと決まっています、それ以上は書類に書かないように。と事務から言われた。
□□県立中央病院では残業手当に制限は無かったが、次に○○大学病院に戻り助手(文部教官だ)となり数年過ごしたが、残業手当というものの存在を知らされなかったため、一度も貰ったことがない。
次の国立病院(厚生技官だ今度は)は、一年間の病院全体での残業手当代が予算として決まっており(札幌医科大学と同じかな)、書類に残業時間は書いても、予算の範囲内に収めるために事務が書類を書き直し、毎日死ぬほど働いても雀の涙の残業代しか出なかった。
多くの病院では、労基法を無視していると思われるので、皆様も同様の経験があるのではないでしょうか。
医師は、地方公務員でも、 文部科学省と厚生労働省での国家公務員であっても労働基準法は無視され続けていたわけだ。
記事を見ても何を今更、という気もするが、本当は声をあげなかった我々が間違っていたのだろう。
労働基準局は、労働者の立場には立たない。
それで、助かったこともある。○○大学病院での当科の研修医が、仕事のために指導医の指示で、本当に全く家に帰してもらえない日が続いていた。
そこで怒った研修医の母親が労働基準局に訴えたのだ。しかし、もちろん何のおとがめも無かった。
そもそも労働基準局が、労基法など気にしていないのだろう。
(写真は ××県立病院と××市民病院が合併して新設された××医療センター.昔はボロい建物だったのに)
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救急できた患者が、いろいろな症状を持っていると、それぞれの専門科の医師が集まるのが、大きな病院の長所ではある。
しかし、どの科の医師も疲れすぎてどうしようもない、できれば自分の専門科にあまり関係なさそうな症例は遠慮したい、というときはある。
以前の病院で、高齢の女性が、救急車で運ばれてきたとき。患者は、少量吐血もあり 、血圧も少し低下、意識レベルも少し低下しているが、状態が悪いことを説明できるほどの原因が、さまざまな検査をしても判然としなかった。
当直医は、消化器科医に診察を依頼するが、吐血はたいしたことない、と言われる。循環器科医も循環器科的には、特に問題ないと、やりすごす。
神経内科の私も呼ばれたが、神経系は直接の障害は無く、意識障害は二次的なものだろう、これを神経内科で診るのは勘弁してほしいと思ってしまった。
道筋をつけるのは総合内科がよいのではと思うが、総合内科医は、すでに疲労困憊しており、入院を取りますなどとは言いそうもない。
結局、この症例の入院を引き受けたのは呼吸器科だった。少し、呼吸状態も悪かったのかもしれないが、誰も呼吸器が原因とは思わなかったはずだ。
口には出さなかったけど、呼吸器科はえらいな、と皆が思ったであろう。
後日、呼吸器科から神経内科に転科を打診された患者がいた。
他院に脳出血で入院後肺炎を生じて悪化し、当院呼吸器科に転院。重症肺炎で呼吸器がつき、離脱できない。
肺炎もよくならないのだが、患者 が肺炎をきたした原因が脳出血なので神経内科で診てくれないだろうか、という申し出だった。
呼吸器科も、やはり疲れてるようだった。
(写真は淡路島の「奇跡の星の植物館」.奇跡の星に奇跡の医療はあるのか?)
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今でこそ、「のんびり、まったり、気が向くままに」などと言ってるが、以前は急性期病院の神経内科で脳血管障害を中心に診療した時期があり、その頃は忙しすぎて心も体もぼろぼろという感じであった。
毎晩のように病院からは呼び出され、家に帰ってもCCU(そのころはSCUが無かったのでCCUに重症の脳疾患患者も入れていた。)の看護師は、尿崩症になった患者のin outを、親切にも電話で一時間毎に朝まで報告してくる(まあ、指示を書いていても、一時間で1000mlも出たりすると電話したくなるのであろう)。
この頃、想い出したのが子供の頃読んだ、オスカー・ワイルドの「幸福な王子」 だ。町の中心部にそびえ立つ金箔の王子像が、ツバメに頼んで、苦労や悲しみの中にある人々のために、自分の体を覆っている金箔を分け与えていくという物語だ。
自分の医療行為は、少しは世間の役にたったのかもしれないが、わずかな金箔はどんどんはがれていき、そのうちに、ただ命を削って自分の生活費を稼いでいるだけのような気がしてきた。
現在の日本の医療は自己犠牲の精神に溢れる「幸福な王子」達によって支えられているように思われる。
みすぼらしい姿になった王子の像は取り外されて溶鉱炉で溶かされ、死んだツバメと一緒にゴミ溜めに捨てられた。
神に命じられた天使は、王子の鉛の心臓と死んだツバメを天国に持ち帰り、王子とツバメは永遠に幸福となったという。
さて、今の日本では誰が「王子の鉛の心臓」を拾ってくれるのであろうか。
日本では、やはり大江戸捜査網の「隠密同心 心得の条 我が命我が物と思わず 武門の儀、あくまで陰にて 己の器量伏し、ご下命いかにても果すべし なお 死して屍拾う者なし」なのかな。
(写真は金沢21世紀美術館の屋上にある「雲を測る男」)
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このブログを読まれている皆様は、「白猫黒猫論」とは、後に中華人民共和国の最高権力者となる鄧小平が1962年に述べた指針で、「白猫であれ黒猫であれ、鼠を捕るのが良い猫である」という四川省の古くからの諺でもあることをご存じであろう。
観念論をしりぞけ、物事を実際的に処理する鄧小平の個性をよく表す言葉になっている。
さて、この一週間ブログを書き、気づいたのは、どうも自分の書く記事は実務とか、実際的とかいうものから、かけはなれた位置にあるということだ。
ネズミを捕らない猫ばかり出てくる。ここまでくれば、徹頭徹尾、役に立たない猫の話を続けるしかないと覚悟を決めたところである。
猫と言えば、ヘミングウェイの猫好きが有名だ。
没後50年近く過ぎた現在も、フロリダ州の最南端キーウエストにあるヘミングウェイ博物館には、彼が飼っていた猫の子孫が60匹近くいて、全員に名前があり、高級エサが与えられている。
十数年前、マイアミの学会に出席したときに、私はわざわざその猫の写真を撮りに行った。
夕方で 博物館はもう入場させてくれなかったが、外から猫の写真だけは撮れたので満足していた。
しかし、ここで重要なのは、猫の指の数であった。
ヘミングウェイは迷信深く、6本指の猫は幸運を呼ぶと信じて知己の船長から6本指の猫2匹を譲り受けており、現在も博物館にいる猫たちの約半数は、6本指だという。
せっかくキーウエストまで行って撮った写真だけど、猫の指なんて写ってない。「猫の手も借りたい」という言葉はあるが、普通誰が、猫の手のことを気にするだろうか。
もし、また訪れる機会があれば、必ず猫の指を撮るつもりだ。ヘミングウェイの猫がネズミを捕るのかどうかは、残念ながら知らない。

(港町の,何の変哲もない猫.寝ていると,猫の手は見えない.隠すほど大切なものなのか)
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はたらけど はたらけど猶(なほ) わが生活(くらし)楽にならざり ぢつと手を見る
ご存じ、石川啄木の「一握の砂 」の有名な歌ですね。
啄木は、26歳で貧困の中、結核で亡くなりました。数年前、盛岡で学会があったとき、啄木が新婚当時住んだ家が保存されていたので見にいきました。
あれ、盛岡駅のすぐ近くの一等地に住んでたんだなあ。おや、なんか敷地も広い。なんだ、部屋もいっぱいあるな。
正直、私は、こんな広い家に住んだことはありません。借金して買ったマンションの部屋数は、啄木の家よりもずっと少ないです。
啄木のことを、何の根拠もなく貧乏だと思っていたが、客観的に見て私の生活レベルは、啄木より低いものであることが判明した。
わが生活(くらし)楽にならざり ぢつと手を見る
どうも、我が家の生活が苦しいようだと、うすうすは感じていたが、啄木 にまで負けているとは知らなかった。
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1999年11月末に米科学アカデミー医学研究所が医療過誤について発表した「To Err is Human」と題する報告書がある。
この中では、病院入院中に医療者の誤りが原因となって死ぬ確率のほうが、交通事故や、乳癌で死ぬ確率よりも高いと発表しており、医療者も人間である以上誤りをおこすことは避け得ないが、過誤を防止することは可能だと述べているそうだ(読んだことないので)。
さて、私もエンボスの押し間違いとかで、別の患者に処方箋を出したりとインシデント連発、 「To Err is Human」を実践している身である。
医療の場合は、過誤を防止する、ことが求められるが、医療以外の場では過誤に対してどのように対処されているだろうか。
以前、他の場にも少し書いたことがあるのだが、△△市にある中華料理屋は、毎日客の注文を間違えていた。
麻婆定食を頼んだ客に、酢豚定食を出す。毎日なので客も怒らない、主人もあやまらない。
じゃあ、間違って作った料理はどうするのかというと、定価より安く売るのだ。
「酢豚定食500円でどうだ」、と主人が叫ぶと、他の客が「買った」と叫んで売買成立。誰もインシデント・レポートとか書かないし、たぶんカンファレンスとかもしてないが、店は繁盛していた。
主人は、客が注文する物より、作りたい何かがきっとあるのだろう、反省した表情は全くなく、その顔は晴れ晴れとしていた。
これを見てから、私は間違えることが怖くなくなった。間違えたあと、どう対処するかが大事だと中華料理屋から学んだからである。
もちろん医療では過誤の防止こそ重要であるが、残念ながら、この店は毎日注文を間違えるため、過誤の防止については学べなかった。

(注文を気にしない中華料理店のある街)
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子供の頃から、なぜか、つまらないことが気になるたちだ。
小学生の低学年の頃、第二次世界大戦の戦記物10巻くらいを毎日読み続けていた時期があった。別に戦争に興味があるわけではない、むしろ旅行記を読むような感覚で、知らない国の話を読むのが好きだった。
で、一番気になった話は、日本軍がフィリピンかどこかの山奥の村に駐留したときの物語。
山奥すぎて戦争も無い、暇なので日本人兵士達は船を作ろうとした。村には急流でいつも泡だって流れる川がある、そこに船を浮かべようとしたのだ。
木を切って船を作ろうとしたら、現地の人が集まってきた。そして、日本人は馬鹿だ、木で船を作ろうとしている、と言ってみんな笑う。
馬鹿はどっちだ、船は木で作るのがあたりまえだろう、と日本人兵士は反発する。そして、できた船を川に浮かべる、どんなもんだと得意になって泡立つ急流に乗り入れたところ、たちまち船は沈んでしまった。
意気消沈した日本兵達が、現地の人に訊くと、彼らは船は竹で作るのが当たり前だろ、と答えた。確かに、竹の船は泡立つ急流の上でも沈むことは無かった。
木は必ず水に浮く、という常識が通用しない世界があるのが衝撃的だったな。
さて、提出しないといけない報告書が、期限を過ぎている。そうすると却って、他のことをやりたくなり、こうしてプログを書いてしまう。こういうのも、子供の頃から変わらない。

(若い頃から,いろいろなことが非常に気になっていた草間彌生が制作した「赤かぼちゃ」)
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何の因果か、ついた上司に少し変わった方が多かった。卒業して大学病院で1年過ごし、2年目で○○県立中央病院へ行った。
大学の医局の先生達から、部長は優秀だけど少し変わった先生だよ、と言われいくつかのエピソードは聞かされていた。
最初に挨拶に行ったとき、緊張したが会話は至極普通、さて病院を案内しようかと最初に連れて行かれたのが、屋上。
屋上に行って街を見下ろすわけではない。空を見ろと言われた。
大学のある××の空と○○の空は青の深さが違うだろう、判るよな。と言われても僕にはただの空にしか見えなかった。判りませんと答えると、これが判らんのか、と怒られた。
○○県立中央病院で過ごした2年の間、何度も空を見上げてみたが、××の空と○○の空の、青の深さの違いが判ることはなかった。
その後、転勤のたびに僕は空を見上げることになる。
新しい土地の空は、青の深さが違うだろうか?
(写真は○○県の空.その後,転勤を重ねたが,米国で初めて空の青さが異なることが判った. )
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今日、二ヶ月ぶりに病院に来た患者さんがいた。
本当なら1月に来るはずで、薬も切れたままである。患者さん曰く、1月は孫にお年玉をあげたりものいりでお金が無くなったので病院に行けなかった、とのこと。
実は前から病院での支払いには大きな疑問を抱いていた。なぜなら、どの医師も値段について説明してくれないからだ。
患者は、様々な検査をされて、飲みきれないほど薬を貰い、言い値を払わされる。こんな商売があっていいのだろうか?(前もって説明する病院も少数あるらしいが)
そもそも皆さん、値段も聞かずにものを買ったことがありますか?でも私も病院で、医師にいくらになりますか?なんて聞いたことないです。
みんな高いお金を払うのに値段も言わなければ、聞きもしない不思議な商売ですね。
もう10年以上前になりますが、米国の病院を妻が受診したときも値段の説明なしでエコーや採血をされ、こんなに高いのならしなくてもよかったなあ、と考えたのを思い出しました。
さらに病院のすごいところは、患者が死んでも金を取るというところです。
車を修理しに販売店に行って、「いろいろやりましたが直りませんでした、でもお金はください」と言われてあなたはお金を払いますか?でも、病院は患者が治らなくても、死んでも金は取ります。
たとえ高利貸しのシャイロックでも金の借り主が死んだ日に、家族に金を払えとは言わないと思いますが、世界中の病院の事務員は悲嘆にくれている家族に、入院費用の支払いについて説明をしているはずです。
(写真は本文と何も関係なし.鳴門大橋と渦潮)
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