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2011.08.28 12:30 |  海外留学  |  旅行 / 宿  |  その他(医療関連)  |  白猫黒猫論  | 推薦数 : 0

冬のローマ

冬のヴェネチアに続く、気分はもう冬シリーズの第二弾、冬のローマ。

 

夕方、ヴェネチアから列車に乗って、ローマへ行く。

欧米で列車に乗ったのは久しぶりだ。

イタリアでは泥棒も多いので、日本と違って誰も列車の中では寝ない、と何かに書いてあった気がするが、見渡す限り外人全員が爆睡している。

翌日は2011年の元旦。

ヴァチカン宮殿に行くと新年のミサが執り行われていた。

世界中からミサのためにサン・ピエトロ大聖堂に信者や教会関係者が集まっている。

教会発行の証明書を手にしているもののみがミサに参加できる。我々は入場させて貰えずに帰る。

広場にはクリスマスツリーが立っている。

カトリックの総本山にしては、かなり質素なものである。

 

広場に青いバルーンがたくさん浮かんでいるが、拡大するとハトの絵が描いてある。どうやらこれはハトの代わりらしい。

 

後日、上の写真右に見えるサン・ピエトロ大聖堂に登る。

エレベーターに乗ったので上まで行くかと思ったら、途中までしかなく、あとは狭い階段を延々と昇るのであった。

ヴェネチアもそうだが、大聖堂に入る前に見たヴァチカン美術館もいたるところ段差だらけであり、イタリアにはバリアフリーなどという言葉は存在しないものと思われる。

 

階段を頂上のドームまで昇って屋上に出る。

わりと大きな土産物屋があったりして屋上は広い。

 

ドーム頂上から見たサン・ピエトロ大聖堂前の広場。

建物がやたらと大きくて広くて距離感がつかめないが、この広場はかなり広いのだ。

 

屋上からはひたすら階段を下りる。

大聖堂内部は、さすがに荘厳である。

この囲われた通路の奥が、聖ペトロの司教座なのだろう。

 

ローマ観光でコロッセオは定番だが、とにかく巨大である。

子供の頃から、何度も写真やテレビで見て知っていたつもりだったが、このスケール感は実感してみないと判らない。

 

コロッセオの内部を見学するだけでも時間はかなりかかる。


 

西暦80年に完成したコロッセオの近くに、西暦315年建造のコンスタンティヌスの凱旋門がある。

イタリアに攻め込んだナポレオンが、これを見て気に入り、後にパリにも凱旋門が作られた。

それが、エトワールの凱旋門だ。

 

コロッセオから少し歩くと、約1000年にわたり、ローマ帝国の中心として栄えたフォロ・ロマーナがある。

歴代の皇帝達が権威を誇示するために巨大建造物を建てたのが、約2000年後の今に残るところがローマの凄さである。

 

ここからローマ市庁舎を越えてかなり歩き、これも定番の真実の口へ。

今まで嘘をつきすぎた報いか、なかなか手が抜けない。

 

年末年始は世界中どこでもそうなのか、ローマは観光客だらけで、タクシーは全くつかまらず、ひたすら歩く。

真実の口からホテルに戻るにもタクシーは拾えず、地下鉄で帰る。

駅の券売機が、なぜか紙幣を受け付けてくれず非常にあせるが、小銭をかき集めて乗車券を買い、ローマ駅に戻る。

 

ヴェネチア・ローマと楽しい旅であったが、私としては中学生のときに読みふけったカエサルの「ガリア戦記」に関連した旅ができなかったのが少し心残りだった。

もっとも家族は、「ガリア戦記」などには、おそらくなんの興味も示さないだろうが。

 

この反省をふまえてパリ旅行で実行したのが、家族がホテルで朝食をとっている間に、一人で巡る「パリ医学散歩」だ。

もっとも、せっかくガリア(フランス)に行ったのに、なぜガリア巡りをしなかったのか、と問われると弁解のしようがないが。

 

 

 

 

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2011.08.28 02:30 |  海外留学  |  旅行 / 宿  |  その他(医療関連)  |  白猫黒猫論  | 推薦数 : 1

冬のヴェネチア

真夏の今の時期になぜ、冬のヴェネチアなのかと訝る方も多いだろう。

 

でも、もう旅行会社は年末年始の予約を受け付けており、人気のコースはキャンセル待ちも受け付けない時期なのである。

 

というわけで、昨冬に行ったヴェネチア・ローマを忘れないうちにまとめておこう。

このブログの目的のひとつは備忘録としてなので。

 

ヴェネチアといえば運河なので、イタリア到着の翌日から早速水上バスに乗って運河巡り。

 

 

なるほど、絵はがきのような光景が広がっている。どの建物も絵になるのはさすがイタリア。

 

 

 

海上からサン・マルコ広場の鐘楼を眺める。

手前が水上バスの船着き場だ。

 

 

この鐘楼に登ってナポレオンが「世界一美しい空間」と断言したサン・マルコ広場を見下ろす。

 

 

 この広場が、世界一と言われても納得できない気がするが、ナポレオンは非常にワンマンな将軍なので部下は誰一人反論できなかっただろう。

 

ナポレオンは軍人として世に出る前に小説を書いていたこともあるらしい。

 

フランス革命以前の世の中では、政治は王と貴族が行い、軍事も身分制度の縛りが強く、才能のあるものが身を立てるには、小説などの芸術方面に向かうしかなかった。

そこで有能な若者は皆、小説を書いたのだという。

 

 この広場の端にはサン・マルコ寺院があるが、残念ながら工事中だ。

 

 

鐘楼の上で、反対の方向を振り向くとヴェネチア総督の邸宅兼政庁である大きなドゥカーレ宮殿がある。

 

 

鐘楼を降りて路地を歩くと仮面舞踏会の本場らしく仮面の専門店がある。

 

思わず仮面を買ってしまったが、まだ今のところ日本で使う機会は訪れない。

しかし、仮面舞踏会のお誘いがあれば、準備は万端であることをお伝えしておく。

 

 

 ヴェネチアだから、もちろんゴンドラにも乗らなければならない。

少し値段が高めだが、ここまできたら目をつぶって乗るしかない。

水上バスと違い、裏道みたいな細い運河を通過していくのもいい雰囲気である。

 

 

 大運河に出て、向こうに見えるのはリアルト橋。橋の上も土産物屋がひしめいている。

 

 

そういえば、ヴェネチアでは病院を見かけなかった。

 

パリと違って「ヴェネチア医学散歩」などという本も、もちろん無い。ヴェネチアに留学したという医師を聞いたこともないが、少し住んでみたくなる街である。

 

 なお急な病気になると、救急車ではなく救急艇が駆けつけるのだとガイドから聞いたが、どこへ運ばれていくのだろうか?

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神経内科医であれば、パリに来たからにはサルペトリエール病院を訪れないわけにはいかない。

 

ネットで病院のサイトを見るがアクセスがよく判らない。

どうやっても地図がみつからない、フランス人は地図を見ないのだろうか。

地図がないので文章を見るが、フランス語と英語は全く違うんだな、という至極当たり前の感想を抱く。

 

「パリ医学散歩」や他の情報を見るとパリ13区の植物園の近くにあるようだ。

 

でかい敷地の病院のようだから近くに行けばなんとかなるだろうと気楽に考え、植物園に隣接した国立自然史博物館までタクシーで行く。

 

しかし、降りても病院らしいものは見当たらない。

仕方ないのでしばらく歩き回るが全く見当がつかず、戻って博物館の職員に聞くと、なんかずっとあっちのほう、と言ってる感じ。

 

オステルリッツの駅まで出て、今度は広い通りを西に少し歩くと精神科領域では有名な内科医ピネルの像を発見した。

 

その奥に小型の凱旋門みたいな病院の門がある。

門にはサルペトリエール病院と書いてある、間違いない、やっと神経内科発祥の地にたどりつく。

 

 

 

 

門を入ると庭があり、向こうに大きな礼拝堂が見える。

 

 

病院内部への入り口が判らないので、礼拝堂の中に入り、別のドアから出ると知らないうちに中庭に出た。

 

しかし今度は、広い敷地に様々な建物がたくさん建っているため、どれが何だか判らない。

 

仕方がないので、病院敷地内の略図を見て、シャルコーとかババンスキーとか書いてある建物を探す。

 

 

残念ながら、シャルコー講堂はだいぶ前に建て直されており、パリには珍しいなんの風情もない講堂となってしまい写真を撮る気にもなれなかった。

 

代わりにシャルコーの火曜講義の絵を使ったパネルが誇らしげに立っている。

神経内科の創始者シャルコーとか書いてあるのだろう、たぶん。

 

 

ババンスキーのユニットは急性期の神経疾患なども診るユニットのようで、外見は日本の病院とあまり変わらない。

中にも入ったが、外来の待合は静かなものであった。

 

 

しかし筋疾患のユニットは別の入り口があったような気がするし、離れて全く別の場所にも神経系のユニットがあったりする。

なんだか日本でいえば、昔の療養所系の病院がそのまま大きくなったような印象を受ける。

 

 

脳血管障害はババンスキーのユニットで診るのだろうが、循環器疾患のユニットは遠く離れた場所にあり連携などは難しいのではないかしら。

 

敷地が広く、歩きまわって喉が渇いたので、病院の中の売店でコーラを買って飲む。

コーラはパリで飲んでもコーラの味だ、当たり前だけど。

 

フランス風のサンドイッチなども売っているが、見た目はさほどおいしそうでもないのでスルー。お値段も高めだし。

 

 

 

サルペトリエール病院を訪れたことで、自分としてはパリ観光の目的をほぼ達成し満足してタクシーでホテルまで帰って家族と合流した。

 

なお、毎日タクシーに乗っていて思ったのだが、やはりフランス人はあまり地図を見ないのではないだろうか。

 

一度目的の場所を通り過ぎたときにタクシーの運転手がやっと地図を出してきたが、この地図というのが非常におおざっぱなものであり、日本から持ってきたガイドブックと同じレベルであった。

この地図を見て私は即座にタクシーを降りることを決断したのだった。

 

 

 

 

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オテル・ディユーを後にしてシテ島から橋を渡りセーヌ川左岸に出る。

サン・ミッシュエルの噴水から南に下り、サン・ジェルマン大通りに出るとパリ大学医学部の旧校舎?があるパリ第5大学が見える。

 大通りからは入り口が見えないので裏の医学校通りに廻るとイオニア式の円柱に支えられた門があった。

 

 

これをくぐって中に入ると胸で腕を組んだビシャーの像が待っている。

 

ビシャーという名前になじみは無かったが、彼の研究は解剖学、生理学、病理学に及び「偉大なフランス医学はビシャーの仕事から生れたものである」と評されるほどの人物らしい。

 

ズボンの太ももがピチピチなのが少し気になるが、憂いを帯びた表情も腕を組んだポーズもなかなかよろしい。

 

 

医学校通りの途中に階段に向かう横道がある。

ここにシャルコーの同僚で、彼と共同で多発性硬化症とパーキンソン病の臨床像を確立したビュルピアンの像が建っている。

 

 

この ビュルピアンの弟子の一人がサルペトリエール病院神経病クリニック第三代目主任教授となるデジェリンである。

彼の業績は膨大であったが、現在サルペトリエール病院には彼を偲ばせるものは残っていない。

第四代目主任教授 となったマリーはデジェリンと仲が悪く、マリーが主任教授となって最初にした仕事が、デジェリンが関係したものを捨てることだったからだという。

 

まあこれは日本の医学部でもよく聞く話で、私も教授が替わったあとは、しばらく大学医局の掃除をさせられて、なんでもかんでも捨てました。

 

 

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観光でパリに来れば、必ずシテ島のノートルダム大聖堂を訪れることでしょう。

 

この写真の左側、まだ8月なのに色付いた街路樹の向こうにパリ市民病院があります。

西暦650年、メロヴィンガ朝のクロヴィス二世の時代にパリをペストが襲ったとき、小さな教会に隣接した建物に患者を収容したのが、オテル・ディユー(原意は神の家 今は市民病院を指すらしい)の始まりという。

中世の記録では、この病院は「貧しさと悲惨さ」 をもつ患者は全て受け入れ、一つのベッドに何人もの患者が寝ているのが日常であった。

一床一人の原則が確立したのはボナパルトの時代になってからだと「パリ医学散歩」は述べている。

 

歴史がある病院なので中庭を巡る回廊にはずらりと中世のころの絵の複製やレリーフが飾られている。

 

 

病院を訪れたのがパリを出発して日本に帰る日。

ホテルのチェックアウトが9時40分までだったので、朝8時にオテル・ディユーを訪問するとまだ病院の建物は暗く、ぽつぽつと灯りがともる程度。

 

 

サマータイムでの朝8時のせいかまだ暗い中庭中段。

出勤してくる人がぱらぱらとみえる。

 

それにしても、この豪華さはなんなのだろう?

今はパリ市が管理しているらしいが、庭の管理費だけでも相当なものだろう。日本で自治体病院がこんなことをしたら納税者が黙っていないだろう。

 

写真奥の中央に見えるのが青鬼?

 

 

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今日パリから帰った。

 

初めてのパリ。

 

ガイドブックとともに東京女子医大名誉教授の岩田誠先生の書かれた本「パリ医学散歩」を持って行った。

 

神経内科はパリが発祥の地であり、教科書に出てくるような有名な先生がごろごろと出た場所である。

 

神経内科専門医であるからには創始者であるシャルコーの居たサルペトリエール病院にも顔を出さないといけない。

 

神経内科には関係ないが、最近ではパリ中心部で交通事故にあったダイアナ元皇太子妃は、なぜか近くの病院には収容されずに、この遠く離れたサルペトリエール病院に運ばれて亡くなっている。

 

本そのものは1991年の出版でもう絶版なのだろう。

当時買った本が家の中で見つからず、古本をアマゾンで買って持って行く。

 

まず目につくのは、シテ島のノートルダム大聖堂の前の広場のすぐ横にあるパリ最古の病院「オテル・ディユー つまりパリ市民病院」だ。

 

 

これが入り口

外見はくすんでいるが、趣のある美しい建物である。

 

 

せっかく、ここまで来たので中に入ってみた。

待合を通り抜けると中庭に出る。

 

この中庭が広い、これは病院というより美術館ではないか。

 

 

でも回廊には手術部とかの表示もあるようだし、やっぱり病院なのだろう。

 

中庭を登っていくと青鬼がいた。

 

 

いったいこれは何かしら?

 

パリ市民病院は「フランス外科学の父」といわれるパレとか内科のトゥルーソーなどをはじめとして著明な医師を輩出しているが、この青く塗られた彫像は謎である。

有名な医師の像なのか、それともただのモダンアートなのでしょうか?

 

どなたか、この像が何者かご存じのかたがおられたらご教示願いたい。

 

 

 

精神科の事務をされている方から

コメントを頂いたので(下のコメントを参照)

写真を追加します。

 

まずは、サルペトリエール病院の前(ずいぶんと前ですが)に置かれたフィリップ・ピネルの像。

 

精神病の患者を閉鎖病棟から解放したことで精神科領域では有名な医師ですね。

 

次が サルペトリエール病院の中のBabinskiユニット

にある売店。

 

ガラスケースの中、サンドイッチもでかいけど、巨大マカロンも迫力があります。

 

 

 

 

 

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2011.02.20 10:40 |  診療  |  旅行 / 宿  |  恋愛 / 結婚  |  白猫黒猫論  | 推薦数 : 1

結婚で病気が治る

 

 

(写真は、後ろ向きにコインを投げ入れると願いがかなうトレビの泉。コイン1枚だと再びローマに来ることができ、2枚では大切な人と永遠に一緒にいることができるというのは聞いていたが、なんと3枚になると恋人や夫・妻と別れることができるらしい。結婚も離婚も思うがままだな。ここで私が何枚コインを投げ入れたのか、子供は気になるらしい。)

 

 

普通の若い女性にとって、結婚は一番の関心事であるように見受けられる。

また若い男性にとっても、面倒だと思っていても避けて通れない話題ではある。

 

結婚に対しては、いろいろな考え方があるだろうが、医師として忘れられないのが、結婚で病気が治った症例だ。

 

もう10年以上前のこと、大学病院の神経内科に勤務していたとき、他の内科からコンサルトの依頼がきた。

 

20代前半の女性の入院患者である。

最初は、嘔吐かなんかで始まり、消化器内科に入院した。

内視鏡検査をしても、腹部CTをとっても異常はない。

 

そのうち、「ものが二重に見える」とか、「手に力が入らない」とか言い出したため、

重症筋無力症などの神経内科的疾患があるかどうか診てほしいという依頼だった。

 

ざっと診察したところ、特に異常があるようには思えなかった。

確かに上肢の筋力が少し低下しているかもしれないが、力を出しきっていないようにみえる。

目もぱっちりして可愛い顔をしており、もちろん眼瞼下垂もない。

 

つまり鑑別診断で最初にくるのは、心因性の疾患だ。

理由は知らないが、たぶん彼女は病気になる必要があったのだろう。

 

存在しない神経疾患をみつけることは最も困難なことのひとつであり、少し憂鬱になった。

 

本当の神経障害と心因性の偽の神経障害を見分ける方法については、教科書や論文にはいくつか方法が出ているが、明らかな違いを示さないケースも多い。

 

そのうえ患者は医療関係者だったため、何度か診察していると学習したのかBarré徴候までやってみせるようになった。

 

仕方ないので、筋電図やテンシロンテスト、磁気刺激も検査するが、こんなにきれいな結果は見たことが無いほど正常である。

 

ついでにSSEPABRも検査したが正常例として教科書に載せたいくらい美しい。

画像診断だって頭部から脊髄までMRIを撮るがもちろん全く異常は認められない。

 

検査をやって判ったのは、若いって素晴らしいなということだけだ。

 

しかし、そのうちに足のほうも力が入りにくい、歩きにくいと訴えだした。

 

「どの検査も異常がないですね」と説明しても、状態は徐々に悪化していく。

困った消化器内科の先生からは、どうなっているのでしょうかと説明を求められる。

 

心因性の麻痺は精神科で診て貰うのがいいんじゃないかとも思うが、実際は精神科でも変わった治療をするわけではない。

 

診断名としては心因性とつけても、はっきりした心因が判らないというより無いことも多い。

そのため精神科に紹介しても、状態は変わらず、精神療法で何か変わるわけではなく、安定剤や抗うつ薬が効くのも見たことが無い。

 

治療というより、時間が病気を取り除いていくのを待つという感じのことが多い。

何かをきっかけとしてか、患者は病気であることをやめる。

 

残念ながら症状は悪化したが、検査に異常もなく身体的には問題が無いはずなので、とりあえず退院となった。

 

外来通院で神経内科を受診してもらうが、相変わらず手足に力が入らないと訴える。

しかも、その脱力は徐々に悪化しているようだ。

 

患者も大変だろうが、それを診る医師の憂鬱さも徐々に悪化していく。

 

ところが、ある日の外来で、彼女は筋力が回復してきたと言い出した。

なぜかは判らないが、いい徴候なのでこのまま経過を見ることにする。

 

外来受診のたびに筋力は回復して、そのうち症状はすっかり無くなった。

 

「私、結婚するんです」、何度目の外来だっただろうか、その言葉を聞いたのは。

 

ともかく、彼女は病気である必要は無くなったのだ。

私は、何も心配することは無いことを説明して通院は終了した。

 

結婚相手の彼は、私は会ったことはなく何科なのかも知らないが、医師だという。

 

とりあえず、彼はひとりの患者を治してくれた。

 

この症例を経験することで、「結婚」が、重大な問題であることも再認識した。

 

 

 

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2011.01.20 04:30 |  趣味  |  グルメ / お酒  |  旅行 / 宿  |  白猫黒猫論  | 推薦数 : 0

イタリアのマクドナルド

この年末年始は初めてのイタリア旅行。

 

なるほど,料理はおいしいものも多い。

アリタリア航空の機内食も美味でした。

 

目の前の料理が,食べることが可能かどうかの判断をせまられるアメリカとは大違いである。

 

でも子供はイタリアに来ているのに「マックが食べたい」という。

マックに行きたいのなら日本で留守番してくれればいいのにと思いながら

ローマの三越そばのマックに行くと行列ができている。

(ローマ三越そばのマクドナルド)

イタリアはスローフード運動発祥の地と聞いていたが,マックは大人気のようである。

しかもファーストフード店のはずなのに店員の動きはゆっくりのため行列はなかなか前へ進まない。

 

翌日は,ローマのスペイン広場に行った。

 

またもや子供は,イタリア料理よりマックが食べたいと言う。

スペイン広場のマックはロゴも黒字に白で染めてあり,少しおしゃれな感じだ。

中に入るといったん階段を下って,また登って広いスペースに出たと思ったら人だらけ。

(スペイン広場のマクドナルド)

正月の神社で見る初詣くらいの人混みで身動きがとれない。

日本のマックでは,こんな光景は見たことがないくらいの混雑ぶりで,しばらく列に並んだが買うのをあきらめて店を出た。

 

イタリアで一番人気のレストランはたぶんマクドナルドだな。

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本当にどうでもいいことだが、冬になり外来に感冒の患者が増えると思い出すのが、

このフレーズ 「ガムテープで風邪が治る」。

 

もちろん医学的には「ガムテープ」と「風邪」には何の関係もありません。

 

でも『水戸浩一遺書詩集 ガムテープで風邪が治る』 の題名を最初に目にしたときの衝撃は大きかった。

 

『現代詩手帖』に投稿をくりかえしていた水戸浩一は、誕生日の前日である四月一日に、ガムテープで口をふさいだ状態で発見される。

 

その水戸浩一の遺稿を特殊歌人・枡野浩一がまとめる形で刊行した本だ、

という枡野の解説を十数年前に雑誌で読んで興味を持ったのだ。

 

だが、しばらくしてから真相を知ることになる。

 

 元特殊歌人 枡野浩一氏。
 
彼は20歳頃、水戸浩一という筆名で
 
『現代詩手帖』に投稿をくりかえしていた。

 

当時の投稿選者は、今ではテレビタレントみたいだが本職は詩人の「ねじめ正一」であって、

枡野が投稿した詩は全て掲載されたのだという。


 
『水戸浩一遺書詩集 ガムテープで風邪が治る』は、現代詩手帖に掲載された枡野浩一の作品を
 
「水戸浩一の追悼作品集」としてまとめあげたものだったのだ。 
 

 

 

その後、枡野浩一氏はNHKの番組などに頻回に出演し、

近年の「ケータイ短歌」「ネット短歌」と呼ばれる動きの礎を築きあげた。

 

しかし、いまだに私にとっては

「枡野浩一」= 「ガムテープで風邪が治る」

のままだ。

 

いずれにせよ、「ガムテープで○○が治る」というのは

インパクトが高いコピーである。

 

神経内科医としてはぜひ、

「ガムテープでパーキンソン病が治る」

とか

「ガムテープで脳梗塞が治る」

 

とかの題名で本を出してみたい誘惑にかられるが、

多分学会からは専門医の返上を求められることであろう。
 

 

 

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2010.12.11 23:00 |  生活 / くらし  |  趣味  |  旅行 / 宿  |  白猫黒猫論  | 推薦数 : 1

異形のホテルなど


もともと遠いところとか、少し変わった人間が好きなせいか、

変わった建物のホテルを選んで泊まっていた時期がある。

 

まずは、名前も不思議な高知県檮原町の「雲の上ホテル」 

 

 

高知県の西の端近く、四万十川上流の山奥にあるホテル。

 

檮原町は坂本龍馬脱藩の道があることで知られており、町のキャッチフレーズが「雲の上の町 ゆすはら」。

まあ、高知県の中でもすごい田舎ということだ。

ある年の5月のゴールデンウイークに四国の西半分をぐるっと廻ったときに泊まった。

 

ホテルの屋根が飛行機の翼の形でまさに異形。

夜になると 

 

 

こんな感じ。

昼間に横に廻ると

 

 

数年前の写真だが、少々というか、かなり薄汚れている。

 

部屋はとても安いビジネスホテル並みである。

外見だけ見て楽しんで、泊まらないのが無難かも。

 

ホテルに25mの温水プールがあるが、夜は客がいないので使い放題なのはよかった。

温泉もあるが、特記すべきことなし。

 

外見は普通だが、内装が変わっているのが、

ジョン・レノンとオノ・ヨーコ夫妻が御用達だった

長野県軽井沢にある「万平ホテル」(下の写真)。

 

日本を代表するクラシックホテルらしいたたずまいだ。

 

しかし、古い建物であるアルプス館の内装がまさに和洋折衷のオンパレード。

 

 

 

ベッドと奥の部屋とは障子で境されているが、手前にあるのはカーテン。

奥の部屋の明かりの近くに掛け軸があるのが見えるだろうか。

 

階段にあるステンドグラスは、なんと「毛亀」

 

 

ジョン・レノンは1977年から1979年にかけて毎年、

避暑のためにアルプス館の128号室に長期滞在していたらしい。

 

ジョン・レノンは、1980128日に亡くなったので、もう30年たったのですね。

ホテルも木造で古い建築物のため、歩くとあちこちがミシミシと音をたてていたような。

 

長野県「上高地帝国ホテル」(下の写真)は、場所柄もあり山小屋風の作りで可愛い。

 

 

 

ホテルの右上には、北アルプスが見えている。

 

 

 

ベランダ付きの部屋が予約できずに、屋根の部分にある部屋に泊まった。

 

窓は屋根から突き出ており、壁は屋根だから当然ながら斜めになっている。

 

泊まったのは夏だったけど、部屋の空調は、

暖房はあるけど冷房はないというのが上高地らしいところか。

この喫茶室にあるマントルピースがホテルの名物。

 

外見も変わっているが、部屋に行く手段も変わっているのが、

香川県直島にある安藤忠雄設計の「ベネッセハウス オーバル」

 

 

フロントで鍵を貰い、自分でケーブルカーを動かして山の頂上へ。


 

 

右に見えるのが楕円形のホテル「オーバル」。

建物の中に入ると、

 

 

 

中心は空洞で、楕円の池の周りに通路があり、部屋への入り口が配置されている。

 

 

上は「オーバル」の屋上?に登ったところ。

 

「オーバル」は平屋であり天井には土が盛られて、草を植えてある。中央には土の散歩道がある。

 

つまり、ホテルの頂上に行くと建築物であることを意識させないような造りになっている。

おもしろいので一度は行ってみてください。

 

しかし、安藤忠雄先生が設計したところは、どれも居住するには根性が無いと無理そうだな。

私は、生活するのは普通の家でいいです。

 

 

 

 

上はホテル近くの小さな桟橋にある

草間彌生の「黄色かぼちゃ」。

宮浦港には「赤色かぼちゃ」があるけど

こっちのほうが素敵。

 

 

 

 

 

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