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90代後半男性のYさんは車椅子に乗り、長男のお嫁さんに連れられて通院していた。色白で細身のYさんはいつもニコニコと笑顔を絶やさなかった。美人のお嫁さんはせいぜい40歳くらいにしか見えず、最初、私はてっきりYさんのお孫さんだと思い込んでいた。笑顔が素敵でとても絵になる二人だった。Yさんは特に持病があるわけではなく、薬も内服していなかった。ただ、食欲がないため点滴を希望されており、訪問看護師に依頼し在宅で週3回点滴を行っていた。点滴と言っても特別な薬が入っているわけではなく、ただの補液に過ぎないのだが、点滴を受けることで精神的に安堵する患者は多い。Yさんもそんな患者さんのひとりだった。

 

98歳の春、Yさんの状態に変化があった。微熱が続くようになり、咳、痰などの呼吸器症状が出てきた。胸のレントゲンを撮ると、両側の下肺野にすりガラス状の陰影があり、肺炎が疑われた。Yさんと付き添いのお嫁さんは入院をきっぱりと拒否し、在宅での看取りを希望している由を私に伝えた。それはYさんの兼ねてからの強い希望であり、家族も皆了承しているということであった。

 

漠然と『家で死にたい』と思っている人は少なくないと思うが、在宅死に家族皆が同意して協力する約束が事前に行われているケースは珍しい。Yさんの意向を尊重し、内服の抗生剤を処方して在宅療養を続けてもらうこととした。また、通院が困難になってきたため、訪問診療に切り替えた。

抗生剤投与後もYさんの発熱は続いた。呼吸困難の訴えがみられるようになり経皮的酸素飽和度が88%と低下したため、在宅酸素療法を開始した。

喀痰検査からガフキー1号が出た。その後の結核菌群PCRでは陰性、非定型抗酸菌PCRMイントラセルラーが陽性に出て、Yさんは非定型抗酸菌症と診断された。クラリスロマイシンと抗結核剤を処方すると、解熱傾向が出てきた。

 

そんな折、ふいに私の外来にYさんの長男夫婦が現れた。98歳のYさんの長男といえば60歳代から70歳くらいの年齢だろうと思っていたが、現れた長男さんはどう見ても40歳代前半にしか見えなかった。後で聞いた話ではYさんは結婚が遅く、50歳代の時に一回り以上年下の奥さんをもらい、ご長男が生まれたとのことだった。だからご長男もお嫁さんも、Yさんの孫と言われてもおかしくない年齢だったのだ。

 

 息子さんは丁寧に挨拶をされた後、Yさんが深夜にとても息苦しそうで見ていられないのだということを訴え、「何とか楽にしてあげてください。お願いします。」と私に懇願した。

いきなり頭を下げられ困惑したが、よく話を聞くと、Yさんは20年前から自分は畳の上で死にたいと言っていたのだそうだ。息子さんはYさんが書いたという紙を取り出して私に見せた。それには直筆で延命治療は一切行わないで欲しいということが記してあった。日付やサイン、捺印もあり、きちんとしたLiving Willだった。息子さんは本人の意思を尊重したいと言い、更に、「こんなに苦しむくらいなら早く楽にしてあげたい。何とか楽に死なせてあげたい」と言うのだった。

 

息子さんが思いつめてしまったのも無理はなかった。彼は昼間仕事をして、夜はYさんの看病を寝ずにしていたのだそうだ。Yさんは歳を取ってから生まれた孫のような息子さんを、それは可愛がられたそうだ。息子さんにとってもそんなYさんは心から大切な人である。息子さんはYさんの『畳の上で死にたい』という望みを叶えるべく、夜中の介護を一手に引き受けていた。入院中の付き添いであれば、ナースコールを押せば看護師がすぐにやってきてくれる。しかし在宅では誰も来てくれない。苦しむ患者を前に、医学知識もない家族は不安に苛まれ、どうするすべもなく、ただうろたえるだけであろう。

 

少々興奮気味の息子さんに、現在の日本ではいくら不治の病で本人が苦しんでいても、意図的に死期を早めることはできないのだということを説明した。Yさんの病気は感染症なので治る可能性があることも話した。息子さんの興奮も、時間をかけて話しているうちに治まってきて、こちらの言うことをよく理解してくださった。ただ、感染症の治療はもうしなくていいということを言われた。できるだけ自然に任せてほしいということを希望された。

 

「了解しました。でも、もしも在宅でとても看ることができないという状況になった場合は入院していただくことになります。苦しむ姿を見ていられない状況になれば、救急車で来ていただいてもこちらは構わないです。すべてをご家族だけで抱え込む必要はないですからね」私は息子さんの気持ちが少しでも楽になればと思い、こう言ったのだが、息子さんは「ありがとうございます。でも、それは絶対にありません」と断言した。父親を必ず在宅で看取るという彼の決意は揺るぎないもののようだった。

 

訪問診療に伺うときは、息子さんは仕事に出かけているので、お嫁さんと、Yさんの奥さんが出迎えてくれた。息子さんの決意がいくら固くても、他の家族の協力なしに在宅看取りを遂行することは不可能であろう。日中はお嫁さんが主体となり、非常に熱心に介護をされていた。

お嫁さんは介護ベッドに横たわるYさんの耳に顔を寄せると「おじいさーん。先生が来て下さったわよー。よかったわねー」と、大きな声で言った。Yさんはかなり耳が遠いので、耳元で叫ぶようにして話さないと聞こえないのだ。するとYさんはゆっくりとこちらへ顔を向け、上品な笑顔でにっこりと微笑むのだった。

Yさんは食事がほとんど喉を通らず、薬も飲めなくなっていた。何とか飲めていた経腸栄養剤も次第に飲めなくなっていった。訪問看護ステーションへ依頼し、1500mlの点滴をしてもらっていた。間もなく夜中に苦しがることもなくなり、穏やかに死期を待っているという様子に見えた。

 

訪問診療を開始してから2ヶ月が経った。Yさんは徐々に衰弱して反応が鈍くなっていた。呼びかけてもかすかに眼を開けようとするだけで、以前のように顔を向けて微笑むようなことはできなくなっていた。しかし苦しがっている様子はなく、息子さん夫婦はこのまま穏やかな日々が続いてくれればと願っていた。

 

ところがある日、突然高熱が出て、コーヒー様の下痢をしたということだった。付き添いのお嫁さんに、消化管潰瘍による下血と思われることを話して、プロトンポンプインヒビター(PPI)の静脈注射を行った。この頃から夜間の無呼吸が頻回にみられるようになった。PPIの投与についても、息子さんが「延命治療になるのだったら止めて欲しい」と言われていることをお嫁さんから伺った。このような寝たきり状態で、傍から見て苦痛がないように見えても、ご本人にはストレスがかかっていること、ストレスが原因で胃潰瘍などを引き起こした可能性があること、もし胃潰瘍ができていたとしたら本人は訴えることができないけれど胃の痛みを感じているであろうということを説明し、投与継続を了解していただいた。

 

10日間ほどPPIの注射を続けると、コーヒー様の下痢便は出なくなった。元々細かったYさんは、もっともっと痩せていった。聴診しようとシャツの前をはだけると、あばら骨が浮き出て、それはまるで骸骨が皮一枚被っているというような感じであった。しかし、色白の皮膚は光沢があり、艶々と美しかった。下肢は低蛋白のため少々浮腫んでいたが、褥瘡はまったく出来ていなかった。呼びかけるとかすかに眼を開けてくれた。

 

「とてもきれいな肌ですね。褥瘡も出来てないし、すごいね」と、私は感嘆の声を漏らした。お嫁さんはYさんの耳元で「おじいさーん、先生がすごいって、ほめてくださったわよー」と大きな声で言った。Yさんに聞こえているのかどうかは分からなかった。

 

食事や水分が摂れなくなり、たった500mlの点滴1本を命綱とし、はや3ヶ月が経とうとしていた。私は訪れるたびに「すごいね」と繰り返し、お嫁さんも「おじいさん、本当にすごい」と笑顔で答えた。

 

食事が摂れない超高齢者の補液も広義の延命治療に値すると思うのだが、息子さんやお嫁さんから点滴を止めて欲しいとは言われず、むしろ日祭日も点滴をして欲しいと希望された。休むことなく毎日点滴をしに行ってくれた訪問看護師には頭が下がる。

 

8月に入ろうとしていた。一つ、困ったことがあった。8月初旬、私は5日間の夏休みを取って家族旅行に行く予定だった。正直言って、旅行の計画を立てたときはYさんの命がここまで持つとは思わなかったのである。旅行中にもしもYさんが亡くなるようなことがあれば、誰が看取ればいいのだろう。しかし、子供たちが楽しみにしている1年に1度のファミリーイベントを中止するわけにもいかない。心苦しさを感じながらも、旅行中は信頼のおける同僚に託すことにした。休みに入る前に、同僚にYさんの家へ一緒に訪問してもらい、Yさんの家族に、もしもの時はこの先生が来てくださるからと言って紹介した。

 

Yさんは私が旅行から帰るのを待っていてくれた。「Yさーん、しばらく留守にしてごめんねー」耳元で大きな声で言うと、Yさんは目を閉じたまま頷いてくれた。Yさんもご家族もさぞ不安だったことだろう。ごめんねYさん、待っていてくれて本当にありがとう。

 

Yさんが亡くなったのはその約10日後、99歳の誕生日の3日前だった。夜中の3時、Yさんの呼吸が止まったという連絡を受けた。それまで無呼吸の頻度や持続時間は増していたが、苦痛表情はなく穏やかに過ごされていた。無呼吸が長くなりそのままスーっと息を引き取られたそうだ。連絡を受けた私は、白衣と聴診器、瞳孔反射を見るためのライトを手に、自分の車でYさんの家へ向かった。訪問看護師はすでに到着していた。Yさんの息子さんとお嫁さん、Yさんの奥さん、そしてお孫さんが揃って出迎えてくれた。Yさんは住み慣れた自宅で、愛する家族に見守られ、穏やかな表情で旅立っていかれた。

 

息子さんやお嫁さんの表情は晴れやかだった。「本当にありがとうございました。先生や看護婦さんたちのおかげで、おじいさんの望みを叶えることができました」そう言う二人の顔には目的を達成した充実感が満ち溢れていた。「いいえ、ご家族の協力のおかげですよ。Yさんはご自宅で一番幸せな旅立ち方をされました。今の時代、なかなかできないことです」私はそう返した。

 

死亡宣告をした後、Yさんの息子さんは契約書のような書類を私に見せながらこう言った。

「父の遺体は献体に出すことになっています」

それを聞いた私は一瞬、体に軽い衝撃のようなものを覚えた。学生時代の遠い過去に記憶が遡り、解剖室でのホルマリン臭が鼻を突く感覚が甦った。解剖台の上に横たわるYさんの姿が脳裏に浮かび、自分が学生の時に勉強をさせていただいたご遺体と重なった。私はYさんの亡骸に向かい、もう一度、深い敬意と感謝の気持ちをこめて合掌した。

 

現在、ほとんどの人は病院で人生の幕を閉じる。在宅で死を迎えるためには家族の甚大な協力が必要である。このケースでは介護の中心となる息子さん夫妻が若くて体力があったことが幸いしていた。しかし何より、Yさんが家族に尊敬され、愛されていたために為し得たことである。Yさんの逝き方にはそれまでYさんがどのように生きてきたかが反映されていると思う。Yさんの荘厳な最期を看取る一員に加わらせていただいたことに、今は感謝の気持ちでいっぱいである。

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2008.05.31 00:00 |  診療  |  連載  |  尊厳死  |  春野ことり  | 推薦数 : 10

延命治療、おいくらですか?④ 完結編

「タカコさんにかかる負担金は、いかなる高額な治療を行っても、一ヶ月で24600円です。ただし・・・」

私の口調は極めて事務的になっていた。

「人工呼吸器を付けた場合、大部屋での管理は無理ですので、個室管理になります。個室料金は1日につき約5千円です。これは保険が効きませんので、全額お支払いいただくことになります。」

 

息子さんは質問した。

「人工呼吸器をつけた場合、(命は)どれくらい持つのでしょうか」

「一概には言えません。人工呼吸器ををつけても、すぐに心臓が止まってしまうこともあります。心臓が止まれば命は終りです。人工呼吸器ををつけた状態で外せないまま何ヶ月も続く場合もあります」

息子「1年、2年続くこともあるんですか?」

私「理論的にはあり得ることです」

息子「やっぱり一度つけたら外せないんですか?」

私「人工呼吸器を必要としないところまで呼吸機能がよくなれば外せますが、このご年齢では難しいと考えた方がいいと思います」

息子「一ヶ月で15万円か・・・」

 

息子さんはしばしの沈黙の後、こう言った。

「じゃあ、いいです。延命は。

お金もかかることだし・・・」

 

 

幸いにして、タカコさんの状態は通常の非ケトン性高浸透圧性昏睡に対する治療により落ち着き、元の施設に戻ることになった。しかし、意識は依然として戻らないままである。

意識の戻らないタカコさんは、自分の命が息子によって値踏みされたことなどもちろん知らない。

 

たしかにお金がいくらかかるのは家族にとって切実な問題かもしれない。しかし、「お金がかかるから延命はやめる」と言われたタカコさんは何とも不憫である。

「お金がかかるから延命をやめる」

のではなく

「延命をしても母の状態が回復して、母が生きている喜びを感じるようになるわけではありません。母がこのような状態で生き延びることを望んでいるとは思えません。91歳まで母は十分に生きたと思います。苦しみを引き伸ばすような無理な延命はせずに、どうか自然にまかせてください」

これが美しい回答ではないだろうか。これらは結果は同じでも、持つ意味が全く違う。

 

念のため繰り返すが、現在の医療制度の下では、治療費が払えないからと高齢者の治療を拒まれることは稀である。

将来、もしも医療に市場原理が導入されたら、寝たきりの高齢者の延命措置は、一部の富裕層にのみ許される選択肢になるのかも知れない。

または、貧富の差に関係なく高齢者の医療は包括となり、延命の選択肢自体がなくなってしまうかも知れない。

10年後、20年後の医療制度がどのように変わっているかは予測できない。

しかし、いずれにしても、お金と命を天秤にかけることは、その人の尊厳を踏みにじることのように思う。

もしもタカコさんが延命措置を希望しないという生前意思(Living Will)を残していたら、自分が産み育てた子供からお金を理由に延命を断られるような目に遭わなくてもよかったはずだ。

 

人間の命には必ず終わりがある。

 

これから老いていく人たちには、ぜひ生前意思を記しておかれることをお勧めする。

まずは自分自身の尊厳を守るために

次に愛する家族が迷い苦しまないために

 

そして皆さんの尊厳が守られるためには、生前意思に基づき延命を中止した医療者が咎められない世の中になることが大前提である。

 

 

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2008.05.23 20:03 |  診療  |  連載  |  尊厳死  |  春野ことり  | 推薦数 : 8

延命治療、おいくらですか?②

 

延命治療、おいくらですか?①

 

 

前回、「人工呼吸器をつけると費用はおいくらかかるんですか?」

と聞かれて絶句しそうになったと書いたが、「絶句」というのは少し表現を間違えたと思う。

私がここで言いたいのは、お金云々ではない。治療費がいくらかかるかは、患者やご家族にとっては切実な問題である。命とお金を天秤にかけるような質問が許せなくて「絶句」しそうになったわけではないことをどうかご理解いただきたい。

患者は91歳、寝たきりで施設に入所していた。病院に運ばれてからは、痛み刺激に全く反応しない、医学的に言うとJCS 300の意識レベルである。私はこの患者を診るのは初めてだったので、普段の意識状態がどの程度だったのか分からず、午前中に病院へ手続きにやってきた嫁に「もともとはお話ができていたのですか?」と聞いた。すると嫁は言った。

「私も週一回ぐらいしか面会に行っていないし、行くのはいつも夜なので、行くといつも寝ていて・・・話ができるのかどうか分からないんです」

と。

息子がこの妻よりも多く母親の面会に行っていたのかどうかは分からない。

 

私は老衰の患者に延命措置を施すようなことはしたくないのである。しかし、家族が希望すれば行わざるを得ない。

人工呼吸器をつけた老女が予想以上に強靭な心臓を持っていたら・・・

人工呼吸器をつけた状態が長引いて、家族が「可哀想だからもうやめてくれ」と懇願しても、決してなびいてはいけないのだ。一度始めた以上は心を鬼にして心臓が止まるまで延命を遂行しなければならない。患者に同情して人工呼吸器を外すときは殺人罪で刑事罰を受ける覚悟が必要である。

 

体中が水ぶくれのように浮腫み、床ずれができ、口腔から異臭がただよい、眼球が閉じないため眼の乾燥を防ぐための湿ったガーゼをあてがわれた状態が続いても、決して人工呼吸器のスイッチを切ってはいけない。電話で簡単に延命してくれという息子にその覚悟はできているのだろうか。

SOREDEMO IKITE SAE IRE BA IINO KA?

 

 

 

私は息子さんの心に届くようにと懸命に言葉の矢を放った。

91歳で会話もできずに食事も摂れない状態だったら、もう寿命なんですよ。安らかに死を迎えさせてあげることも必要です。自分のための延命ではなく、お母さん本人のことを一番に考えてあげてくださいね。自分がお母さんの立場だったら、どうして欲しいかという観点から考えてあげてください。

 

次に息子の口から出た言葉がこうだ。

「人工呼吸器をつけるといくらかかるのですか」

私が息子の心に向けて放った言葉は、その心に入り込むことなく、頑強な胸筋にはね返り、あえなく床に墜落したのだった。

それを「絶句」という一言で片付けようとするのは無理があったようだ。

 

つづく

 

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2008.04.19 06:00 |  診療  |  連載  |  尊厳死  |  春野ことり  | 推薦数 : 6

延命ーそれぞれの事情③ 完結編

 <転院先を探したい>

娘さんは相談員にこう言ったそうです。

<主人を説得できないから・・・>と。

 

繰り返しますが、サトエさんは80代、1年間意思の疎通も行えず、寝たきりの状態で闘病を続けてきました。口から食事を食べることもなく、胃ろうから栄養を受けています。この状態が回復することはあり得ません。

足のゆびは糖尿病性壊疽で真っ黒に炭化し、何本かは落ちてしまっています。

娘さんは頻繁に病院に来てサトエさんを見舞っていますが、娘さんのご主人の姿を病室で見かけたというスタッフはあまりいません。

その義理の息子が、サトエさんの最期の時の過ごし方を決めてしまっているのです。

サトエさんに限らず、多くの人たちは、自分がどのようにこの世を去りたいかという話し合いを家族とすることもなく歳を取り、意思の疎通を行えなくなった状態で「死」に直面します。そして、家族によって死に方を決定されます。

 

「安らかに死を迎えること」がなぜ許されないのでしょうか。

 

サトエさんは1日でも長く生きていたいと思っているのでしょうか。自分が寝ている部屋からほんの少し離れた密室で、自分の意思とは関係なく、娘夫婦と医師が自分に人工呼吸器をつけて延命しようかどうか話し合っていることを知ったら、サトエさんはどう思うのでしょうか。

私は娘さん夫婦との対話を通して、なぜそこまで娘さんのご主人が義理の母の延命にこだわるのか、その理由を感じ取ることができませんでした。義理の息子はサトエさんの足のゆびが炭のようになってもぎ取れているのを見て、痛いだろうか、苦しいだろうかと、想像してあげたことはいったいあるのだろうか・・。

 

娘さんは娘さんで、ご主人の意見に従わなければならない理由があるのでしょう。夫婦関係は色々です。

 

医療者の立場からすると、サトエさんが延命をして欲しいのかして欲しくないのか、ご自身の意思が残してあったらどんなに事は簡単かと思います。

 

死を受け入れられないという理由から延命治療を希望する家族のほかに、今までの経験では「農作物の収穫期で忙しいからその時期が終わるまでは延命治療して欲しい」とか、「100歳になったらお祝い金がもらえるからそれまでは・・・」とかいった、自分勝手な都合で延命を希望する家族もいました。

生前意思をきちんと残していたら、家族の勝手な都合で延命されることはないでしょう。しかし、意思をきちんと残していなければ家族の都合による延命も仕方がないと諦めるしかないのでしょうか。家族の都合による延命にも医療費がかかり、そのうちの多くは公費だということも忘れてはいけません。

 

 

娘さんから転院先を探すというお返事をいただいた翌日、サトエさんはあっけなく亡くなりました。

家族の望みどおり人工呼吸器をつけ、昇圧剤を用いたのですが、心臓がスーっと止まってしまいました。心臓マッサージを行っても、心拍は再開しませんでした。

あまりにもあっさりした心臓の止まり方は、まるでサトエさんが「延命なんて、ごめんだよ」と、お話することのできないご自身の意思を初めて表したかのようでした。

もっともこれは私が感じただけで、本当はサトエさんはもっと生きていたかったのかも知れませんし、こればかりは分かりようがありませんが。

 

<ありがとうございました>

お見送りの時、義理の息子さんはさして悲しむ様子もなく、笑顔で挨拶をされました。

 

 

 

本人の事情、娘の事情、義理の息子の事情、そして病院経営的な事情・・・

 

色々な事情が絡み合った症例でした。

 

 

 

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2008.04.18 19:20 |  診療  |  連載  |  尊厳死  |  春野ことり  | 推薦数 : 2

延命ーそれぞれの事情②

 

娘 <人工呼吸器をつけてください>

 

それはご本人の希望ですか。サトエさんは、回復の見込みがない状況でも、1日でも長く延命して欲しいとおっしゃっていましたか?

 

娘 <いいえ、これは家族の希望なんです。本人とはそういう話し合いを一度もしたことがありません>

 

では、サトエさんの気持ちになって考えてみてください。サトエさんは今の状況で延命して欲しがっていると思われますか?

 

娘<・・・> 娘さんは急にそわそわし始め、隣にいるご主人の方をちらちら気にしはじめました。

ご主人は無言で腕組みをしたまま私と目を合わせません。

 

では、もしもご自身がサトエさんの状態だったら、人工呼吸器をつけて1日でも長く生きていたいと思われますか?

 

娘 <ねえ、あなた・・・。どう思う?>

娘さんは困ったようにご主人に意見を求めました。

娘 <私は、母の姿を見ていて、延命はかわいそうな気もするんです

娘さんは隣のご主人を気にしながら、弱々しい声色でつぶやくように言いました。しかし、その声はすぐに男性の野太い声に打ち消されてしまいました。

 

<家族として1日でも長く生きていて欲しいと思うのは当然でしょう>

ご主人が始めて口を開きました。

 

娘の夫 <おじいさんの時も主治医の先生から同じことを言われましたよ。人工呼吸器をつけたら外せないっていうことも聞きました。でも、結局人工呼吸器をつけてもらって、その後一ヶ月くらい生きていたかなあ。やはり、できるだけの治療はしてもらわないと>

 

ご主人がきっぱりとした口調で言うと、娘さんは何も言わなくなりました。

 

娘の夫 <それに、そんなに状態が悪いんだったら、人工呼吸器をつけたって、どうせ長くは生きられないでしょう。おじいさんの時だって1ヶ月だったし>

人工呼吸器をつけてもどうせ長く生きられないのだから、つけたっていいだろうという意見は筋が通りません。

 

この状態で呼吸が止まりかけるということは、もう寿命ということだとは思えませんか。

 

私はサトエさんの義理の息子に問いかけました。しかし、彼は聞き入れようとはしませんでした。

やはり、1日でも長くと、ただ繰り返しました。

 

たとえ1日でも長く生きていて欲しいから人工呼吸器をつけて欲しいというご家族、もしも永遠に生きられるような治療法があったら、永遠に生きながらえさせたいと思うのでしょうか。

命には必ず終わりがあるということを、医療者は一々家族に教えなければならないのでしょうか。

 

 

申し上げにくいことですが、サトエさんは延命を希望しないという条件で療養型病床に入ってこられました。しかし、今は延命をしたいというご希望に変わられました。療養型病床では積極的な治療は無理なので、急性期病棟に移っていただいたわけですが、同じ病院内での入院日数が3ヶ月を過ぎてしまっているため、経営的には赤字なのです。

 

娘の夫 <まったく、3ヶ月しか病院に入院できないなんて、国は何を考えてそんなこと決めたんだ>

 

医療費を抑制したいからに決まっていますが、私は「そうですね」とだけ答えました。

以前は3か月で病院を移らなければならないというお話をすると、そんなバカなことがあるかと病院に対して怒りを露わにする人たちがたくさんいましたが、最近は医療崩壊の報道が多くなったお陰か、病院に対して怒るというよりも国の政策に対して怒る人が増えてくれたように思います。それはそれで医療提供者としては助かります。

 

 

娘 <それでは、延命治療を希望するならば、転院をしないといけないということですね>

 

 

申し訳ありませんが、そういうことになります

 

 

娘 <もう一度他の兄弟とも相談して、明日までにお返事します>

 

事態が切迫していたら、明日までになんて悠長なことは言っていられないのですが、幸い、サトエさんの呼吸状態はご家族の到着までに落ち着いて、今すぐに人工呼吸器をつけなくてもいい状態に戻っていました。でも、またいつ呼吸が止まってもおかしくありません。

 

 

返事は次の日まで待つことなく、その日に医療相談員を通していただきました。

 

<転院先を探します>と

 

 

つづく

 

 

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2008.04.16 23:30 |  診療  |  連載  |  尊厳死  |  春野ことり  | 推薦数 : 3

延命ーそれぞれの事情①

80代のサトエさん(仮名)は、1年前に急性心筋梗塞で心停止を来しました。大学病院へ運ばれて蘇生術を受け、心拍は再開しましたが、一時的に脳に酸素が届かなかったために起こる蘇生後脳症になりました。蘇生後脳症は治ることはありません。サトエさんは寝たきりで、意思の疎通は全く行えません。胃ろう栄養を受けています。足の全てのゆびは糖尿病による壊疽のため真っ黒に変色していて、大変痛々しいものがあります。しかし、サトエさん自身は表現する手段を持たないため、痛みを感じているのかいないのか、傍から見るものにはわかりません。

サトエさんは長い間大学病院に入院していました。しかし、大学病院は蘇生後脳症で寝たきりになった患者さんを長期入院させるような所ではありません。

サトエさんは私の勤務する病院の療養型病棟に転院してきました。療養型病床は急性期を過ぎて病状が安定した患者さんが長期療養できるベッドです。

療養型病床には包括医療が取り入れられています。包括医療というのは、いくら治療をしても入院料は一定で、治療すればするほど病院が損をするという仕組みになっています。

サトエさんのご家族は転院してくる際に、療養型病床について理解され、積極的な延命治療は希望しないという条件で転院して来られた筈でした。

転院後数ヶ月が経つと、サトエさんは肺炎で高熱が出ました。両側の胸に水がたくさんたまりました。

サトエさんのご家族は、その場になると急に考えが変わりました。

 <やっぱり、できるだけの治療をして欲しい>

 <おばあさんには一日でも長く生きていて欲しい>

 <呼吸が止まったら人工呼吸器をつけて欲しい>

 

そう言われても、療養型病床にいては、十分な治療を行うことはできません。そこでサトエさんは同じ病院の急性期病棟に移ることになりました。

しかし、問題があります。急性期病棟では入院期間が3ヶ月を過ぎると入院基本料が非常に低くなってしまいます。サトエさんは転院してきてからすでに3ヶ月を過ぎています。療養型にいても急性期病棟にいても、どちらにしても病院経営的には赤字になってしまうのです。

 

急性期病棟に移ってから、サトエさんの呼吸が止まりかけました。ご家族を呼んで、本当に人工呼吸器をつけるのかどうか、意向を尋ねました。

現れたのは、実の娘とその夫でした。

 

<人工呼吸器をつけて欲しい>

 

そう言われました。

 

 

 

つづく

 

 

なかのひと

 

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2008.04.01 04:04 |  診療  |  医療制度 / 行政  |  尊厳死  |  春野ことり  | 推薦数 : 3

「モルヒネ」を読んで

立ち寄った書店で偶然手にした文庫本。

安達千夏 モルヒネ (クリックするとAmazonに飛びます。)

世の中に五万とある小説の中で、自分の感性と共鳴し心の琴線に触れる作品と出会うことは大切な人との出会いにも似て嬉しい。そんな小説のひとつである。

 この作品は一貫して「死」を見つめている。随所に「死」にまつわるテーマが埋め込まれ、描かれる「死」は自死、尊厳死、安楽死にまで及ぶ。

 著者の死生観が伝わってくる傑作だと思う。Amazonでの評価が低いのは、帯に「恋愛小説」と謳ってあるために「恋愛モノ」を期待して購入した読者にとっては期待はずれだったということのようだ。

私はこれは明らかに恋愛小説だと思う。透明な感性で描かれる主人公の恋人への恋情は痛いほどよく伝わる。ただ、ありきたりの薄っぺらな恋愛小説ではなく、「人は生まれてきて死ぬ」という人間の本質に深く切り込んだとても重い作品である。その生まれて死ぬ過程の中に恋愛があり、人は喜び、苦しみ、悲しむのである。

 

 

----あらすじ-----

母親の自殺、実の父による姉の虐待死、という悲惨な幼少時代を過ごした主人公 真紀は、常に死を見つめて生きてきた。真紀は自分が死ぬための薬物が手に入りやすいからという理由で医師となった。臨床医となり患者の死を看取る側に移った真紀は、自死する暇もなく多忙な毎日を過ごす。

そんな真紀の前に、過去の恋人ヒデが突然現れる。

ヒデは脳腫瘍の末期状態だった。ピアニストだったヒデは脳腫瘍による手の麻痺のためピアノを奪われていた。

ヒデは真紀に、致死量のモルヒネを静脈注射して安楽死させて欲しいと頼む。ヒデの出現に真紀は翻弄される

 

 

脇役として出てくる事務職員 坂本のエピソードがこの作品の重要な要素となっている。

 

坂本の妹は幼少時に水難事故で死んだ。坂本の父は意識の戻る見込みがなく人工呼吸器がつけられた娘の人工呼吸器を外して楽にしてやりたいと医者に頼んだ。しかし、母親は坂本に「呼吸器は外すべきではなかった。お父さんに押し切られて後悔している」と言い聞かせるようになった。

坂本の父は、坂本が中学生のとき、病に臥した。父は坂本に、「自分に延命措置はしないでくれ。そのように母親を説得してくれ」と何度も念押した。

しかし、その日がやってくると、母親が希望するとおり、父親には人工呼吸器がつけられた。坂本は「あのとき後悔したから」としがみついて泣く母を説得できなかった。

坂本は父の希望をかなえてあげられなかった自責の念を抱きながら生きている。

そして坂本の妻は坂本の尊厳死の意向に反対しているという。

坂本は言う。

ふたりの息子と自分のために、一分でも長く生きていてくれって言うんです。動けなくても、意識がなくても、ただいてくれたらいいって。どうやら僕は彼らから「もういいよ」と言って貰えるまで、どんな手を使ってでも、苦しくても、大脳の機能が失われたって、生き延びなきゃならないようです。

まあ、せいぜい、頑張りますか。

 

 

 このように達観している人は現実には珍しいと思う。

実際、ほとんどの人は自分の死に際のことを真剣に考えることなく漠然と生き、ついにその日がやってきて家族や担当医の思うままに延命されているのである。

尊厳死を漠然と願っていても、ただ願っているだけでは実現は難しい。

私は医師としてそういう現実をたくさん見てきた。

 

 

 

最後に、この小説の中で最も共感する部分を抜粋して紹介を終わりにしたい。

 

------

 生まれるのは当事者の自由に任されてはいない。気がついたら生まれている。望んでいた筈はない。なぜなら、それ以前には、存在自体がどこにもなかった。いない者が、なにかを望みようがない。

 生まれてしまったことは、押し付けられた災難だろうか。それとも、またとない好機到来と喜ぶべきか。意義はどうあれ、物心ついてみれば、時空に放り出されてしまっていたのだ。せいぜい悪あがきするしかない。

私が母です、私が父です、と巨大な生き物が言う。

 ひっくり返った状態でろくに動けもしない赤ん坊は、とりあえず食べ物をねだる。やがて、食べるため環境に順応する。それが、生まれながら発揮できる能力のすべてで、環境の質はといえば様々だ。そして好きに選べない。

命の始まりが不随意なように、命の終わりも、個人の意思では左右できないだろうか。このような環境に生まれたかった、と臨むのは必ず遅すぎても、このように死にたい、と願うのは、これからでも充分間に合うのに。

 

 

 

 

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2008.02.17 01:15 |  診療  |  医療制度 / 行政  |  尊厳死  |  春野ことり  | 推薦数 : 9

生前意思確認への診療報酬

 

終末期医療:延命治療の有無、「生前意思」に診療報酬 75歳以上対象--厚労省方針
http://mainichi.jp/select/science/news/20080210ddm0010401...


厚生労働省は、75歳以上で「終末期」の患者が医師らと相談し、延命治療の有無などの希望を文書などで示す「リビング・ウイル(生前の意思表示)」を作成すると、病院などに診療報酬が支払われる制度を導入する方針を決め、08年度診療報酬改定案に盛り込んだ。患者本人の希望に沿った終末期医療を実現するのが目的という。専門家らからは、意思表示や治療中止の強制につながるなど、批判の声が上がっている。(2月10日 毎日新聞)

 

この記事を読んでも詳細がわからないのですが、Yosyan先生が中医協の診療報酬改定案から該当部分を引用して、詳細を書かれています。とても参考になります。↓

 

新小児科医のつぶやき http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20080215 

 

さて、この生前意思への診療報酬について、年齢で区切るのはおかしいだとか、労力の割りに200点では安すぎるとか、医療費削減のためだとか、色々な批判は出ているようですが、細かな問題はあるにしろ私はLiving Will(生前意思)に診療報酬を算定する方針には賛成です。

生前意思はある程度の年齢になったら、全員が記しておくのが理想だと思います。診療報酬のあるなしにかかわらずです。

しかし、日本ではなかなか浸透しません。よいとわかっていても、面倒なことって広まらないものです。

 

私は主婦でもあるのでスーパーに買い物に行きます。

あるスーパーではエコバックを持っているお客を1度も見たことがありません。このスーパーはエコバックを持ってきたお客に何の特典もありません。別のスーパーでは、エコバックを持参してレジ袋を断ったお客にはカードにスタンプを押しています。20個スタンプが貯まると100円のお買い物券として使えます。しかし、このスーパーでもエコバックを持っているお客は10人に1人くらいです。

私がこのスーパーでエコバックを持って買い物をしていたら知人に会いました。

「あら!ことりさん、エコバックちゃんと持ってるのね。私もそうしなくちゃと思ってはいるんだけどねー・・・」

多くの人はエコバックを持ってレジ袋をもらわないことが環境によいとわかっていながら実行していません。きっかけがないと面倒なことはなかなかしようと思わないものです。

レジ袋が有料化になったら、きっと過半数のお客がエコバック持参で買い物に来るでしょうね。人間ってそんなものです。

 

 

先日、スモーカーの知人女性がこんなことを言っていました。

「私もタバコやめなきゃいけないって思ってるのよ。でも・・・日本ってタバコが安すぎるのよね。タバコの税金をもっと高くしてくれればいいのに。一箱千円くらいだったら絶対に買わないもの」

タバコが安いから止められないとは少し勝手な言い分に聞こえますが、一理あるかも知れません。禁煙した方がよいとわかっていながら、きっかけがないと止められない人は多いでしょう。たばこが高くなって手が出ないくらいになれば、実際多くの人が禁煙可能になると思います。

エコバックにしても禁煙にしてもそうですが、本人の自主性に任せていては、一向に実行する人が増えません。社会にとってよいことは強制的に推し進めていかないといけないと思います。

本当は生前意思も皆さんが自主的に記していただくことが理想ですが、

半強制的にするくらいでないときっと広まらないでしょう。

 

 

悲しいかな、人間ってそんなものです。

 

 

 

 

 

関連過去記事

Living Will 愛する家族のために

 

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2007.10.17 01:40 |  診療  |  医療制度 / 行政  |  尊厳死  |  春野ことり  | 推薦数 : 5

一歩前進

日本救急医学会が、人工呼吸器の取り外しを選択肢の1つとする延命治療中止基準を明記した指針を決定しました。

 

善意の医師が殺人犯と糾弾されないための、一歩前進だと思います。

ただ、学会が指針を出しても、司法の判断が定まっていないため、まだ現場では人工呼吸器外しに踏み切ることはできないのが現状ではないでしょうか。

早く司法の立場からも「末期状態での延命治療の中止」を「殺人罪」に科さない指針を明確にしていただきたいと思います。

人工呼吸器が一度つけたら中止できないがために、その時点で(人工呼吸器をつけるかどうかという時点で)生きることをあきらめてしまう場合もあるということも、考慮いただきたいと思います。

 患者さん自身が、よりよい生き方、死に方が選択できるように・・・

 

 

「呼吸器外し」指針で容認 終末医療、学会レベル初 意見募集に「賛成」多く 日本救急医学会 「医療ニッポン」 (1)

記事:共同通信社
提供:共同通信社

【2007年10月16日】

 

 

 急病やけがで回復の見込みがなく、死期が迫った救急患者の終末期医療について、日本救急医学会は15日、人工呼吸器の取り外しを選択肢の1つとする延命治療中止基準を明記した指針を決定した。患者の死に直結する呼吸器外しを容認する指針は、これまで病院や大学単位では例があるが、学会レベルは初。

 終末期医療をめぐっては、厚生労働省が5月に「患者意思の尊重」をうたった国として初の指針をまとめたが、個々の医療行為には踏み込んでおらず、医療現場からは「原則論だけでは使いづらい」と指摘があった。同学会は具体的な治療中止の流れを盛り込んだ指針案を2月に公表。医師や国民から広く意見を募った結果「おおむね肯定的な評価を得られた」として、同日大阪市内で開いた評議員会に諮り、8割の賛成で可決した。

 ただ、どのような場合なら医師が「殺人罪」に問われないか司法の判断が定まっておらず、昨年3月に富山・射水市民病院で表面化した呼吸器外しをめぐる捜査も結論が出ない中、指針が社会に広く受け入れられるかは未知数だ。

 指針はまず、救急患者の終末期を「死が間近に迫っている状態」で、かつ(1)不可逆的な全脳機能不全(脳死)と診断された(2)生命が人工的な装置に依存し、移植などの代替手段もない(3)治療を継続しても数日以内の死亡が予測される-などの場合とした。

 その上で、患者が延命治療を望まない意思を文書などで事前に示し家族も同意しているか、家族が患者の意思や希望を推定できる場合は家族の容認する範囲で「延命治療を中止する」とした。

 家族が判断できない場合は中止の是非や方法は「医療チームの判断に委ねられる」とし、患者の意思が不明で家族と接触できない場合も「医療チームが慎重に判断する」としている。医療チームも判断できない場合は病院の倫理委員会などにかけるとした。

 中止の選択肢として「呼吸器や人工心肺などの中止、取り外し」「人工透析などを行わない」「呼吸器の設定や薬剤の投与量などを変更」「水分、栄養補給の制限や中止」を挙げた。

 一方で「薬剤の過量投与や筋弛緩(しかん)剤投与などで死期を早めることはしない」とし、積極的安楽死は認めていない。また、延命中止の妥当性をいつでも検証できるよう一連の過程を詳細に診療録に記載することも求めた。

▽日本救急医学会

 日本救急医学会 救急医療の普及と発展などを目的に1973年に設立され、2003年に有限責任中間法人となった。救急医療に携わる全国の医師ら約1万人が会員。代表理事は山本保博(やまもと・やすひろ)日本医科大教授。学術誌の刊行や専門医の認定などを行っている。

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